第8話 初仕事
お洒落なレストラン、カフェ、スイーツ店等が軒を連ねる街並み。
それを貫くようにある道路を特務課の専用車両が走行していた。
日輪を背に翼を広げる
当然、ただのSUVではなく、ロケットランチャーや紋章者の攻撃だろうと数発は耐えられる装甲車並みの耐久性を誇るものである。
ただし、ただ耐久度が高いだけでは万が一攻撃を受けてドアが変形してしまった場合、鉄の棺桶となってしまう。
そういった事態を防ぐ為に、天井は一般車両と同程度の耐久性となっている。
いざという時は内側からぶち破るためだ。
そんな街中から戦場まで走り回れる高性能車両を凍雲が運転していた。
助手席では八神がイチゴシェイクを片手に歩道を歩む人並みを眺めている。
「平和だねぇ」
「さっき速度違反を取り締まったばかりなんだが?」
肘掛に持たれて、流れる景色を気怠げに眺めながらシェイクを飲む八神。
横から飛ばされる殺気を無視して一応仕事でもあるため、“なんかトラブル起きてないかなぁ”、と思いながら道行く人々を眺める。
自己紹介が終わった後、彼女は軽い事務仕事の研修を終えてパトロールを行なっていた。
時刻は午後四時。
通りでは、営業のサラリーマンやシフト制で平日に休みのある社会人、下校途中の小学生らがそれぞれの日常を平和に過ごしている。
かれこれ一時間ほどパトロールを行なっているが、先の速度違反の車両くらいでこれといったトラブルは見当たらない。
「平和であることに越したことはないけど、こうも何もないと眠たくなるねぇ」
「眠るのは構わんが、その前に一つ伝えておく」
「なに?」
「貴様の所持する紋章武具についてだ」
紋章は本来生物にしか宿らないものである。
しかし、紋章を周辺の肉ごと抉り取って利用することで武具に紋章の力を宿らせることが可能なのである。
こうして作られた武具は『紋章武具』と呼称される。
そして、紋章武具は紋章を抉り取る——抉り取られた紋章者は灰となり消える——という製造過程の残虐性から、製造、所持が国際的に禁止されている。
入職時の決闘では武具の持ち込みが禁止だった為使われることはなかったが、八神はそんな紋章武具に分類される、紋章を宿した刀を八振り所持しているのだ。
「紋章武具の所持は禁止されている。貴様の所持する物も本来なら国家に押収されるべき物だ」
八神の所持する物は研究所から逃亡する際にいつの間にか所持していたものであり、その出自が不明な物だ。
所持するだけでも違法なので、本来ならば八神も罰せられる所なのだが、ソロモンが裏で揉み消したお陰で罪に問われることはなかった。
とはいえ、それでも本来ならば紋章武具は国に返納しなければならないのだが、
「使用者が警察や軍部に所属する場合に限り、犯罪者から押収した紋章武具の所持を許可されている。この仕組みを利用して、班長が裏工作を行ったから紋章武具の所持権は貴様のままなんだ。後で礼を言っておけよ」
研究所から狙われている八神には自衛手段が必要だ。
彼女自身、強力な紋章者ではあるが、自衛手段が多いに越したことはない。
故に、彼女の身を案じたソロモンが上層部に根回しを行なって、紋章武具の所持権を勝ち取っていたのだ。
「そっか、そりゃ後でちゃんとお礼言っとかないとだね」
表で自身の背を押す言葉をくれただけでなく、裏でも身を護る為の工作を行なっていたソロモンには感謝の念が絶えない。
今まで人間の冷たい感情にしか晒されていなかった彼女は、温かい想いに耐性がない。
ソロモンは損得関係なく、迎え入れてくれた。
厄介ごとでしかない自身の身を案じて、陰ながら動いてくれた。
彼のそんな善性に思わず涙が溢れかけるが、凍雲にだけはそんな顔は見られたくなかったので必至に堪える。
(あぁ恥ずかしい恥ずかしい。こんな顔こいつに見られたら死ねるね)
特に、仏頂面で愛想のかけらも無い凍雲にだけは見られたくない。
バカにされるだなんて思ってはいない。
彼なら、何も言わずにに頭でも撫でてくれるのだろう。
だけど、それが嫌なのだ。
例えるなら、恋人や親友なら弱みを見せられても、悪友にだけは弱みを見せたくない。
これは、そういった感情なのだろう。
「ってあれ? なんでハンドル握ってないの?」
「今更気づいたのか。呑気な奴だ」
凍雲はハンドルから手を離してスマホを弄りながら、辛辣な言葉で返した。
その光景を見ていた八神は冷や汗を一つ垂らし、恐る恐る尋ねた。
「……この車って自動運転機能搭載されてたっけ?」
「そんなものはない」
「んじゃスマホ弄ってないでハンドル握れや!! ってカーブ!! 事故る!!」
カーブが目の前に見えているというのにハンドルを持とうとしない凍雲の体を強引に押し退けてハンドルをきろうとする八神だったが、
「ハァ!? 動かないんだけど! 壊れた!?」
ハンドルはまるで何かに固定されているかのようにビクとも動かなかった。
その間にも刻々と時間は進み、カーブは目の前へと差し掛かっていた。
「心配するな。何も問題はない」
凍雲のその言葉の通り、ハンドルが勝手に動き、カーブをなんの問題もなく曲がっていった。
「……説明」
怒り、苛立ち、殺意、色々な感情からこめかみをヒクつかせて説明を求める八神。
そんな彼女に仕方なくといった態度を隠そうともせず凍雲は話し出した。
「ほんの五分ほど前からこの車は何者かのジャックを受けている。敵の狙いは恐らく人気のない場所への誘導だ。現にどんどん郊外へ進み人気が無くなってきているだろう」
言われてみれば、と窓の外を見る。
お洒落なレストラン、カフェ、スイーツ店等が軒を連ねる街並みから一転。
古びたビルや家屋、中には空き地や廃ビルなどもちらほら見受けられる土地に移り変わっていることが分かった。
「で、人気のない場所へ誘導されるのは此方としても戦いやすいからわざと誘いに乗ってやってるというわけだ。理解したか?」
「じゃあ、スマホ弄ってたのは第五班のみんなに連絡取ってたの?」
「ああ、現状の報告、そして万が一の時の応援連絡を行っていた」
「説明しなかった理由は?」
「すぐに感づかないほど平和ボケしてるとは……」
肩をすかしてハッ、と鼻で笑った凍雲。
流石に腹が立って顔面に思いっきりグーパンを叩き込んだ八神だったが、当然の如く氷の壁に阻まれた。
なんとも言えない感情の
「車をジャックした相手は十中八九糸に関する紋章者だろうね」
目的地に到着するまで相手の紋章術に対する認識の擦り合わせを行っておこうと考えた八神は、自身の考えを述べた。
「何故そう考えた?」
「簡単な話。サイドミラーの反射光を操作して車の周囲を確認したら日光を反射する糸みたいなのが見えただけだよ」
彼女の紋章は偉人格幻想種:ルシフェルの紋章。
身体能力の強化や神話の再現。
あらゆる奇跡の実現等を行える能力であるが、ルシフェルという名は光を
故に、光の操作など造作もない。
サイドミラーの反射光を操作することで周囲の見たい景色を映し出すこともできるのだ。
「なるほど。なら相手の紋章は概念格:糸の紋章。若しくは——」
「動物格の何か、だろうね。
「何れにせよすぐに分かることだ。……着いたようだぞ」
辿り着いた場所は廃工場地帯だった。
持ち主が去り、買い手がつかぬまま寂れてしまった工場跡地。
現在では不良の溜まり場と化していることで有名な場所だ。
しかし、誘導した相手が排除したのか、今はここに溜まっていたはずの不良達は一人も見受けられない。
閑散とした廃工場地帯は耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
車から降りた二人は目の前の大きな廃工場へ入っていく。
中は入り組んだ作りになっており、眼前には奥へ続く通路と二階から覗く渡り廊下が広がっているだけ。
他は壁やドアで仕切られているため、一目では全体像が把握できない。
まるで鉄骨が織り成す迷路のようであった。
そして、頭上に跨る渡り廊下の上に二人を誘導したであろう相手がいた。
共にスーツを着た二人組の男だった。
一人は黒混じりの白髪に血走った眼。
口元を包帯で隠した男。
もう一人は三対の目に涙黒子のような複眼が一対合計八つの目を持つ。
黒髪を短く揃え、ピシッと
「久しぶりだな。L-01」
蜘蛛のような八つ目の
「人を識別番号で呼ぶあたり、貴方達の倫理観は相変わらず破綻してるみたいだね」
軍人然とした男を
彼女の横で、凍雲は冷静に相手の正体を見極めていた。
「なるほど。Project Lを行っていたのは貴様らだったか、アトランティス元暗部組織【デリット】」
アトランティス。
バルトロメウ・ディアスという稀代の天才科学者が
太平洋を常に移動する巨大人工浮遊島に位置する関係上、国交、貿易等はアトランティス側からアクションを起こさなければ非常に困難な半鎖国国家でもある。
デリットとはアトランティスに存在した暗部組織が裏切り、独立した組織である。
元は一派閥が
それが僅か数年の間に勢力を伸ばし、現在では世界各地に支部を持つ世界的犯罪組織として国際指名手配されている。
そして、先も述べたようにデリットは元々アトランティス暗部組織の一つ。
その中でも自然科学の超越をモットーとした派閥に属していた。
その派閥の所属者及び開発兵器には、彼らのモットーを象徴する、
凍雲が彼らの正体を突き止めたのも、彼らの服に刺繍されたこの紋章が目に入ったからだ。
「平和ボケした国の警察組織にしてはよく調べているじゃないか」
鼻を鳴らして
それに対し、凍雲は無感情に返す。
「ああ、貴様らがスパイダーとムカデというコードネームであることも、
「ほう、大したものだ。我々のような末端の存在まで認知しているとはな」
スパイダーは末端の存在まで認知している特務課の情報網に素直に感心する。
そんな彼に、凍雲は鋭い眼差しを向ける。
「確かに貴様の言う通り国民の大半は平和ボケしている。長く平和な世が続いた弊害だな」
“だが”、と凍雲は言葉を区切り、掌をかざす。
「我々警察組織は依然、国家の守護者だ。国家を害する存在を警戒していないわけがないだろう」
言葉と共に
その動作に呼応し、黒服の男二人を囲うように発生した氷の
彼らがいた二階渡り廊下は崩落し、瓦礫の山には粉塵が立ち込めた。
「八神、奴等には確実に貴様を捕らえる手段がある。それに気をつけつつ可能な限り生捕りにしろ」
凍雲は手短にそう告げると氷の槍を手に粉塵の中に突入し、スパイダーを天井へ弾き飛ばして野外へ出ていった。
「まったく。簡単に言ってくれるなぁ」
ヒギャハハハアハハハハ!!!!
粉塵から気が狂ったかのような笑い声が聞こえたと同時、粉塵が内側から爆発するかのように晴れた。
そこには
「よォ、殺しの時間だぜ。セ・ン・パ・イ」
狂人は破けた包帯から三日月のように裂けた笑みを浮かべた。
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