第53話 障害物競走〜借り物は酔いどれ猫?〜


 なんとか宍戸から距離を離して第三スタジアムに辿り着いた風早の眼前には、数人の受付嬢が正方形の箱を持って待ち構えていた。


「お疲れ様です! 第三関門は借り物です。クジを引いて借り物を選んでくださいね」


 第三関門は借り物。

 クジを引いて出た物を持ってくるという障害物競走の定番だ。

 しかし、例年無茶振りばかりが書かれており、酷いものでは処女の血などという何処ぞの吸血鬼のようなお題まであった始末。

 それを知る風早は恐る恐るクジを引く。


(ヤバいのを引きませんように!!)


 引いたクジを薄目を開けて恐る恐る確認する。そこには……


 SNSでバズった金髪巨乳美少女


 とあった。


「いや、物じゃなくて人だし!!!」


 思わずツッコんでしまうも、何かの間違いとかではないようで、受付嬢はニコニコとした笑顔でお茶を濁すばかり。


 観念して風早は借り物を借りるため、出発することにした。

 幸い、お題に書かれた人物には心当たりがあった。

 というか、最近になっては幼馴染である雨戸よりも身近な存在となっている彼女だ。


 その人物の元へ戦車を走らせる。

 彼女のいるメインスタジアムは空を超高速で駆けられる風早ならばそれこそ一瞬で辿り着くことができる。

 しかし、辿り着いた先が問題であった。


「おちゅかれ〜。どうひたの〜? 寂しくなっちゃった〜? ふへへ〜」

「カワイイ 嗚呼、かわいい、かわいいな」

「にゃはははは! ナイス一句〜! そんなお前さんも可愛いぞルミたん〜!!」


 恐らく、いや、十中八九飲んだくれ二名ルミと静によって酔い潰されてしまったのか、借り物のお題であった八神は完全に酔い潰されて、普段のカッコカワイイ凛とした彼女の姿はそこになく、頬を紅潮させて目をとろんと蕩けさせた只々かわいい生き物がいた。


「あ、あの〜。借り物のお題で八神さんを少しお借りしたいのですが……」


 主人に懐く猫のように風早のお腹にしがみついて頬擦りする八神に頬を引き攣らせながら目的を言うと、


「あら〜、ごめんなさいねぇ。八神ちゃんは応援しないといけないからって、ちゃんと自制してたんだけど、うちのおバカさん達が無理矢理飲ませちゃって……」


 修行は厳しいが、弟子には甘々な八神が彼の応援を放棄して飲んだくれるなんてあり得るはずがない。

 加えて、彼女の近くにはあの冷徹なまでに厳格な凍雲がいる。

 いくら無礼講とはいえ飲んだくれることを許すはずがない。


 その彼の姿を探すと、すぐに見つかった。

 まるで、洗濯物のように座席に引っ掛けられており、彼の身体からも濃密な酒の匂いが漂っていた。


「凍雲ちゃんが止めようとしたんだけど……、返り討ちにあっちゃったのよ」


 風早の視線から考えを見抜いたマシュは凍雲の惨状を説明する。

 流石の凍雲も神域の武術と伝説の狙撃手の隠密能力を駆使した酒盛には勝てず、煩い口は酒で塞げとばかりに度数の高い酒を飲ませて速攻で酔い潰されたのだった。


 それを見ていたマシュやソロモン、糸魚川といった真面組は触らぬ神に祟りなし、と傍観に徹することにしていたため難を逃れていた。


「マシュとばっか話してちゃやぁ〜。私だけを見て〜」


 しなだれかかって、まるで面倒臭い彼女のようなセリフを吐く彼女が今まで修行を見てくれていた彼女と同一人物とは思えず、思考が崩壊しそうだ。

 というのは適当な建前で、本音は今も尚ぎゅうぎゅうみにむにと押し付けられている無自覚おっぱいのせいで色々と崩壊してしまいそうなのであった。

 公共の場、周りの視線といった要素がなければ押し倒すのを我慢できていた自信がない。と、周りに感謝しつつ、至極冷静を装って彼女の頭を撫でる。


「はい、僕は貴女だけを見ます。だから、少しだけ僕と一緒にデートをしていただけませんか?」


 美少女から豊満で柔らかなおっぱいを押し付けられて冷静を装えるならば既に解脱げだつしてるわ。

 表面上は冷静ながら、目を回して脳内大混乱な風早の口から思いがけずキザったらしい言葉が出て、おバカさんたちルミと静が口笛をピューピューと吹いてはやし立てる。

 けれど、それすらも今の彼の耳には入らない。

 最早、表面上取り繕っていた冷静の仮面も外れて耳まで真っ赤っかだ。


「うん。えすこーとしてね〜」


 八神の発言を受けて囃し立てていたバカどもが周りの人達をも煽り立てて八神と風早のアオハル劇場を囃し立てる。

 顔から火が出るどころか、内側から爆発してしまいそうな風早は八神をお姫様抱っこして、そのまま逃げるように戦車で第三スタジアムまで駆け抜けた。

 しかし、その速度は行きに比べて少し遅かったのは彼だって年頃の男の子だということだろう。


 第三スタジアムへ到着すると、受付嬢へクジを渡してお姫様抱っこする八神を見せる。


「はい、確かに確認しました。それではこのまま彼女と共にメインスタジアムまで走り抜けてください。あなた達の未来に幸多からんことを……」


 “てぇてぇ……”、と謎の言葉を吐く受付嬢を後に、これ以上彼女に黒歴史を作らせる前にさっさと終わらせようと、戦車へ乗り込む。


「ねぇねぇ、今度はゆっくり行こ? デートなんでしょ〜?」


 横に乗る八神が服の裾をくいくいと優しく引っ張って上目遣いで催促してくるのに対して、風早は意識が飛びそうになるのを必死に堪えた。

 “もうゴールインしてもいいんじゃないかな?”、“合意の上だよねこれ”という悪魔の囁きと、“相手は泥酔してるのだから記憶に残らないかもしれない。一時の過ちも青春というものだよ”、“まずはキスから始めよう”という天使の囁きが……。


「ってどっちも言ってること一緒じゃないか!! ダメダメ! 八神さんは大事な師匠で! っていうか酔ってる女性にそういうことするのは男としてダメなんだから!!」


 八神の普段から行われる無自覚なボディタッチで鍛えられた風早の精神は強靭であった。

 天使と悪魔の囁きを振り払って、風早はとりあえず八神の手を握ることで落ち着いた。


(こ、これぐらいならいいよね。うん)


 果たして彼が抱くこの想いは男子としての単なる情欲なのか。

 将又はたまた、憧れから始まり、育ててくれた恩義、共に過ごす中で師匠として想う気持ちが次第に変化した恋なのか。


 それは彼自身にもまだ分からない。

 だが、今だけは彼女の温もりを感じていたいと、そう思ったのだ。



    ◇



 酔い潰れて途中で眠ってしまった八神を乗せた戦車がメインスタジアムに辿り着く。

 すると、そこには既にマムシの首根っこを掴んだ芦屋と篠咲をお姫様抱っこした宍戸がいた。


 宍戸ししどはあの後一度身体を洗ったのか、粉と墨汁に塗れた上にシュールストレミングの激臭に塗れていた姿が綺麗さっぱり清潔になっている。

 急いで身体を洗ってきたのか、泡残りはないが、髪は濡れたままである。


「なんやお前、おっそい思ったら美少女とお空のデートかい。殺すぞ」


 ギリギリと首を締め付けられて昇天してしまったマムシを地面に放り捨てた芦屋が本気のドスが効いた声で静かに詰めてきた。

 

(こっわ! めちゃくちゃ怖いんですけど!!)


 嫉妬の闇に染まった芦屋に只管ひたすら頭を下げてなんとかゆるしを乞うた風早。

 そんな彼に今度は宍戸が声を掛ける。


「女とイチャついて三位とはふざけた野郎だ。この色ボケが」


 眉間に寄った皺を更に深めて睥睨する。

 そんな彼の眉間をお姫様抱っこされていた篠咲が揉み込んで解す。


「眉間に皺を刻むのはいけないな。顔が怖いとモテ期が遠のくよ」

「し、篠咲さんやめてください。俺にも威厳ってものが……」


 “威厳なんかよりモテ期の方が大事でしょー”と言って眉間を揉み解すのをやめない篠咲に諦めてされるがままになる。


「い、イチャついてたわけでは……」

「怨ッ?」


 悪霊の王すらも震え上がるような怨嗟の声が背後から聞こえて弁明を取り下げた風早は、静かに正座して反省の意を示す。


「風早君」


 自身を呼ぶ声にうつむけていた顔をあげると、お姫様抱っこされている篠咲と目が合う。


「初めまして。君、翔駒しょうまに勝つって啖呵たんかを切ったんだってね」


 そういう彼の目は笑っていた。


「今まで翔駒は怖がられてばかりで友達も俺たち以外にいなかったからさ、本戦では拳を交えて、そして、どうか友達になってあげてほしい」


 その笑みは嘲笑でも、挑発でも、侮りでもない。

 弟に友達ができて欲しいという兄が浮かべるような親愛の笑みであった。

 篠咲の言葉に宍戸は口を開こうとするが、その前に口角の筋肉を硬化されて強制的に口を閉ざされる。


「友達になれるかは分かりません。宍戸くんと僕の価値観や好みにあまり共通点もありませんし」


 明確な拒絶。

 しかし、それはただの前置きであることを理解している篠咲は静かに彼の言葉を待つ。


「でも、拳を交えることでしか分かり合えない関係っていうのも僕はあると信じています。だから、戦った後は、自然と友達になっていると思います」


 そういうと、篠咲は柔らかな笑みを浮かべてそっと宍戸の腕の中から降りる。


「ありがとう。どうか、君たちが良きライバルになれることを祈るよ」


 そう言って立ち去り、去り際に“翔駒、まだ少し臭うからもう一度身体洗いなよ”と言い残して帰っていった。


 そうして、七夜覇闘祭初日は幕を閉じる。

 明日からはいよいよ紋章高専生徒達によるトーナメント戦。

 これまで培ってきた全てを賭した激戦が幕を開ける。


 

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