第50話 先輩としての想い


 ダメな大人たちが酒に酔いグデングデンのまま午後の競技を観戦し、それを肴に更に酔いどれている頃。

 次の競技が始まるまで少しだけ他学年の競技を見ようと、選手控室へ続く通路で競技を観戦していた。


 眼下では騎馬を組んだ学生たちが紋章術を駆使しながら、額に巻いた鉢巻の奪い合いを行なっている。

 幸い、第一種目のように先に全員叩きのめしてから鉢巻を奪おうと考えているものはおらず、競技は正々堂々と順当に行われている。


 A組にはない(某軍師気取りの関西人のせいで)正々堂々とした試合を観戦していると、隣の席にある人物が腰掛けた。


「よぉ、久しぶり。風早ちゃん」

「あ、吉良先輩! お、お久しぶりです!」


 赤髪に染めた目が隠れる程の髪をヘアバンドで纏めている彼の名は吉良きら赫司あかし

 概念格:血液の紋章者であり、射撃部の部長を務める十二名のトーナメント出場選手の一人だ。

 そして、八神に会うまで気づくことはなかったが、彼女に会うまで彼が身体を壊さずに済んだのは吉良きらがいたからであった。


 あの頃の風早は言葉で諭しても止まらない。

 止まるのなら既に幼馴染である雨戸梨花の言葉か、学生会長である染谷一輝の言葉で止まっている。

 だから、彼は風早が身体を壊すほどのオーバートレーニングを行なっていると、通り魔のように現れては一方的な試合を勝手に申し込んで完膚なきまでに叩きのめした。

 そうすることで強制的に医務室送りにして身体を休ませていた。

 彼の為に、あえて憎まれ役を買って出ていたのだ。

 

 その事に八神と出会い、心に余裕が出来たことで気づいてから風早は彼に感謝の言葉を送りたいと常々思っていたのだ。


「あ、あの! 僕が身体を壊しそうな時にボコボコにしてくれてありがとうございました!!」


 その不器用極まりない感謝の言葉に吉良は思わず破顔する。


「ハハハハハ!! 相変わらず不器用な奴だな。……安心したよ。漸くお前を救ってくれる誰かが現れてくれてさ」


 吉良と風早は直接的な関わりはなかった。

 風早のことを知ったのはある日、クラスの女生徒が思い悩んだ様子でいたから気まぐれで声をかけたのがきっかけだった。


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 その話を聞いたのは、偶々だった。

 教室で友人達と昼食を取っていると、近くで同じく昼食を取っていた女生徒のグループが話していたのだ。

 その女生徒は風早と故郷が同じで、近所に住んでいたので時たま面倒を見ていたのだそうだ。

 そんな少年が紋章高専においては充分に優秀な成績を収めているにもかかわらず、上を上をと目指してオーバートレーニングを繰り返しているから心配だったのだそうだ。

 もちろん、彼女も何度も声を掛けて止めたが止まることはなかった。


 その話を聞いた吉良はため息をついた。

 そして、飯をかき込むと、その少年を探しに席を立った。

 

 最初は女の子の顔を曇らせるようなバカに仕置きしてやるつもりしかなかった。

 誰かを護る人間になる為の学校で、よりによって女の子の顔を曇らせるような奴が許せなかったのだ。


「お前が風早颯か?」


 道行く生徒に尋ねながら、件の少年がいる鍛錬施設へ向かった。

 そこには、上裸で滝のような汗を流して筋トレに励んでいる風早の姿があった。


「そう、ですけど……、何の、御用……ですか?」


 馬鹿でかいダンベルを抱えたままスクワットを行いながら風早は返答する。

 

(話しかけられてもやめねぇか。噂通りだな)


 眼の良い吉良だからこそ、風早の肉体を見た瞬間分かった。

 完全なるオーバートレーニングだ。

 筋肉が悲鳴を挙げている。

 このまま続ければ骨や靭帯を損傷して、彼の夢は永遠に届かないものとなってしまうだろうことは明らかだった。


「一応言っておくぞ。そのまま続けりゃお前は戦士として死ぬ。夢半ばで倒れる無様を晒すことになるぞ」


 夢を追いかけるあまり周りが見えなくなっている彼に、今更言葉が届くとは思えない。 

 だから、これはただの前置きに過ぎない。

 結果など目に見えている。


「ご忠告、ありが……とう、はぁ、ございます。だけど、僕は、まだまだ弱い。だから、強くなる……為に、はぁ、頑張らなくちゃ、いけないんです」


 やはり、彼は耳を貸さない。

 あまりに遠い目標を見据えるあまり、周りが何も見えていない。

 自分自身の現状すら見えていない。


(救いようがねぇ野郎だな)


「風早、模擬戦しようぜ。仮想空間は使わねぇ。実践形式でな」


 だから、吉良は模擬戦で叩きのめすことにした。

 別に、筋トレ出来ないようにして無理矢理休ませようなんてつもりはこの頃はなかった。

 この時はあった感情はイラつきだけだ。

 特務課という人々の平穏を護る者を夢と定めているくせに、身近な人間の表情を曇らせている目の前のバカに心底イラ立っていたのだ。

 だから、これはただの腹いせだ。


「はい、こちらこそお願いします!」


 その言葉に、風早は一も二もなく了承した。

 先輩と戦える貴重な機会は彼にとって幸運であったからだ。

 仮想空間を使わないことに疑問こそあったが、力加減を養う為かな、と勝手に解釈して模擬戦を始めた。


 結果は、風早の惨敗。

 模擬戦開始五秒で拳銃によって四肢を撃ち抜かれた風早は地に伏した。


 実践訓練で怪我を負った風早には、当然高専の高度な治療が施された。 

 とはいえ、傷はすぐに治ってもオーバートレーニングによって溜まった肉体の疲労までは抜けない。

 こればかりは安静にして身体を休める他に癒す方法はないからだ。


 傷を癒している間は保健医が見張っていたからトレーニングこそしなかったようだ。

 けれど、傷が癒えて退院してからはまた普段通りのオーバートレーニングを再開した。


 後はもう繰り返しだ。

 怪我を負って医務室に送っても、傷が治り次第またもやオーバートレーニングを行う風早に実践訓練をふっかけ続けた。

 彼が模擬戦を断っても、問答無用で叩き潰した。


 しかし、何度も叩き潰しているうちに愛着が湧いてしまった。

 完膚なきまでに叩き潰していたのが、いつの日か彼を休ませるために最小限の傷で最大限の療養を必要とする傷を与えるようになっていた。


 結局は彼も紋章高専の生徒。

 誰かを護る為に強くなる道を選んだ英雄の卵だったのだ。

 敵と定めたものでさえも救いたくなってしまったのだ。


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「はい。八神さんはもちろん、梨花や学生会長、そして、吉良先輩のお陰です」

「そうか、なら謹んで受け取っておこうかな。だが、明日の試合では手加減しない。また、完膚なきまでに叩き潰してやるよ」

「いいえ。今度は僕が勝ちますよ。今までの僕とは思わないでください。今の僕は大切なものを自覚しました。背負うものもあります」


 ずっとずっと気にかけてくれていた幼馴染の雨戸。

 どうしようもない不出来な弟子を一人前の戦士に育て上げてくれた恩師である八神。

 どうしようも無いバカだった自分を、言葉で諭してくれた学生会長。

 何度も何度も叩きのめして止めてくれた吉良。


 トーナメントで戦う相手の想いさえも背負って風早は戦う。

 今まで蔑ろにしていた想いを自覚して戦う。

 紋章術を扱えるようになっただの。

 “超克”が扱えるようになっただの。

 数々の戦闘経験を積んできただの。

 そう言ったものよりも大切な、戦う者として一番大切なものを今の風早は持っている。


 だから、負けない。

 

 負けるわけにはいかないのだ。


「ククク、そうかそうか。んじゃ、お前がどれくらい強くなったのか明日の試合まで楽しみに待ってるとするよ」


 一ヶ月前の何処か遠くばかりを見て、足元を疎かにしていた愚か者の姿はそこにはなかった。

 きちんと身近な大切なものを自覚した彼には今までにない力強さを感じる。


 その姿に嬉しくなった吉良は漏れ出す笑い声を堪えて立ち去る事にする。

 そこで、風早はいつのまにか騎馬戦が終わっていた事に気がついた。

 もう一度視線を観客席に戻した時には吉良の姿はもうどこにもなかった。


「勝ってみせます。あなたの想いさえも背負って僕は、優勝してみせる」


 

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