第29話 全ては世界を救済する為に



 オフィスビル最上階。

 ガラス張りの壁面から東京の街並みを一望できるその一室は荒廃していた。

 室内は至る所がひび割れ、クレーターさえ刻まれている。

 辺りに散らばった、室内を彩る家具装飾品の成れの果てが、その一室で起こった戦闘の激しさを物語る。


 土御門つちみかど天羽あもうと別れた後、階段を駆け上がって鮫島のいる最上階を目指していた。

 道中、一〇〇人余りのデリット戦闘員に道を阻まれるも、呪術を駆使して瞬時に戦闘不能にすることで、比較的スムーズに目的地まで到達することができた。


 だが、鮫島が待ち構える室内にはジンに用いられたものと同様のAMFアンチ・マジック・フィールドが展開されていた。

 道中道を阻んだ戦闘員は土御門を打倒するというより、彼の魔力の波長データを取るために配置されていたという側面が強かったのだ。

 その際に採取したデータを元に、土御門の紋章を無力化する場を整えられてしまっていたのだ。

  

 そして、対する鮫島の身体は、およそ九〇パーセントを機械化したサイボーグ。

 その身は並の動物格の紋章者すら凌駕する身体性能を誇る。

 出力を抑えることで小型化に成功した、腕部に搭載した小型ガトリングレールガン。

 脚部に搭載した真空の刃を生み出す“風刃”。

 莫大なエネルギーを生み出し続ける核融合炉。


 それらを備えたサイボーグに対し、相手は紋章を封じられたただの人間。

 少々鍛えていようが機械の力の前には無力。

 例え異常なまでの技術があろうと、自身に搭載した演算装置によって即座に模倣、対処が可能。

 力でも技術でも勝るこの状況で負ける要素などあるはずがなかった。


 と、能書きを垂れるのはこの辺りでいいだろう。

 結論から言うと、地に伏すことになったのは鮫島であった。

 

「……分からない。どうして私は敗北したのだ」

「そりゃ僕が規格外やっただけの話や。そもそも、君がこの部屋に展開してる魔力波、僕には通じてへんし」

「なんだと……?」


 彼が力でも技術でも劣る絶体絶命の状況を乗り越えられた理由は実に単純なものだった。

 素の身体能力が超人的だったというわけではない。

 ベクトルすら自在に操るという神の領域に踏み込んだ技術で乗り越えたじんと同様、神がかった技巧によるものでもない。

 そもそもの紋章を封じられているという前提を覆したのだ。


「確かに最初はビックリしたで。機械で内在力場ないざいりきばを掻き乱して、紋章術どころか魔力放出すら困難にさせるとか凄いこと考えはるわってな。でも、それだけ。僕ほどの術士には無意味やよ。魔力波で内在力場を乱されるなら、逆位相の魔力波で相殺したったらいい。内在力場を乱されてようと、僕なら魔力を暴走させんと精密操作するくらい朝飯前やし。僕、天才なもんで」


 言葉にしてみれば簡単に聞こえるが、実際にはライブスタジオで心臓外科手術を行うような曲芸に等しい神業だ。


 土御門晴明。つちみかどはるあき

 彼が過去の英雄に並ぶほどの才気と精神力を持つが故に成し得た御技みわざである。


「そんなことより、君には聞かなあかんことがぎょうさんあんねん。まず、君らの目的は結局なんや。人の身にて天上に至る者とは何で、それを創って何がしたかったんや」


 結局の所、デリットについては現時点でほとんど分かっていない。


 project Lで八神を創り出したこと。

 人の身にて天上に至る者というキーワード。

 天使という概念に執着しているであろうこと。

 アトランティスから離反してまでやり遂げたかったことがあるということ。


 これだけの情報しかないのだ。

 

「……我々……、いや、私の目的は人類の救済だよ」

 

 自身の敗北を認めた鮫島は滔々とうとうと全てを語り出す。

 まるで、語るべき時が来たとでもいうように。


「人の身にて天上に至る者とは、文字通り人の身でありながら神となる者を指す。つまり、八神紫姫やがみしき。彼女のことだよ」


 最初は失敗だった。

 人の身にて天上に至る者。

 つまりは、現人神あらひとがみを創ろうとしたproject L。

 この計画は神の入れ物足り得る強度を持つ被験体の作成には成功した。

 しかし、紋章覚醒を成し得る魂魄こんぱく強度の構築に失敗したことで計画は頓挫とんざした。


 唯一神に等しい力を持つルシフェルの全力を受け止めるには、人の魂魄強度はあまりに脆弱すぎたのだ。

 数々の非道な実験を、数々の残虐な訓練を行うことで漸く覚醒させたルシフェルの力は、人間の魂で受け止めるにはあまりにも強大すぎた。


 紋章が覚醒すると共に八神の意識はルシファーの意識に塗り潰された。

 意識が表出したの天魔は、自身の力を大義があるとはいえ、あまりにもプロセスがくだらない実験に利用されていたことを激怒して研究所を破壊。


 その後は、任務で訪れた土御門によって覚醒した紋章を封印され、彼がデリットの雇った殺し屋と戦っているうちに意識を取り戻した八神は逃亡した。


 逃亡する最中、検体逃亡の責を負わされる事を恐れ、狂乱に陥った研究員が紋章抽出装置を用いて記憶を奪う事で逃亡を阻止しようとした。


 しかし、紋章を半分——つまり記憶を半分——奪ったにも関わらず、奇跡的にも逃亡に必要な記憶は無事であったようで逃げられた。


「だが、失敗したからこそ本懐を遂げられた」


 彼女が逃走したからこそ。


 狂乱に陥った研究員が偶然近くにあった紋章抽出装置を用いて、彼女の紋章の半分を抽出するという手段に出たからこそ。


 抽出した紋章を宿らせた新たな被験体——ミカ——を作成し、彼女に宿らせたルシフェルと親和性の高い、大天使ミカエルの力を利用することで副作用なく八神の魂と合一することに成功したのだ。

 こうした幾つもの偶然。

 作為的にすら思える数々の奇跡が重なることで成し得たことだ。


 結果的にルシフェルとルシファー、二つの側面を二つの魂によって、負担を分担することで足りなかった魂魄強度は補う事ができた。

 今はまだルシファーの全力に耐えることはできない。


 しかし、時と共に彼の力が馴染めばいずれは全能としての、天魔ルシファーとしての全力をふるえる存在となるだろう。

 こうして未だ未成熟ではあるが、現人神を創造することに成功したのだ。


 その話を聞いた土御門は疑問に思う。


(そんな偶然が立て続けに起こるわけがない。Project Lには何者かの意図が介入してるのは明らかや。……けどどうやってや? 概念格:奇跡やら偶然の紋章者でも介入した言うんか? だとしたらルシフェルの紋章者が八神じゃないとあかんかった理由は他にあるはずや)


 鮫島の言う通り、偶然に偶然が重なってミカと合一した八神が現人神になる素養を獲得したというのなら、逆説的に言えば、その偶然に介入した何者かは数々の偶然、奇跡を起こしてでも八神を現人神にする必要があったというわけだ。


(八神にはこいつすら知らん何かが隠されてる言うことか?)


 それが何かは検討もつかない。

 八神が現人神になることで利を得る何者かが紋章術で数々の奇跡を起こしてみせたのか。

 将又はたまた、八神でなければ現人神にはなれない理由があるからこそ、数々の奇跡を起こしたのか。


 これ以上は現状の判明要素では推察の域を出ないと判断した土御門は話を戻すべく、再度同様の質問を行う。


「で、なんで現人神を創ろうとしたんや」

「言っただろう。人類を救済する為だよ」


 全てはそこに帰結するのだ。

 非道な実験を繰り返し、手段を問わず八神を追い回していた組織とは思えない言動に精神の異常すら疑われる。

 けれど、その眼は真に理想をうたう確固たる信念を持つ者の眼であった。


「近い将来、世界を脅かす厄災が降臨する。レート7の実力者や君達世界有数の強者、このことを私だけに伝えた救世主だけでは乗り越えられない厄災が」

「仮にそんな厄災が訪れる言うなら八神一人増えた所でどないしようもない思うけど」

「単純な実力ではない。運命力と彼は言っていたな。定められた宿命を穿つ特異点。それが彼女であると。そして、彼女を生み出せるのは我々だけで、彼女のいない未来は必ず破滅するとも」

「そのまるで幾つもの世界の終わりを実際に見たような口振りのやつは一体何者なんや」

「……それだけは言えないな。まだ、言うべき時ではない。だが、いずれ知ることになる。そして、覚えておくといい。表面上でいくら彼が非道で悪虐に見えようとも、彼だけは絶対に我々人類の味方であることを」


 その言葉を最後に鮫島は奥歯を噛み締める。

 瞬間、生命活動を停止する。

 奥歯に内蔵された緊急用の自決装置により、己が動力源である核融合炉を停止させたのだ。


「……自分の役目は終わったってか。チッ、満足げな顔で逝きおって……」


 数々の悲劇を生み出してきた極悪非道な組織の頭の最後とは思えない、晴れ晴れとした表情で男は息を引き取った。

 彼の中ではその行い全ては世界を救うという大義の下、正当化されたわば正義の行いだったのだろう。


 その目的が崇高なものであろうと、数多の悲しみと怨嗟の上で積み上げられた救いになど意味はないというのは綺麗事に過ぎないのだろう。

 現行社会における平和など、その殆どが戦争という悲劇の上で成り立つしかばね楼閣ろうかくなのだから。

 だけど、そう理解していても認めるわけにはいかなかった。


「僕らがそれを認めてしもうたら、この世に救いなんてもんはホンマになくなってまうからな……」


 数多の悲劇の上に立つ血みどろの平和だからこそ、これから先同じことを繰り返す訳にはいかないのだ。

 誰かの悲しみ。

 誰かの怨嗟。

 そういった悲劇ではなく、人々の喜びや希望の上に成り立つ理想郷を目指すのが我々公務員のお仕事なのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る