第56話 硬化の紋章者
仮想空間での戦いは傷も体力の消耗も現実には持ち越さないが、精神的な疲れまでは取れない。
順当に勝ち進めれば今日だけで三試合しなければならないので、次の試合に備えてゆっくりと休んでいると、風早に割り当てられた選手控室にノックの音が響く。
それに返事をすると、入ってきたのは次に試合を控えている篠咲であった。
「やぁ、お疲れ様。翔駒と言葉は交わせたかい?」
篠咲は自身の試合などよりも、翔駒の友達事情の方が気になって仕方がなかったため、試合前にも関わらず訪れたのであった。
風早は宍戸との死闘の末に、少なくとも以前よりかは彼のことを知ることができた。
接しやすい人物とは思えないが、それでも一本芯の入った凄い人だということを理解できた。
「はい、存分に」
その言葉を聞けただけで篠咲は充分だった。
友とは何も気の置けない仲や慣れ親しんだ仲だけを指すものではない。
相手のことを認めて、切磋琢磨する間柄もまた、一つの友の形である。
そう考える篠咲は満足げな笑みを浮かべて背を向ける。
「それじゃ、またね。二回戦で会おう」
その言葉には自分が負ける可能性など一切ないという自信に溢れていた。
しかし、勝って当然、というわけではない。
彼もまた、大切なものの想いを背負って戦っている。
だから、負けられないのだ。
「はい。二回戦で待ってます!」
たった数分にも満たない会合。
されど、この数分を以って彼の敗北の可能性は潰えた。
翔駒の友達事情という懸念事項が消えた今、迷いのない静かなる猛獣が解き放たれる。
◇
『ではでは、続いて一回戦第二試合を始めたいと思います。選手!! 入場!!!』
司会進行者の大音声を合図に仮想空間内に二人の選手が転送される。
フィールドは水上。
見渡す限りの水場には幾つかの円形の足場が設置されている。
水は全て海水のようで、潮風が鼻腔を擽る。
『紋章高専四年B組!
一人は柔重悟。
坊主頭に筋骨隆々で長身な彼はブーメランパンツ一丁で海水に浮かぶ足場の一つに立ち、正面の宍戸を睥睨する。
『対するは紋章高専三年A組!!
対するは篠咲倫也。
金に染めた髪を真ん中で分けた彼は海水に浮かぶ足場の一つに立ち、穏やかな笑みを浮かべる。
『それじゃ、早速始めましょうか! 一回戦第二試合! Ready. Fight ! 』
アナウンスと共に動き出す。
会話など不要。
ただ、拳で語るのみ。
性格は異なれど、同じ理論を有する二人は言葉も交わさずに戦闘を始める。
先に動き出したのは柔。
海水へと飛び込むと、その姿を変異させる。
彼は動物格:タコの紋章者。
その腕を八本腕へと変異させ、自由に海を駆け抜ける。
フィールドはシステムによってランダムで設定される。
しかし、図らずも今回のフィールドは柔にとって圧倒的に有利なものであった。
水棲生物の紋章者が水場で負けるなど有り得ない。
どれだけ強力な紋章者であろうと、それこそレート7相当の例外を除けば水場に引き摺り込んだ時点で勝ちが確定する。
水中を高速移動して篠咲の足場まで向かうと、一気にカタをつけるべく、水中から足場を殴り砕く。
タコの凄まじい膂力を得た柔の拳は
寸前で足場からジャンプしたのか、水中には落ちてこなかったが、それも苦しい踠きでしかない。
付近には飛び移れる足場もないので、重力に負けて数秒とたたず水中へ落ちる。
そうなれば最早独壇場。
息のできない水中で完膚なきまでに叩きのめすのみ。
だが、いつまで経っても篠咲は落ちてこなかった。
(おかしい。硬化の紋章者である奴が空を飛べるはずもないのだが……)
陽射しが強く、光が反射して水中からでは地上がどのような状況なのかいまいち分かりづらい。
仕方なく、状況を確認する為に柔は地上へ顔を出すことにする。
仮に水上に出たところを襲われた所で彼の硬化の紋章では自身に一切のダメージを与えられないと踏んでのことだ。
(タコの柔らかな身体はあらゆる物理的衝撃を受け流す。物理攻撃しか脳のない奴では傷一つ与えられないのだからな)
しかし、そう考えつつも用心深いのがこの男。
念の為にと、体表を毒で覆ってから水上へと顔を出す。
「おはよう」
瞬間、波打つ海水がその動きを止めた。
「ハッ!? なんだこれは! 身体が! 動かない!? いや、それよりもどうやって空に浮かんでいるんだ!!?」
海水がまるで凍ってしまったかのように固まり、上半身を海上にだした柔は両腕を海水に拘束される形で身動きができなくなってしまった。
それだけではない。
篠咲は空中にまるで足場があるかのように留まり、柔を覗き込むようにしゃがみこんでいたのだ。
「俺の紋章は硬化。何も自分の身体を硬化させるだけじゃないんだよ」
「ま、まさか。海を、空気をも硬化させたというのか?」
「正解だ。想像力が漸く追いついたようで一安心だよ」
そういうと、篠咲は硬化させた海上に降り立つと、拳を振りかぶる。
「ハッ無駄だ。結局お前には打撃しかない。軟体動物である俺には打撃なぞ効かん!」
「ん? また想像力が置いてけぼりになったな。軟体だからってのは理由にはならないけど」
「そ、それに俺は体表に致死毒を纏ってる。皮膚に触れただけで数分後には死に至る激毒だ! 俺に触れた瞬間お前の負けだぁ!! ハハハハハ!!」
「ふぅ〜ん。まぁいいや。なんで攻撃が効いてしまったのかは宿題ってこと、で!!」
思いっきり拳を振り抜く。
毒など関係ない。
動物格の紋章者にすら匹敵する膂力が、鋼鉄以上の硬度に硬化された拳から一切の躊躇なく解き放たれる。
身体を拘束していた海水すら粉々に砕いて大海原の彼方まで水切り石のように何バウンドもしながら吹き飛ばされる。
岩場に激突して漸く止まった柔の顔面は血みどろで、歯も鼻の骨も砕けて気を失っていた。
篠咲も柔も共に“超克”を扱える紋章者だ。
故に、篠咲の拳も仮に“超克”を使うことで柔軟性による衝撃拡散を無視したダメージを与えるとしても、同じ“超克”を使えば相殺できるはずであった。
しかし、篠咲は柔の身体をあえて硬化させることで、衝撃が分散することを阻止していたのだ。
故に、相殺目的で展開していた“超克”はまるで意味をなさず、“超克”すら使わず、ただの紋章術の活用のみで柔の絶対防御は打ち砕かれて敗北してしまったのだ。
毒に関しても、一撃で勝負が決まるのだから、数分という時間はあまりに長過ぎた。
「さて、少しはいい所見せられたかな」
『勝者、篠咲倫也!!』
司会進行者のアナウンスと共に仮想空間が解除され、現実世界へと帰還する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます