第36話 人見知り少女は格差社会に戦慄する


 凍雲と別れた八神と風早を草陰からそっと見守る一つの姿があった。

 絹糸のような艶やかで滑らかな黒髪を腰まで伸ばし、目鼻立ちがハッキリしている。

 しかし、やや垂れ気味な目元やその佇まいがどこか田舎臭さを感じさせる。

 その人物の名は雨戸あまど梨花りか

 風早と故郷を同じくする幼馴染の少女である。


 彼女は紋章術を制御出来なくてすっ飛んでいった幼馴染を追って来た。

 ……来たは良いものの、胸の大きな美少女。

 そして、無表情でちょっと怖そうなイケメンさんがいたので、一度隠れて様子を伺うことにしたのだ。


 田舎暮らしが長かったためか、生来の気質かは定かでないが、彼女は人見知りだったのである。


(ど、どうしよう。怖そうなメガネのイケメンさんが何処かへ行ったから、出るなら今がチャンスだとは思うんだけど……。う〜ん、踏ん切りがつかないぃ〜)


 意気地なしな少女は怖そうなイケメンが場を立ち去ってもまだ踏ん切りがつかずにいた。


(それに、……あの可愛い子ってこの前SNSでバズってた人じゃないの? 確か……特務課の人だよね? ……はやてくんはトーナメントに出場するからその育成に来たのかな?)


 怯えに怯えた少女はあまり近づけず、姿は見えても声までは聞こえていなかった。

 故に、状況としてはなんか覚悟を決めたっぽい我が幼馴染の姿。

 次いで巨乳美少女に抱きしめられて頭を撫でられたこと。

 怖いお兄さんは立ち去ったこと。

 これぐらいしか把握していないのだ。


(というか颯くん鼻の下伸ばしすぎ。確かに可愛くて胸だって大きいけどさ……、私だって少しはあるんだけどなぁ……)


 自身のお椀サイズの胸とメロンでも詰めているのかという彼女のサイズを見比べて少女は気落ちする。


 そして、離れているとは言えど、特務課職員であり、戦闘にけた八神が高々声が届かない程度の距離に隠れた少女に気づかない訳もなく。


「そんな所に隠れてどうしたのかな? 雨戸さん」

「ふぇ? くぁwせdrftgyふじこlp!?!?!?」


 風早と談笑していた八神は、話の流れで聞いた幼馴染の少女こそが、草陰に隠れる少女だと当たりをつけて話しかけた。

 突然草陰でしゃがみ込んでいた所を覗き込むようにして話しかけられた少女は心臓が止まるほど驚いて、乙女にあるまじき悲鳴をあげてひっくり返る。


 幸い、八神が咄嗟に紋章術で地面をふわふわにしたことで雨戸に怪我はなかった。


「ご、ごめんね。急に話しかけて。大丈夫?」

「ふぁ、はい! 大丈夫です!! あ、あの、すいません。覗き見するつもりはなかったんですけど、あの、その、出るに出れなかったというか……、メガネのお兄さんが怖かったというか……」

「あぁ〜、凍雲って基本無表情だから普通の人は怖がるのかぁ。大丈夫だよ、今は彼ここにいないし。それにああ見えて結構優しい所あるから、無理にとは言わないけど今度会うことあったら話してあげて」

「は、はい」


 スッ転んだ雨戸を起こして、お尻や背中についた土を払ってあげていると、漸く追いついた風早が合流した。


「あ、梨花! 悪い、ここまで追いかけてきてくれたのか!」

「颯くん! もう、心配したんだからね! 怪我はない? 大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ。ちょっとした打撲とかはあったけど八神さんに治してもらったし」


 施設を覆う壁を突き破った際に軽い打撲やかすり傷を負っていたので、八神が紋章術で治癒しておいたのだ。


「そっか。ありがとうございます。えっと、八神さん」

「どういたしまして。それより、授業中だったんじゃないの? そろそろ戻らないといけなかったりする?」


 八神にそう言われて、授業中だったことをスッカリ忘れていた雨戸は慌てて戻ろうとする。


「そ、そうだった! 颯くん、急いで戻ろう! 先生に怒られちゃう!」

「ま、待てって! こっからだと結構距離あるから俺がおぶって走るよ」

「いや、それだとまた事故っちゃいそうだし私が送るよ」


 雨戸をおぶった風早が音速で事故って雨戸がミンチになる未来しか見えなかった八神は、内心慌てながら紋章術を発動する。


 背から伸びるは仄かに発光する六対十二枚の白翼。

 そして、神々しく光り輝く光輪に重なるように、地獄そのものを象徴するような禍々しき獄炎の光輪を顕現させる。

 左眼は清廉な天の神性を象徴する黄金の瞳。

 右眼は邪悪な魔の神性を象徴する真紅の瞳へと変化する。


「わぁ〜、綺麗」

「凄い!! カッコいいです!」


 その姿を見て目を輝かせて賞賛する二人に照れながら、それを隠すように二人を抱き抱える。


「二人とも口は閉じといてね。喋ると噛むよ」


 そう言って八神はゆっくりと上昇し、そこから徐々に加速していく。

 普段ならば初速から音速の数倍から数十倍の速度を出すが、二人を気遣って今の速度は大体時速一八〇キロメートル。

 自動車の限界速度と同程度か少し速い程度の速度だ。

 それでもあっという間に景色は流れ、目的地である施設が見えてくる。


 施設はサッカースタジアムに近い形だった。

 ドーム型の構造でありながら天井が空いており、その中にはサッカースタジアムのような芝生のフィールドが広がっていた。

 そこでは、二十名程の生徒たちが各々の紋章術を鍛えるべく練習を行っていた。


 八神はそんな彼らの邪魔にならないようにフィールドの脇にゆっくりと着地する。

 しかし、六対十二枚の白翼に地獄の業火が如き天輪を携えた金髪巨乳の美少女が空から舞い降りて注目を浴びないわけもない。

 生徒一同、手を止めて彼女が舞い降りる様を見届けていた。

 フィールドの端の方では目を離した隙に飛んできた流れ弾によって、豹のような少年が吹っ飛んでいたが大丈夫だろうか……。


「はい、到着〜」

「や、やややわらかった」

「……年はそんなに変わらないはずなのに、……どうして、ドウシテ……」


 方や小声で柔らかな感触を反芻はんすうする。

 方や格差社会を突きつけられて闇堕ちしそうになっているという混沌具合。

 そんな二人を微笑ましく見てると、気怠そうな中年男性が近づいてきた。

 髪はボサボサで無精髭を蓄えたその風貌は汚らしいオッサンとしか形容できなかいだろう。

 しかし、その眼光は鋭い。

 それなりの修羅場をくぐった人物であることは見受けられた。


「悪いな。クソガキ共が迷惑かけちまったみたいで」


 心ここに在らずだった二人の頭を乱暴に撫でくりまわしながら、おそらく担当教師であろう彼は口頭による詫びを入れる。


「気にしなくていいよ。そのお陰でこっちは良い拾い物ができたしね」

「拾い物? ああ、コイツを育てることにしたのかアンタ」

「うん。彼は絶対強くなる。素質も良いけど彼の心根にグッときたね」


 八神が目をつけたのは、かすんで見えるような遠くから一瞬で接近する敏捷性。

 努力を惜しまない気質。

 そういった素質面もそうだが、何よりもその向上心だ。


 雨戸と出会う前に彼が以前から特務課に憧れていたことを聞いたのだ。

 彼らの活躍を見る度、憧れを強くするとともに挫折し続けていたことも。

 そして、そんな憧れに認められて嬉しかったことを。


 それを聞いた彼女はさらに確信を強めた。

 彼は絶対に強くなる、と。

 同じ学園の生徒ではなく、その遥か上に位置する特務課ばかりを見て、ただひたすらに努力を重ねてきたことは一概に良いこととはいえない。

 上を見上げすぎても余程の鬼才でない限り、その技術の一端すら盗めないからだ。


 だが、大事なのはそこではない。

 遥か上を見上げ続けたからこそ得たものもある。


 挫折に負けない心だ。


 何度も何度も折れて、その度に立ち上がってきた不屈の心が彼にある。

 挫折を繰り返し続けて、諦めかけていた時期もある。

 だけど、憧れに認められた今、もう彼が折れることはない。

 不屈の心を真の意味で手に入れた彼が諦めて膝を屈することなどもうないのだ。

 それは、どんな紋章よりも、才能よりも、頭脳よりも貴重な、風早だけの財産なのである。


「そうか、良かったな。ずっと憧れてた奴らに認められてよ」


 乱暴に撫でられて目を回す風早を見る彼の目は優しげで、大事にされていることがうかがえた。


「で、でも、まだまだこれからです。八神さんの期待に応えて、もっともっと強くなって! 他の特務課の方達も全員認めさせてやるんです!!」


 その青臭い宣言に頬の緩みが抑えきれない八神は手で顔を隠して静かに悶える。

 青春を経験していない彼女に彼の青臭さは耐えきれなかったのだ。


(何この子可愛すぎでしょ!)

(この人、恋愛感情というよりは弟を可愛がる姉みたいな親愛だと思うけど、いつどう転ぶか分からなくて怖いなぁ)


 “要警戒”、と心のメモに留める雨戸であった。

 そうして話していると、遠巻きに見つめていた生徒たちの間から一人の少年が歩み出てきた。


 眉間に深い皺が刻まれた鋭い目つきの少年だった。

 右のこめかみに傷跡があり、襟足が肩まで伸ばされている。

 彼の名は宍戸ししど翔磨しょうま

 動物格:豹の紋章を持つ大会出場者十二名の内の一人である。


「テメェ、俺にも勝てない雑魚の分際でよくも吠えたな。ア゛ァ?」


 そうして風早を威嚇する少年の頭部からは半端ない量の血が流れていた。


「いや、そんなことより止血しないと死んじゃうってぇ!!」


 慌てて八神は宍戸に駆け寄って紋章術による治療を行う。


「いらねぇよ。んなもん唾つけときゃ治る」

「どこの部族の教えよそれ。唾つけても治らないからね。黙って治療受けてなさいバカ」

「チッ」


 悪態を吐きながらも口答えするだけ面倒だと判断した宍戸は治療されながら風早に話しかける。


「テメェにだけ教育担当がついてるとでも思ってんのか? 特務課職員に教えられりゃ俺らにも勝てるってか? ハッ! 笑わせんな!! 教育担当がついてるのは全員同じだ。条件が同じだってんなら結果なんざ火を見るよりも明らかだろうが。テメェがどう足掻こうが、トーナメントに出場する誰にも勝てやしねぇんだよカスが!」

「口が悪いなぁ」

「痛ってぇ!!」


 悪態ばかり吐く悪い口を矯正するために、頭に巻いていた包帯をギュッと引き絞っておきゅうえる。

 だが、風早も言われてばかりではない。


「確かに、僕は大会出場できることすら奇跡みたいだよ。今のままじゃ他の十一人の誰にも勝てないと思う。でも、それでも僕が勝つ! 君たちが強くなるよりももっともっと強くなって! 僕が優勝するんだ!!」

「テメェが優勝するだと? 俺だけじゃなく、総長もぶっ倒すってのか。……上等だ。テメェだけは俺がぶっ潰す」


 さっきまでの吠え散らかしようが嘘のように急に静かになった宍戸。

 彼は再び遠巻きに見守っていた生徒たちを掻き分けて自主練習に戻っていった。


「なんかブチギレてたけど、地雷踏んじゃった感じ?」

「……そうだね。彼にとって総長。篠咲先輩は神様みたいな存在だから。その人を倒すって暗に言った僕に怒ったんだと思う」


 宍戸翔磨は中学時代いじめられていた。

 特に理由はない。

 ただ弱そうな奴がいたからいじめられた。

 そうしていじめられる日々を過ごしていたある日。

 篠咲がいじめから救ってくれたのだ。

 いじめっ子達を瞬く間にボコボコにした彼は、


『いじめられたくなきゃ強くなりなよ。俺が側にいる時は守ってあげる。だけど、結局は君が強くならなきゃ何も解決しないよ』


 その時を契機に彼は篠咲に心酔した。

 同時に、彼の横に並び立てるように強くなると誓った。

 今度は守られるのではなく、その背を預かれる漢になるために。


 その話を聞いた八神は“そっか”、と呟く。

 ただの暴れん坊ではなく、彼には彼の信念があったのだ。

 だけど、それが負けてやる理由にはならない。


「あいつは強いぞ。そして、あいつよりも強い奴も何人もいる。それでも、頑張れるのか?」


 一人輪から外れて、訓練を続ける宍戸を遠目に見ながら、彼らの担当教師はその覚悟を問う。


 強敵は宍戸だけでない。

 学生会長の染谷そめや一輝かずき

 射撃部部長の吉良きら赫司あかし

 紋章高専唯一の自然格紋章者日向ひゅうが夏目なつめ

 昨年の大会優勝者である柳生やぎゅう寿光としみつ

 彼らは頭一つ抜けているが、それ以外のメンバーも全員が今のままでは勝つことの難しい強敵ばかりだ。

 

「うん、もう、僕は折れないから!」


 だが、少年は折れない心を手に入れた。

 飽きる程の挫折を経て、一度は諦めかけた憧れに認められる程に追い縋れていたことを知った。

 今はまだ勝てなくとも、未来は神様でさえ分からない。

 彼が高専最強の名を手土産に特務課の門を叩く日も、そう遠くないのかもしれない。

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