第28話 人間が持つ魂の輝き



「精神世界で夢を見るというのはどういう気分だった?」


 絶対的王者としての覇気を纏う声が耳に入り、八神とミカの意識が覚醒する。

 天魔ルシファーとの熾烈な戦いの中。

 荒れ果てた荒野へと変貌を遂げた、黄金に輝く理想郷に彼女たちはいたはずだ。


 なのに、目が覚めたような感覚を自覚して周囲を見渡すと、そこは戦いが始まる前にいた王城の大広間だった。


 ルシファーの一撃によって跡形もなくなったはずの王城は元の綺麗な様相を保ったまま。

 天井には豪奢ごうしゃなシャンデリアが空間に彩りと温もりを与えている。

 床に敷かれたレッドカーペットが座り込んでいた彼女たちをその滑らかな質感で優しく受け止める。


「今までのは、……夢?」

「まさか、最初から手玉に取られていただけだというのですか……!?」


 ルシファーを死闘の末に倒した。

 しかし、それは彼にかけられた幻術による夢であった。

 彼に傷一つつけられていないどころか、勝負の土俵にすら上がれていなかったことに衝撃を受ける。


 それでも、彼女たちの眼には尚も闘志が宿っていた。

 彼女らの敗北は即ちルシファーの受肉。

 そして大勢の人々の鏖殺おうさつを意味すると、強く理解しているが故だ。

 そしてなにより、彼女たちは生来の負けず嫌いなのだ。


 今度こそ不覚は取らないと、紋章術を展開しようとした時だった。

 ルシファーが玉座に鎮座しながら手を掲げてそれを制止する。

 それだけで彼女たちは紋章術が使用不可となり、強制的にひざまずかされる。


「そうくな。貴様らを殺すつもりなど最初はなからない。愚民どもを鏖殺する気も……あるが、今はやめておいてやろう」

「どういう心変わり? 貴方は私の身体を乗っ取ることで受肉したかったんじゃないの?」

「心変わりなどしておらん。いていうなら、貴様を通して世界を見ることで変えられたのは事実であるがな」

「私を通して……?」

しかり。貴様を通して俺様は世界を裁定していた。俺様が仕えてやるに相応しい魂の輝きを持つ人間がいるか。将又はたまた滅びを与えることこそが救いとなる肉人形しかいないのか、な」


 ルシファーはかつて、天界にて自身の創造主である唯一神に、神の写身うつしみたるアダムとイヴに仕えろと命じられた。

 それに対して、“神に等しい力を持つ自身が何故泥人形風情に使えなければならない”と憤慨ふんがいし、神に反旗をひるがえした。


 だが、愚弟たるミカエルに敗北し、地獄界へ堕とされる。

 そして、地獄界を統治する中で一つの考えが浮かんだ。


 恥も知らず、知恵も持たない泥人形如きに仕えるなど業腹ごうはらでしかない。

 だが、知恵持つ生物『人間』、その中でも一際輝きを放つ者ならばならば仕えるのも一興ではないか、と。


 そう考えたルシファーは奸計かんけいろうする。

 聖書にも記述される通り、蛇に化けてイヴに智慧ちえの実を食べるようにそそのかしたのだ。


 知恵の実を食すことは天のことわりによって禁じられている。

 それを犯したイヴは唯一神の庇護があれど、それでも庇いきれず断罪されることとなった。


 そして、イヴを大切に想うアダムが彼女の断罪を見過ごすわけもない。

 自身も同じ罪を犯して、共に天界を追われる道を選ぶことは容易に推測できた。

 否、ルシファーには既にその未来が見えていた。


 そうして、知恵なき泥人形に知恵を与えて『人間』を創り出し、自身が仕えるに相応しい『人間』が現れるのを彼は待った。

 過去、現在、未来の全てを見通す彼にすらその『人間』が現れる未来は見えなかった。


 しかし、自身の力を宿すこととなる少女の存在は見えた。

 故に、彼は少女に世界の命運を預けることにした。

 少女こそが仕えてやっても良い主人としての器を持ち得ていなければそこで見切りをつけて、世界に終わりを与える、と。


「そして、社会に爪弾つまはじかれながらも人間にあるべき輝きを失わない者たちを、高潔な魂を持つ英傑を、後悔をしない為に無限の研鑽けんさんを積む修験者を」


 八神の眼を通して見た彼らの魂は、彼らの生き様は、何よりも尊く輝いて見えた。


「なにより、人間の傲慢さから生まれ、狂気と悪意によりはぐくまれながらも、人間としての輝きを示した我が主を見た」


 そう言い放つ彼の眼は、地獄の王とは思えないほど穏やかで優しげな眼差しだった。


「過去、俺様は神に似せて創られた泥人形をゴミと称して奸計かんけいすらめぐらしておとしめた。だが、数千年の時を経て貴様に宿り、人が持つ魂の輝きを見たことで俺様の考えは変えられた」


 玉座から優雅に立ち上がり、ゆっくりとした歩調で歩み寄る。


「俺様の威光を浴びるに相応しき人間もいるのだと。主人と認め、支えてやっても良いと思える人間がいるのだと言うことを貴様に教えられた」 


 ぽふっと、八神の頭に冷たい手の感触が乗る。


「光栄に思え我が主人よ。貴様は全知全能であるこの俺様に新たな智見ちけんを授けた唯一の人間だ」


 八神はありえないことが立て続けに起きて現実感を得ないまま顔を上げる。

 そこにはどこまでも穏やかな表情で、床に膝をついて自身の頭を撫でる天と魔を統べる覇王の姿があった。


 あのどこまでも傲慢で、膝をつく姿勢で固定されて激怒していた人物と同一人物とは到底思えない。

 また幻術をかけられているのではないかと考えるが、その思考を読み切ったルシファーが先んじて言葉を放つ。


「俺様は森羅万象の頂点に立つ覇王だ。故に、膝をつくことを恥とする。ただ、貴様がその矜持を曲げさせる程の偉業を成しただけの話だ。誇りに思え」


 まだ現実感がなくぽー、とルシファーの顔を見上げる八神の横から一足早く現実感を取り戻したしっかり者の妹が話しかける。


「なるほど。納得がいきました。貴方は初めから彼女を主人と認めていて、先の戦いはどこまで自身の力が馴染んでいるかを確かめる為のものだったのですね」

「何故、そう考えた?」

「貴方は初めから彼女のことを未熟者と称していました。裏返せば未熟ではあるものの、主人としての資格は得ているということでしょう? では、主人と認める彼女、そしてそれを支える私とどうして戦う必要があったのか。それは先述の通り、彼女にどれだけ自身の力が馴染んでいるか確かめるため。どれだけ自身の力を預けても身体が耐えられるのか、その分水嶺ぶんすいれいを測るため。だから、戦闘中遊びと称して私と紫姫を分断したり、裏をかかれる未来が見えていながら私だけを先に潰したのでしょう。

大方、受肉だの鏖殺だのと言っていたのも、本気を出させる為の方便だったのではないですか?」


 その通りだった。

 彼女が述べる通り、八神の中で彼女の在り方をずっと見続けてきた彼は、既に八神のことを未熟ではあるものの、主人たりうる器であると認めていた。


 先の戦闘にしてもそうだ。

 自身の力をどこまで預けて良いか測るためのものであった。

 負ければ受肉して人類を鏖殺すると言ったのは本気を出させる為の言葉でしかなかった。


 そう考えたミカであったが、真実は少し違った。


「貴様の考える通りだとも。しかし、二つ誤りがある」


 穏やかだった表情はなりを潜め、覇王としての風格が蘇る。


「嘘でも方便でもなく、もし、貴様らが負けていたなら俺様は受肉し、世界を滅ぼしていたとも。

そして、俺様の見通す未来をも越えて俺様を打ち倒したのは貴様らの実力だ。あの時、あの一瞬だけとはいえ、貴様らは全知全能たる俺様の見通す未来を越える未来を見ていたのだ」


 未来とは可変である。

 ほんの些細なことで万華鏡が如くその様相を変えて分岐していくものだ。

 ルシファーや八神に見える未来も無限にある可能性の中から確度の高い未来を無意識下で選びとって見ているだけ。

 それが確実にその通りになるわけではない。


 時には99.9%の未来ではなく、0.1%の未来が選び取られることだってある。

 あの時、あの一瞬だけだとしても、ルシファーの見た99.9%の未来を、彼女たちの奮闘が、想いが、才能が、努力が、……0.1%の未来を引き寄せたのだ。 


「じゃぁ、あの時私たちは実力で貴方に勝てたっていうこと?」


 漸く現実感を取り戻した八神の澄んだ黄金の瞳が天魔を映す。

 彼女の心には不安があったのだ。

 ルシファーに勝てたのは、彼が初めからそういうシナリオを描いていたからではないのか、と。


 だとしたら八神には屈辱でしかない。

 そんな理由で勝てて、何もかもが上手くいっても納得なんてできない。

 そんなもの、結局は終始彼の掌の上で弄ばれていただけじゃないか。

 ルシファーはそんな彼女の心を察した上でそのもやを払拭する。


「そうだ。当然、初手で幻覚にかけられた以上、総評としては貴様らの敗北ではある。だが、その幻覚の内における戦いでは力を制限こそすれど、本気は出した。負けてやるつもりなど毛頭なかったとも。それに勝てたのは貴様らの実力という他になかろうよ」


 現在いる八神の内側、精神世界で戦えば魂の消滅という、現実世界の死よりも大きな危険性があった。

 勿論、無限の存在であるルシファーならば魂が消滅しようと再構築可能ではある。


 だが、人間としての輝きを宿す光輝な魂に手を加えてしまえば、それは手垢のついた人工的な輝きとしか見れなくなり価値はなくなる。

 そう考えた彼はわざわざ精神世界において、魂から意識のみを切り離すことで、仮想空間で先の戦闘を行うことにしたのだ。


 そして、その世界で真の無限としての存在格を解放してしまえば、それだけで仮想空間に切り離した意識を押しつぶしてしまう。

 故に、彼は本来の力を無限に分割することで人類が理解できる有限にまで存在の格を墜としていた。


 その上で自身の神性を分割することで、神格も神に等しいものから星霊クラスまで矮小化していた。

 仮想空間内で開放した無限としての存在格など、所詮は人間の理解できる範囲での仮初の無限でしかなかったのだ。

 だが、力を制限していようと、その力の全てを賭して戦い抜いたのは順然たる事実である。


「そっか……。本当の実力の貴方に勝ちたかったってのが本音ではあるけど、今はそれで満足しておこうかな」

「フフフ、傲慢ですね。私のお姉ちゃんは」

「クハハ! 全くだ。だが、それでこそ俺様の主人に相応しい」


 口元を抑えて上品に笑うミカと威風堂々と高笑いするルシファーにムッとした表情をする。

 だが、二人の笑う姿を見て、なんだか自身も笑けてきて笑みを溢す。


 だが、笑いながらあることに気づく。

 彼女の耳は確かにそれを逃さなかった。


「ねぇ! 今私のことお姉ちゃんって言った!? 言ったよね!! ねぇもう一回! もう一回呼んで!! ねぇ、ねぇ!」


 鼻息荒くミカに躙り寄る。

 正直、“流石にウザイ”と内心思いながら引きった笑みで“ハイハイ、落ち着きましょうね。紫姫・・”とぞんざいにあしらう。

 主人と認めた少女の痴態に溜め息を吐きながら、ルシファーは彼女の頬を手で挟むように鷲掴わしづかむ。


「騒ぐな愚か者が。それよりもこれからの話をするぞ」

「ふぉれはら?」


 頬を掴まれたまま変な応答を返す八神をそのままに、ルシファーは話を始める。


「まず、紋章の覚醒能力についてだが、全ての力を解放してはまだ貴様の器が耐えられん。故に、有限の存在格における全能たる力まで解放してやる。ついでに八振りの紋章武具も再構築して異空間に放り込んでおいてやるから好きに使うといい。だが、無限の存在格だけはお預けだ」


 先の戦いを通してルシファーが見通した結果がこれだ。

 彼の見通しでは現在の八神では唯一神に等しい彼の力を扱うには魂の強度が足りない。

 現状で全権能を解放してしまえばそれだけで八神の魂は消滅してしまうだろう。


 なので、少しずつ慣らす必要がある。

 その為に制御可能な、有限の存在格における全能たる力まで解放することで、ルシファーの力に慣れさせようという訳だ。


「それと、ミカ」


 頬っぺたを鷲掴みされてひょっとこ顔のままだった八神の顔から手を離すと、少しだけ真面目な雰囲気を取り戻す。


「我が主人の為にも貴様にはこのまま我が主人の中で支えてやって欲しいのだが、構わないか?」

 

 ルシファーの有限の存在格における全能を獲得した八神ならばミカの肉体を構築し、そこに自身の内に宿るミカの魂を分離して宿すことも可能だ。

 つまり、生き返らせることができる。


 だが、ルシファーとしてはこのままでいて欲しかった。

 ミカが共にいれば魂の強度が上昇して、より早くルシファーの力が馴染む。

 なにより、彼女を精神的に支えてくれる無二の存在となり、彼女の成長を促してくれると考えている為だ。

 そして、その考えはミカの中にも既に浮かんでいたものだった。

 故に、答えは既に決まっている。


「構いません。今の彼女には私が必要でしょうから」


 生身の身体を得て、自由な生を謳歌することに未練がないといえば嘘になる。

 だけど、それ以上に彼女を支えたいと思ったのだ。


 自分より先に生み出された同型機。

 姉のような存在であるのに、ノリが軽くて何処か頼りない妹のような存在でもある彼女。


 諦めが悪く、他人に興味がないくせに一度懐に入れれば情に厚い彼女。


 会って間もない。

 ただ自分の同型機で、妹のように感じられたからという理由だけで命を掛けて救おうとしてくれる心優しい彼女。


 八神がミカを救いたいと思うのと同じく、ミカも八神のことを妹のような姉のように想い、支えたいと思ったのだ。


 その想いは八神も理解している。

 太陰太極図たいいんたいきょくずのように魂が混じり合うように結合しているからこそ、その考え、想いも通じ合うのだ。

 だから、彼女に譲る気がないことも理解していた。


「うん。今はありがたく頼らせてもらうよ。でも、時が来たらきちんと救わせてもらうからね」

「頑固ですね。もう」

「お互い様だよ」


 お互いの共通点を見つけて笑い合う様は本当の姉妹のようだった。


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