第12話 信念を貫く為の研鑽



 朝陽あさひが現着する数分前。

 ギリシャ神話に名高い百の手を持つ巨人ヘカトンケイルを想わせる、背部からまるで翼のように百を超える腕を生やし、猛威を振るうスパイダー。

 氷で構築された流線形のライダースーツを纏い、俊敏で立体的な高速駆動を駆使する凍雲。


 両者は廃工場上空。

 凍結された空間の上を埋め尽くす大氷河で激突していた。


「そろそろ不味いのではないかね? 彼女、死ぬぞ」


 スパイダーは凍雲の繰り出した五メートル大の氷の槍を、背部の腕から出した糸で切り裂きながら忠告する。

 それに対して、凍雲は氷のヘルメットの中、表情一つ変えず冷静に返す。


「確かに想定よりも悪い事態ではあるが、問題ない。もうじき救援が来る頃合いだ」

「救援が間に合わないとは考えないんだな」


 その言葉を凍雲は一笑いっしょうす。


「有り得ないifを考えてなんになる」


 彼女の強さは実際に戦った彼が一番知っている。

 確かに互いに制限をかけた上での戦い、全身全霊をかけたものではなかった。

 だが、そんなものは関係ない。

 一度矛を交えたからこそわかる。

 彼女の信念。

 彼女の実力。

 彼女の想い。


 彼女を彼女足らしめる強さが。


 そして、それは彼が彼女を信頼するに足るものであった。

 だが、同時にこうも思う。

 今の実力では彼女を待つ過酷な運命を乗り越えることはできない、と。


 だからこそ、彼は彼女に困難を与える。

 過酷な運命を乗り越える強さを自らの力で獲得させる為に。


「それにだ。そんなくだらないことを話す暇が貴様にあると思っていたのか?」

「どういうことだ?」


 戦況は五分ごぶ

 周囲を観察しても一手で戦況が傾くような仕掛けがあるようには見えない。

 実力で考えても確かに凍雲の方が上手うわてではある。

 防戦にてっすれば必要な時間を稼いだ上で逃げ切ることくらいは容易なはずである。

 だが、凍雲の次の言葉を契機けいきに、決定的に戦況は傾き始める。


「もう貴様の底は見えた。これから先、貴様は俺に触れることすらできはしない」


 地を這うかのように極限まで態勢を低くし、魔力を推進力として放出することで、スピードスケーターが如く氷上を滑走する。


 スパイダーはこちらへ滑走してくる凍雲に対して、小蜘蛛を無数にけしかけて爆破しようとする。

 けれども、出したそばから氷上より突如突き出す氷柱に縫い止められ、凍結されてしまう。


 両手からの厚さ数センチの鉄板すら容易に貫通せしめる糸の高速射出による攻撃も、まるで射線が読まれているかのようにかわされて、擦り傷一つつけられない。


 ここまできてようやく、彼は自身の本能がこれまでにない危険信号を出していることを自覚する。

 このまま出し惜しみしていては何もできぬまま負ける。

 奴の言う通り、触れることすら叶わない、と。


 自身の末路を悟ったスパイダーは遂に切り札を切る。

 ふところからあめのように照り輝く丸薬を取り出して一息に飲み込み、背中に刻まれた蜘蛛くもの紋章を輝かせる。

 そして、丸薬によって新たに増えた一画を切る。


「紋章絶技:“糸死天陣”ししてんじん!!」


 スパイダーの背部を含めた全ての腕から高速射出された糸が、捕獲網ほかくもうのように凍雲を囲い込む。

 猫すら抜け出せない蜘蛛糸くもいとの包囲網は触れるだけであらゆるものを切断する。

 加えて、その糸には即死級の猛毒が含まれている。


 毒糸の包囲網は退路を絶ち、その網目を小さくしながら迫りくる。

 しかし、そんなものは想定内でしかない。


「言ったはずだ。貴様の底は既に見えたと」


 凍雲は靴裏に構築した氷のスパイクで地面を削りながらブレーキをかけると、氷のクナイを毒糸の包囲網の隙間を縫って投擲とうてきする。

 しかし、放たれたクナイは避けられて、側にあった氷の柱に弾かれた。


「どうやら触れることすらできないのは君の方だったようだね」

「早計なやつだ」


 凍雲は間断なく、続け様に氷で作った鋭利な針を投擲とうてきする。

 もはや包囲網の外を視認することすら難しい程狭まった網目の隙間を縫って放たれた針は、スパイダーの頬を掠めるも、ただそれだけであった。


「フッ、終わりだ」

「ああ、終わりだ」


 背中に痛みが走った。

 そう感じた次の瞬間には紋章絶技がまるで空気に溶けるかのように消えてしまっていた。


「なんだ、一体何をした!?」


 狼狽うろたえるスパイダーを尻目に、凍雲は氷の柱で彼を縫い止めて拘束する。


 「一投目で氷の柱に反射させたクナイを針で弾いて、貴様の背にある紋章に刺した。そしてそれを介して貴様の紋章を凍結させることで、紋章術を行使不可能な状態にしただけだ」


 万全の態勢で数千回と試行して、漸くなし得るような荒唐無稽こうとうむけいな神業。

 それを生と死が隣り合わせの状況。

 それも文字通り針糸を通すかのような、本来なら狙いをつけることすら難しい投擲とうてきを、この男はまるでできて当たり前かのように行ったのだ。


「フフ。常軌を逸している。君の精密さはもはや人間のそれを遥かに凌駕しているよ。その技術は類稀たぐいまれなる研鑽けんさんの上に成り立つものだ。何が君をそうも突き動かす?」

「どれだけ高尚こうしょうな理念があろうと、譲れない信念があろうと、力がなければ為し得ない。だから努力した。護りたいものを今度こそ護り抜く為に」


 彼は特務課職員として日々戦う中で、民間人を護れず死なせてしまった経験がある。

 特務課職員としては別段珍しい話でもない。

 命のやり取りをする以上、巻き込まれるものを護れないこともある。

 戦いの中で仲間の命を失うことだってある。

 そういった経験は誰しもが、大なり小なり経験するものだ。


 だが、彼はそれを許すことができなかった。


 『仕方がない』


 『どうしても取りこぼしてしまう命があるというのが現実だ』


 そういう言い訳で妥協することは、己の信念が許さなかった。

 だからこそ努力した。

 研鑽けんさんに研鑽を重ねて今も尚、研鑽の日々を送る。

 一切の妥協を許さず。

 ただ、強くなるために。


 磨き上げた強さで、おのが信念を貫き通すために。


「なるほど。実力だけでなく心でも負けていたか。敗北も道理だな。……凍雲。最後の忠告をくれてやる」


 スパイダーは今までにない穏やかな笑みを浮かべて、短く告げた。


 “後ろへ跳べ”


 その言葉を聞き、半ば反射で彼の言葉に従って背後へ跳ぶ。

 次の瞬間、光の柱が大気を引き裂いて天高く伸びる。

 否、天から地へと滝の如く墜とされたのだ。


 すぐさま下手人を探し空を見上げる。

 しかし、下手人であろう黒い龍をかたどった鎧の人物はかすみの如くその姿を消し、跡を追うことは叶わなかった。


「口封じか」


 凍雲は人を人と思わぬデリットのやり方にいきどおりを感じて舌を打つ。

 その時、下方からガラスが割れるような音が響いた。

 視線をやると、下方に半球状に展開されていた漆黒の領域、その頂点に穴が穿たれていた。

 そして、穴を起点に放射状に亀裂が走り、砕け落ちていく様が映った。


 崩れゆく領域の上方を見上げると、八角形のメインゲートの周りを六角形、五角形などの幾何学模様きかがくもようの光が散らばる空間の穴が見えた。

 その中から顔だけ出していたひじりが凍雲の視線に気付き、控えめに手を振る。

 それに片手を上げて応えた凍雲はゲートに近づいて聖に話しかける。


「聖、救援は誰が来てくれたんだ?」

「あ、お疲れ様です凍雲さん。救援は朝陽さんが来てくれましたよ」

「……あの人は今朝高レート手配犯を捕縛しに行ってたと記憶してるんだが」

「ええ、本人曰く高レート手配犯は速攻で捕縛して十分休んだから問題ないとのことですよ。なんだか、約束があるからって意気込んでました」

「約束?」

「内容は僕も分かりません。ただ、その時の表情を見るにとても大切な約束なんだと思いますよ」

「そうか。まぁいい。あの人が来たなら万に一つもないだろう。俺は一足先に帰って報告書を作成してくる」


 下方で崩れ去る侵食領域を一瞥いちべつし、それに背を向けてゲートに入ろうとする凍雲に聖は慌てて声を掛ける。


「ちょっ! 待っててあげないんですか!?」


 いくら救援が来たからといってパートナーを放って報告書を作成に行くのはいささか冷たいのではないかと非難の声を挙げる。

 それに対して凍雲はいつも通り淡々と応える。


「此処にいても俺ができることはない。救援は朝陽さんが、応急処置は聖が行う。そして俺の予測通りならば八神が助かる頃には意識を失っているだろうしな。側について褒めてやるのも後でいい。なら、報告書作成の手間を減らしてやる方があいつも嬉しいだろう」


 冷徹なまでの正論。

 聖はそれを頭で理解するも、心の底では“それでも側にいてやった方がいいんじゃ……”、と少々納得いかない部分がありモゴモゴと口籠くちごもる。


「それと、百足むかでの神経毒、それもかなり強力なものに侵されているだろうから早急に解毒してやれ」


 それだけ言い残して凍雲はゲートの中へと姿を消した。


「もぉ、相変わらずなんでも知ってるかのような口振りで……。っていうか強い人ってなんでこうもコミュ障ばっかなんだろう? ……ハァ。解毒と治療の準備しとこ」


 聖は独り言をこぼすと、ゲートの中へ身を引っ込める。

 内部に広がる近未来的な戦艦を想起させる船内を歩くと、一番近くの医務室へ繋がる扉を開けてすぐさま治療できるように準備に取り掛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る