第11話 黒き世界は日輪に穿たれる 

「——そうだ。覚悟が足りなかったんだ。いや、そもそもなンで生になンか執着してたンだ? まァどうでもいいか。……使うぜェ!! 持ってけ!! オレの生命ィィイイイイ!!!」


 大声で叫びながら右手を掲げる。

 その甲には百足を抽象化した四画の紋章。


「……マズい!!」


 ムカデが何をしようとしているのか察した八神は光剣を伸張しんちょうさせて即座に百足の首を切り飛ばした。

 首を切断されれば声帯を震わせられず声を発せられない。

 驚異的な再生力故に死なずとも、脳は一時的に機能を停止する。

 思考が出来なければ行動は止められる。


 常識で考えれば。


 だが、こと紋章絶技を用いた戦いにおいて常識などなんの役にも立たない。


『紋章絶技:“黒縄無辺羅刹こくじょうむへんらせつ”』


 脳は十分な血中酸素が存在していれば頭だけでも思考することは可能。

 とはいえ、驚異的な再生力を持つムカデでも、流石に血中酸素を充分な量保ち、脳だけで活動することは不可能だ。


 だが、数秒程度なら思考することができた。


 加えて、通常百足には存在しない能力ではあるが、彼は魔力で甲殻を振動させ、甲殻同士が擦れ合う音で言葉を発することが可能だった。


 首を失ったムカデの身体は右腕を掲げた体勢で固まって、動く気配はない。

 しかし、その甲からは四画の紋章全てが消えており、紋章絶技は確実に発動していることが分かる。そして、これから起こることにも予想がつく。


 通常、紋章者は紋章を失うと灰となり消失する。

 しかし、紋章絶技によって紋章を全て消費した場合は少し勝手が違う。

 末路として最期は灰になることに変わりはないが、執行猶予とでも呼べるモラトリアムが発生するのだ。

 つまり、紋章絶技で紋章を失った者はその絶大な効力を遺憾無いかんなく発揮した後に灰となり消える。

 

 まさに人災となるのだ。


「……イカれてる。ただ狂気のままに殺す。それだけの為に全てを捨てるだなんて!!」


 瞳孔を開き、三日月のように裂けた笑みを浮かべているムカデ。

 地に転がる彼の生首を見ながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


 彼女の胸中にはやるせない感情が渦巻いていた。

 直接的な交流こそなかったとはいえ、同じ研究所にいたのだ。

 だから、似たような実験環境地獄を経てきた同類に同情したのだ。

 研究所で、彼女は紋章を封じられて拘束こそされていたがある程度の自由があった。

 そのため、幾つかの研究資料に目を通すことができた。

 人工的な紋章者の覚醒実験から派生して生まれた紋章の改造技術に関して知っていたのもこのためだ。


 そして、この改造技術にはとある欠点がある。

 記憶とは人格を形成する重要なファクターである。

 その記憶と密接な関係にある、否、記憶そのものと言っても過言ではない紋章を改造するのだ。

 当然記憶に障害は現れるし、人格にも多大な影響を及ぼす。

 それこそ、穏やかな人物が殺意の狂気に呑まれるなんてことも極論ではない。


 だからこそ、彼も元はもっと違った人間性だったのではないかと、どうしても考えてしまうのだ。

 そこまで考えたところで、かぶりを振り思考を打ち切る。

 同情なんてしている暇はない。

 今はまだ動きがないが、最大限の注意を払わなければ次の瞬間には死んでいてもおかしくない。


 ただでさえ強力な紋章四画分の紋章絶技に加えて、侵食領域の影響で必中効果が付与されているのだ。

 油断も慢心もできない。


 と、考えていた所で視界の端で何かが動いた。


 瞬時にその方向へ構えるが、そこには依然立ったまま動く気配のないムカデの死体があるだけ。


 いや、違う。


——動いて……いる……?


 ピクッ……、ピクッ……、と僅かに痙攣するように動いている。

 

 そう感じた次の瞬間だった。


 ズゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾォォォォ!!!!


 地面を形作る百足の群れと天を形作る百足の群れが互いに惹かれ合う様に導かれ、ムカデの死体を軸とした柱となる。


「嫌な予感しかしないな!!」


 確実に良くないものが生まれる。

 その直感に従って、彼女は出し惜しみなく一振りの紋章武具をルシフェルの紋章によって作り出した余剰空間より取り出す。


 “天災”の紋章武具『村正』


 彼女が研究所から逃げ出す際に、いつの間にか余剰空間に入っていた八振りの紋章武具の一つ。

 使用されている紋章は“天災”。

 その刀は竜巻、雷、地震、溶岩、洪水、ありとあらゆる天災を味方につける、国すら滅ぼせる妖刀。

 彼女は妖刀を天をく最上段で構え、その刀身に竜巻を纏う。

 

 スゥゥゥゥ……


 深く息を吸い込み精神を統一させる。

 全神経をこの一刀に注ぐ。


「ゼァァァァアアアアアアアアア!!!!!」


 シャウティング効果によってアドレナリンが分泌される。

 ベストパフォーマンスを発揮した暴風の斬撃は見事、百足の柱を粉々に粉砕することに成功した。


 しかし、柱の中にいた怪物を破砕することは叶わなかった。

 百足の柱を砕いた暴風が内側からの衝撃波で晴らされる。

 すると、そこにはムカデに似た、しかし決定的に生物としての根幹が異なる人型のナニカがいた。


 それは百足が寄り集まって人型を取ったような姿だった。

 頭は口元以外を覆う硬質なカブトで覆われ、メデューサのように百足の髪が波打つ。

 背には百足が翼の形を作り、臀部からは十二本の太く硬質な尾が地を叩く。


否姫いなひめェ!!」


 叫んだ次の瞬間だった。

 遠くに見えていた山のような百足を貫き、そのまた向こうの地面に激突していた。

 八神はその時ようやく、凄まじい衝撃を受けたのだと激痛をもって認識できた。


 超スピードなんてものじゃない。

 それは過程の省略であった。


 超パワーなんてものじゃない。

 それは破壊という概念の具現。


 あの怪物を見た瞬間、半ば反射で彼女は保有する八振りの紋章武具の一つ。

 “否定”の紋章武具『否姫』で防御した。

 その時に接触を否定する『非接触アンタッチャブル』を発動していなければ、いとも容易く死んでいただろう。

 なんせ接触することを否定したというのに、その概念すら破壊して攻撃を通しているのだから。


 八神は身を起こして喉から込み上げる血の塊を吐き出した。

 臓器は無事なようだが、骨が幾本かいったようだ。

 だが、動作にはまだ問題ない。

 四肢が動けば十分。


 問題は紋章術による絶対防御を突破されたことにある。

 攻撃を視認することができれば紋章術を集中展開することで防御することも可能だろう。

 だが、奴の攻撃は視認不可能な速度。

 先程防御が間に合ったのも偶々身体が勝手に動いただけのまぐれだ。

 二度目は難しい。


 技術と経験で戦う凍雲ならば二度目からは攻撃箇所を予測することで防御も可能だろうが、直感と実力で戦う八神にはできないのだ。


「でも、できなきゃ死ぬ。それだけの世知辛せちがらい話って訳よね」


 彼女には凍雲のような経験と冷静な思考に裏打ちされた絶対的とも言える予測技術はない。

 故に彼女は持ち前の直感に賭ける。

 二刀流では思考が分散されると考えた八神は村正をしまい、否姫を正眼せいがんに構える。

 

 そして、彼女は一切の思考を絶つ。

 感情を鎮める。

 極限まで己の直感と紋章を信じる。


 彼女にはあらゆる事柄に対する天性の才能がある。

 そこにはもちろん、剣才も含まれていた。

 加えて、身体を侵す神経毒の激痛、発熱と外傷が思考をかすませていたことも一助いちじょとなっていたのかもしれない。

 故に、彼女はこの土壇場において、彼の剣聖上泉信綱かみいずみのぶつな、最強と名高い宮本武蔵らが到達した境地へ至る。


 すなわち、無念無想の境地へと。

 

 右側頭部に『非接触アンタッチャブル』を集中展開。

 過程すら省略した一撃が側頭部を強打するが、間髪入れずに右へ横一閃。

 接触と同時に対象の硬度を否定することで、それは防御不能の一撃と化す。


 その一撃はムカデ——否、最早羅刹と呼ぶが相応しいか——の右腕を切り飛ばす。

 けれど、右腕は切り裂かれたそばから再生し、何事もなかったかのように繋がる。

 そして、目視不能、過程すら省略する一撃。

 否、連撃が空間を埋め尽くす。


 彼女はそのことごとくを避ける。

 攻撃が放たれてからでは遅すぎる。

 攻撃手段を決定されてからでもまだ遅い。

 相手が何をするか考える前に直感のままに行動する。


 まるでどこにどのような攻撃が来るのか分かっているかのように避ける。

 いなす。

 時に紋章術を集中展開して防御する。

 そして、本来隙とも言えない僅かな間隙に刃を滑り込ませる。


 その死合いは時にして僅か十数秒。

 その僅かな間に数百、数千と攻防を交わした両者の周りには、防ぎきれなかった攻撃による互いの血が飛散していた。


 そして、終わりはあまりにも呆気なく訪れた。


 彼女の集中力が乱れて、未だ付け焼き刃の無念無想の境地がほんの僅かにブレる。

 その一瞬にも満たない間。

 忘れていた神経毒の激痛が身体を硬直させた。

 それだけでさかずきの水が溢れるかのように拮抗が崩れる。


 気づけば右手の骨が折れて、手元に刀はなかった。

 羅刹に打ち上げられたのだ。

 決着が着く瞬間、彼女は思考する間もなくただ、スローモーションの世界で自身の死を待つしかできない。


 死の間際。


 ゆっくりとした緩慢な世界で、自身の胸が羅刹の腕に貫かれるという間際。


 そこに、誰も予期せぬ異物が混入した。


 ふと、自身の身体を包み込む暖かな感触を覚える。

 それを自覚した次の瞬間、彼女の胸を貫かんとするその硬質な甲殻で覆われた腕が、色白い細腕に掴まれている様を見てとれた。


「よく頑張った」


 気がつけば、百足の群れが覆っていた漆黒の空は、穿たれた穴を起点にまるでガラス細工のように崩壊し始めていた。


「お前の頑張りが俺を間に合わせてくれた」


 崩壊する侵食領域の破片がまるで雪のように降り注ぎながら光となり消えゆく。

 燃える赤髪の色白い青年は、敵から目を離さない。

 しかし、己が懐に抱く少女の懸命な働きに、日輪を想わせる金色に輝く瞳を優しげに細めながら笑みを浮かべる。


「礼を言う」

 


 

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