第30話 父娘、暫し別れの刻


 黄金に輝く天空はほころび、煌びやかに輝く破片となり崩れ落ちてゆく。

 理想郷を想起させる幻想的な草原。

 世紀末を想起させる退廃的な荒野。

 それらがいびつに入り混じる大地にも所々に綻びが見え、塗り潰す前の研究施設の無機質な床が顔を見せ始めている。

 そして、そこに君臨する二柱の人外。


「おめでとう。よく戦った。そして、よく乗り越えたね」

「貴方とミカのお陰でね。正直、誰が欠けてもこの結果は勝ち取れなかったよ。本当にありがとう。お疲れ様」


 ミカエルは満身創痍であった。

 天界で兄の次に美しいと讃えられた両翼は無惨に斬り刻まれている。

 左目も潰され、左腕は肘から先が抉り取られていた。

 そして、その傷口を中心に身体が罅割ひびわれて、周囲の空間と同じく光の粒子となり空に溶け出していた。


 対する八神は五体満足。

 かつて天界で最も美しく尊いとされた翼は健在であり、その背には星の光が如く輝く光輪が転輪している。

 左眼は清廉な天の神性を象徴する黄金の瞳。

 右眼は邪悪な魔の神性を象徴する真紅の瞳。


 これこそがルシファーを調伏ちょうぶくして獲得した彼女の新たな力。

 天と魔を統べる全能としての姿。

 そして、両者の姿こそがミカエルが文字通り全てを掛けて築いた結果を示す。


「本当に疲れたよ。あの兄上を相手に君の身体を傷つけないようにしながら耐久するなんて無理ゲーもいいところだ。正直二度と御免だよ」


 それでも彼は成し遂げてみせた。

 八神を傷つけずに天魔を相手に耐え抜くという、誰もが不可能と断じる偉業を成したのだ。


 ミカエルは心底草臥くたびれた様子でありながら、くしゃっとした笑みを浮かべる。

 その様から彼の人の良さを感じとった八神は苦笑いする。


「僕の娘を頼んだよ」

「うん、任せて。……それと、最後にその娘さんから伝言だよ」


 身体をむしばひびの侵食が進み、直ぐにでも光の粒子となって散ってしまいそうになる。

 現世との繋がりを保つ為の魔力すらとうに尽きてしまっている彼はただ、娘のように想っている少女の言葉を聞き遂げる為に、意思の力だけで身体の崩壊に抗う。


「今までありがとうございます。暫しのお別れですが、必ずまた会いましょう。お父さん」


 八神の口を借りて出たミカの言葉に、自身の祈りは確かに通じていたのだと、八神の中で彼女はまだ生きているのだと確信した彼は静かに涙を零す。


「ああ。また会えることを祈るよ」


 そう言って、八神の身体を借りて涙を零す愛娘の頭を最後に優しく撫でると、彼は光の粒子となり空へと溶けていった。


「……うん、絶対に。また、……会いましょうね」



    ◇



 ミカエルが光の粒子となり暫しの別れを惜しんでいたその時。

 水を差すかのように人工音声アナウンスが室内に響く。


『転送システムが作動しました。対象範囲B12F 第二試験戦闘室全域。対象範囲を閉鎖します』


 機械音声のアナウンスに従い出入り口のドアが厳重にロックされる。


「……本当に空気の読めない組織!」


 ミカから身体の主導権を交代した八神は涙を袖で乱雑に拭い、先程厳重にロックがかかったドアへ向けて八つ当たり気味に掌から光弾を放つ。


 だが、光弾はドアに当たった瞬間拡散されてしまい、傷一つつけられなかった。


「またよく分からない超技術を使って——!」

『転送開始五秒前』


 遂にカウントダウンが開始する。

 先のミカとの戦闘で消耗してしまっている八神には、未来を見る力すら残ってない。

 故に、何の意図があって転送されるのかは分からない。

 けれど、ロクな目に遭わないことだけは目に見えている。

 

『四』


 最後の力を振り絞って全力の一撃でぶち破ろうと考えた彼女は腰を落として、残る僅かな魔力全てを右腕に集める。


『三』


 これでぶち破れなければまたデリットの玩具にされる。

 こんどこそ、一人の人間として生きられる未来は絶たれてしまうだろう。


『ニ』


 でも、そうならない為にここまで頑張ってきたんだ。

 そんな未来を打ち砕く為に、最後の瞬間まで足掻あがくのだ。

 だから、弱音など吐いている暇は微塵もない。


『一』


 転送開始寸前で準備が整った彼女の鋭い一撃がドアへ放たれる。


 その直前、プシュー、という軽い音を立ててドアがいとも簡単に開く。

 その先から、ルークに肩を貸して歩くじんが現れた。


「イエーイ! 助けにきたよ紫姫えぼふぁッッ!!???!?!」


 そして、ドアを破壊する気で溜めに溜めて放った一撃はドアには当たらず、その先から現れた静の顔面を捉える。

 強固なドアを破砕する気で放った一撃は静の頭を情け容赦なく木っ端微塵に吹き飛ばす。

 ああ、無惨。

 

「死ぬかと思った!! ていうか自然格じゃなかったら死んでたよ今の!? ねぇ謝って!? 助けに来たのに頭木っ端微塵にされた私に謝ってぇぇ!!」


 木っ端微塵に吹き飛んだ静の頭は何事もなかったかのように元の形へと戻る。

 紋章術は自身の力を疑わず、信じ抜くことで物理法則を超越して自身の紋章が宿す概念を押し付ける性質を持つ。

 これを“超克ちょうこく”という。


 だが、ドアを破壊するだけならば物理法則を歪める必要はないので、幸いなことに超克は使っていなかったのだ。

 使っていれば今頃ミンチより酷い惨状になっていたことだろう。


 故意ではないとはいえ、流石にこれは洒落にならないので八神は素直に頭を下げて謝罪する。


「ごめんなさい。焦ってたから止められなかった」

「よろしい! 私ももう仕事終わったと思って思いっきり油断してたのも悪いし」


 静はルークに肩をかしながらもえっへん、と胸を張るという器用な真似を披露する。


「え、終わったってことは鮫島ももう捕らえたの?」

「土御門が捕らえたみたい。ついでにデリットが作ったエンドレスっていう生物兵器も天羽隊長が生捕いけどりにしたって報告が来てるよ。地下研究施設も研究資料回収後に全部破壊しといたから後は帰るだけ。ちなみに転送システムも解除しといたよ」

「俺がな。それと敵地で油断する神経は理解できないわ」


 まるで全て自分の手柄かのように話す静にぐったりとしたルークが力なく言葉を挟む。

 転送システムの解除などという芸当が静に出来るはずもなく、こればかりはルークが雷の紋章術でシステムをハッキングして解除したのだ。


「紋章封じられたくらいでバチボコにやられて捕まってた奴のセリフとは思えないわね。土御門には通じなかったらしいわよ。あのジャミング装置」


 静の言葉を受けて、ルークはうッと言葉を詰まらせるも、苦し紛れの言い訳を放つ。


「彼奴の魔力操作技術は常軌を逸してるから例外中の例外だろ。普通は範囲外に逃げるしか対処しようがねぇよ」

「私は素手でボコったけど」

「パワードスーツ着た奴を魔力なしのステゴロでボコれるお前も大概おかしいよ」

「たぶん私もボコれると思うけど」

「くっそ、脳筋しかいねぇのかよ……」


 そう、たわいもない会話をしながら三人は地上への帰路に着いた。


 その時、ルークが電気系統を破壊したため、ジャミング機能が失われて通信機能が回復したのか、通信機に音声が届く。


 全てが終わった。

 そう思っていた彼女らの気を引き締めるに足るマシュの切羽詰まった声が。


『アジト上空に超高出力のエネルギー反応を検出!! 今すぐにそこから逃げて!!!』

紫姫しき!!!」

 

 静が即座に空間転移をする様に八神に呼びかける。

 だが、それを行うだけの魔力などもうない。


 紋章絶技を発動するべきだと判断するも、


 微かに覚えのある河川敷の暖かな人々の記憶。


 厄介者である彼女を受け入れてくれた特務課第五班の面々との思い出。


 新しく出来た最愛の妹との出会いの記憶。


 失いたくない、脳裏に過ぎる大切な思い出たちが決断を鈍らせる。

 

 そして、僅かな逡巡しゅんじゅんを待ってくれるほど、現実は甘くはない。


 その身は眩い光に包まれる。

 意識は極光に塗りつぶされた。


 遥か高空。

 成層圏の更に向こう側。

 衛星軌道上から照射された破滅の光は地上四〇階層、地下十二階層からなるデリットのアジトを纏めて消し飛ばした。

 その後には瓦礫すら残らない、底の見えないポッカリと空いた闇だけが虚しく残った。

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