第42話 剣術無双
一〇〇メートル四方の畳張りの道場を模したシュミレーター内。
黒髪を短く整えた、精悍な顔つきの青年。
鋭い眼光は研ぎ澄まされた刃が如く。
袴に身を包んだ
対する風早颯は対照的に平面的な動きだけでなく、天井すら足場にした立体的な立ち回りで縦横無尽に室内を駆け抜ける。
的を絞らせない三次元的な高速駆動。
幾度も速度で翻弄しながら槍撃を繰り出している。
だが、その
未だ無傷の柳生に対して、風早は紋章によるダメージの減衰があるからこそ、薄皮で済んでいるだけだ。
既にその身体には幾多もの切り傷が刻まれている。
「いい加減学習したらどうだ。私を相手にその程度の速度は通じないと。
風早とてそんなことは分かっている。
しかし、止まらないのではなく、止まれないのだ。
己が本能が
ここで止まれば確実に仕留められると。
故に彼は止まらない。
幸い、八神との特訓で体力面も鍛えていたので余力は充分ある。
問題はこの攻め手のなさだけだ。
(このまま速度で翻弄しても捕まらないだけで、有効打は与えられない。かと言って、本番のことを考えると槍以外の武具は使いたくない)
この場が仮に本番の舞台だとすれば、アキレウスの盾に内包された小世界を解放して押し潰すこともできる。
もちろん、対応はされるだろうが少なくとも有効打を与えられるだけの隙を作ることはできるはずだ。
しかし、それを今使ってしまうと本番ではその隙すら作れなくなってしまう。
故に、槍一本で彼を打ち負かしたいのだが……
「成程。速度で翻弄したままならば私の攻撃が当たらないと思っているのか。それは、勘違いさせてしまった私の落ち度だな」
柳生から痛いほどの剣気が発せられる。
それに怯んだ風早は一瞬速度が緩まってしまう。
その隙を見逃さず、いつの間にか眼前に迫っていた柳生が上段から刀を振り下ろす。
柳生新陰流の技ですらないただの振り下ろし。
そんなものが大英雄の紋章を宿す風早を斬れるはずがない。
「え……?」
しかし、柳生の技ですらないただの振り下ろしはダメージを千分の一以下に減衰するアキレウスの加護ごと風早を深々と斬り裂く。
“超克”とは、そこにある常識を己が常識で覆す業。
自然の脅威そのものとなった者に干渉できるように、概念格や一部の幻想種が用いる概念防御にも干渉ができるのだ。
故に、アキレウスの千分に一以下までダメージを減衰するという概念防御ごと、彼の常識によって斬り伏せられてしまったのだ。
「紋章に慢心する者の寿命は短い。同じトーナメント出場者として多少期待していたのだがな」
一太刀で終わるはずもない。
トドメを刺すべく、円運動によって減衰するどころか、更に加速した逆袈裟の斬撃が風早に迫る。
風早はまるで時が止まったかのような体感速度の世界でその一太刀をただ見ていた。
(こんなにも差があるのか。……手も足も出せずに、……こんなにも呆気なく……)
彼の前に立ちはだかった前大会優勝者という壁。
彼の憧れたちに比べればなんてことはない。
だが、それでも今の風早にとっては到底越えられない壁だ。
だけど、
(それでも僕は諦めない。あの人に情けない姿は見せられない!)
今はその壁に届かずとも、だからといって諦める理由にはならない。
今の自分という殻を破って、今より一歩先へ。
今はまだ届かぬその壁をよじ登る足掛かりを。
「——!」
死の危機により、体感的な時は緩慢なものとなる。
時が止まったが如き世界。
体感速度が遅くなった世界では、迫り来る刃の軌道も緩慢なものである。
とはいえ、自身が早く動けるわけではない。
しかし、彼は迫り来る刃よりも尚早く動いた。
迫り来る刃と我が身の間にトネリコの槍を滑り込ませてその一太刀を見事防いでみせた。
今、自身の限界速度を越えてみせたのだ。
「ここからは僕の番だ!」
右肩から左脇腹にかけて刻まれた深い切り傷から少なくない量の血が噴き出す。
けれど、アドレナリンによって高揚した脳はその不調をものともせずに限界を越えた動きをみせる。
「面白い。見せてみろ! 貴様の今を!!」
今まで以上の気迫を前に柳生の気も昂る。
今はまだ自身の足元にも及ばぬ雛鳥であろうと、その先に自身と並び得る姿を幻視した彼は思わず口角を吊り上げた。
ボッ!
槍の速度に空気が追いつかずに爆ぜる。
音速などゆうに越えた槍撃が柳生の頬を切り裂く。
刀で軌道を変えていなければ彼の頭は今頃弾け飛んでいたことだろう。
当然、槍撃がたった一度で終わるはずもない。
ドドドドドドドドドドドッッッッ!!!!
空気が弾ける音が重なる。
まるで爆撃かと思うような轟音を響かせながら無数の槍撃が繰り出される。
床を除いた一八〇度全方位から繰り出される神速の槍撃はドーム状に血染めの赤き残像を残し、その内部は
「ぬぅぅぅうううあああアアアアッッ!!!!」
凄烈な咆哮を挙げて、たった一振りの刀で荒れ狂う嵐が如き斬撃の
しかし、完全に防ぎ切れるものではない。
風早と違い、魔力防御しかないその身には槍撃を防ぐだけの防御力はなく、防ぎきれなかった槍撃が彼の身を少しずつ血に染めていく。
徐々に血に染まる己が身に、柳生は眼前の紋章者を対峙すべき敵と見定める。
その強さに敬意を払い、初めて技を放つ。
「柳生新陰流勢法 “
神速の槍撃を受け流しながら右腕を斬りつける。
右腕を切り飛ばされた影響で、ドーム状の残像すら残す斬撃の嵐は終幕を迎える。
そのまま彼は、止まることなく怒涛の連撃を繰り出す。
留まることなく繰り出される連撃。
槍を構えて防いでも、動きを操られる。
フェイントによって創られた防御の間隙を突かれ、成す術もなく斬り刻まれる。
朦朧とする意識の中、歯を食いしばり、残った左腕を振るう。
それは、最後にして最速の槍撃であった。
それすら、容易く流されて斬り伏せられる。
「本戦でまた会おう。今はまだ雛鳥の大英雄よ」
その言葉を最期に、首を断ち切られて模擬戦は終わりを迎えた。
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