第9話 歪な進化



 瓦礫の上で狂笑を浮かべるムカデ。

 赤く充血した目は狂気を孕む。

 しかしてその焦点は定か。

 驚愕することに、狂気と理性を同居させていたのだ。


 口元の包帯は凍雲の攻撃で破け、ボロボロになった包帯の隙間からは三日月のように歪んだ笑みが覗く。

 尾骶骨びていこつからは巨大な百足むかでのような甲殻を持つ尾が四本生えていた。


(普通、動物格の紋章者はその動物に化ける力は持つけど、本来存在しない部位を構築する力はないはずなんだけどな)


 彼の姿を見て初めに感じた違和感がこれだ。

 通常、動物格の紋章者は、

 ①その動物そのものへの変身 

 ②身体の一部のみをその動物へと変化させる 

 ③その動物の特性を再現する 

 ④その動物が持つ伝承や信仰上の特性を再現する


 この四種類に大別される能力しか持たない。

 例えそれが凍雲のように拡大解釈や精密操作に長けたものでも、この四種の枠組みから逸脱することはない。


 しかし、ムカデの持つ甲殻類のような尾はこの四種の枠組みから逸脱しているのである。

 百足の姿に変身するだけならできるだろう。

 身体に百足の甲殻を再現することもできるだろう。

 だが、百足に尾など、ましてや四本もそんなものが生えている種など存在しない。

 考えられるとすれば、


「貴方、人工覚醒紋章者の被験体ね」


 紋章は稀に覚醒という現象を起こすことが確認されている。

 実例があまりにも少ない為、覚醒条件、覚醒して得られる力すらも謎は多い。

 しかし、偉人格、動物格だけはその存在が発覚している。


 偉人格は八神を助けた人物でもある人類史上最強の紋章者、朝陽昇陽あさひしょうよう


 動物格はアトランティスの何処かに隔離されているとされるケルベロス。


 前者は犯罪組織や外交的威圧の為、覚醒している事実こそ公表しているが、日本が最重要機密として厳重に管理している為、サンプルは入手不可能。

 たとえ強硬手段に出てこられようとも、彼に傷をつけられる者すら、世界でも片手で数えられる程度しかいないだろう。


 けれど、後者はアトランティスの元暗部組織である彼らならば入手可能だった。


 結論から言えば、実験自体は覚醒紋章者を生み出すことなどできず、失敗に終わった。

 サンプルとなったケルベロスは意思疎通が出来ず、傷をつけることさえもできなかった。

 その為、DNAサンプルを採取することができず、研究に十分なデータを確保出来なかったからだ。


 だが、収穫が何もなかったわけではない。

 副産物として紋章の力を歪めることで、被験者の紋章を強化するすべが確立してしまったのだ。

 当然、紋章を歪めるとは記憶を歪めると同義。

 記憶と密接に結びつく人格にも多大な影響を及ぼすが、そんなものは彼らにとっては些末さまつな出来事でしかない。


 そして、この人工覚醒紋章者製造計画の副産物によって、紋章の力を不完全な形で歪められたのが被験者の一人であるムカデだ。


「そォだ。ああ、そうだぜ。あの研究所の哀れな被験体がオレたちだ」

たち・・ということはあの蜘蛛男もか。面倒そうではあるけど、まさかその程度で私を捕獲できると判断したわけ?」

「うン? 考えが甘いなァ甘々甘過ぎるぜ甘ちゃんよォ」


 挑発するような大袈裟な動作で懐からある物を取り出す。

 それは小瓶だった。

 中にはほのかに発光する飴玉のような物質が入っている。


「これ、なンでしょォか?」


 そう言ってムカデは小瓶を見せつけるように左右に揺らしてみせる。


「どうせろくでもない薬品でしょう。紋章を暴走させて強化する薬品とか」

「ンン〜、そんなお優しい薬品ならどれだけの人が救われたでしょうかァ」


 ムカデは小瓶の蓋を開けて中に入っていた飴玉を飲み込もうとする。

 だが、むざむざ敵の強化を許す訳もなく、八神は即座にレーザーを放って小瓶を持つ腕を焼き貫く。


「残・念」


 まるで痛みを感じていないかのように全く動じた様子を見せず、ムカデは小瓶の中身を飲み干した。

 それを見た八神は舌打ちを打つ。


「答え合わせだ」


 言うや否や。

 ムカデの全身は黒光りする甲殻の鎧に包まれる。

 背中からは大小様々な甲殻の触手が翼の如く広がり、尾はさらに刺々とげとげしいものへ変化した。

 しかし、変化はそこで留まらない。


「侵食領域展開:“黒百蠢動辺獄”こくびゃくしゅんどうへんごく


 世界が、彼の色に塗り潰される。


 周囲は廃工場から一変。


 空が黒く。

 木々が黒く。

 岩が黒い。

 川も、地面も、遠くに見える山も。

 全てが黒一色。


 しかし、同じ黒でも明度は違うのかなんとか認識はできる。


 いや、目が慣れてきたからこそ分かった。


 正しく状況を理解した。


 周囲の景色はただ黒いだけの空でも木々でも岩でも川でも地面でも山でもない。


 その全ては、


「ムカ……デ……!?」


 遠くの山は巨大な百足がとぐろを巻く姿。

 地面は数えるのも馬鹿馬鹿しくなる程の蠢く百足の群れ。

 川も同じく膨大な数の百足が蠢く流れでしかなく。

 岩も木々もそのような形に見える百足の集合体でしかない。

 空すらも数多の百足が大空の全てを埋め尽くしているが故だった。


「さっきの薬物の正体はなァ」


 眼前にたたずむムカデは、右手の甲殻を解いてそこに刻まれた紋章を見せつける。

 そこには百足を抽象化した紋章が刻まれていた。そしてその紋章の画数は四画。

 

「紋章が刻まれた部位を材料に作られた紋章画数増幅薬。それがオマエを回収する為に用意された手段だ」



    ◇



 廃工場。

 その屋根の上。

 二人の紋章者の激突により、最早原型は留めていなかった。

 廃工場の屋根は氷河の如く凍てついていた。

 それだけに留まらず、空間を凍結することで不可視の足場を作り、その上を大氷塊が蹂躙じゅうりんしていた。

 そして、大氷塊で作られた足場の上を無数の子蜘蛛が糸を撒き散らしながら飛び回っては、体内魔力を暴走させて至る所で爆発を引き起こす。


 二人はそんな地形が変わる程の戦闘を行いながら眼下を見る。

 そこには漆黒の球場空間が広がっていた。


「侵食領域。確かに八神を捕獲する手段としてはこれ以上ない手札だな」

いささか力押しが過ぎるので私の好みではないがね」


 戦場を縦横無尽に這いずり回る小蜘蛛たちは凍雲の攻勢をすり抜ける。

 至近距離に到達した子蜘蛛たちの体内魔力を暴走させることで起爆すると、天をく程の爆発が辺りを焼き尽くした。

 凍雲は爆炎に飲まれ、その姿を確認することはできない。


 だが、彼とてこの程度でやられる程弱くない。

 凍雲は氷壁で爆発を防ぐとともに爆風に乗って上空へ舞い上がることで回避していた。

 そして、空間を凍結させて足場にする。

 間断なく眼下にのぞむスパイダー目掛けて重力を味方につけた重い一撃を叩き込む。


「言葉通り、小細工が好きなようだな」

「これこそが紳士の戦いだよ。Japanese」


 されど、凍雲の上空からの重力を味方につけた鋭い一撃はスパイダーには届かない。

 周囲に張り巡らされていた不可視の糸によって受け止められてしまったのだ。

 凍雲は不可視の糸によって槍を絡めとられるも、即座に槍を放棄する判断をする。

 槍の刃とは逆の先端、石突いしづきと呼ばれる箇所を足場にすることで距離を取った。


「判断が早いな。そして巧い。もう少し遅ければサイコロステーキにしてやったものを」

「紋章者の戦闘は高速戦闘になることが多い。貴様等のように身体能力への補正がない、俺のような概念格紋章者は技で競うしかないんだよ」

「道理だな。そして実に私好みの戦い方だ」

「貴様も侵食領域を発動できる隠し玉は持っているんだろう。何故使わない」


 たとえ貴重なものであったとしても、これだけ自信を持ってのぞんできている以上、切り札を持つのが一人だけとは考えにくい。

 ほぼ間違いなくスパイダーもムカデが持っていたであろう、侵食領域を発動できる何かしらの隠し玉を所持しているはず。

 そう睨んだ凍雲は問いかける。


「必要ないからだ。私の役割は君の足止め。それだけなら切り札を切るまでもない」


(つまり、切り札とやらには何かしらの副作用が存在し、リスクを考えるとこの場面で使うのはデメリットの方が大きいということか)


 スパイダーの口ぶりからそう仮定した凍雲はそこで一度思考を区切る。

 これ以上のことは実際にスパイダーが持つであろう切り札とやらを入手しないことには分からないからだ。

 故に、


「ならば慢心の果てに潰えろ」


 彼は思考を一本化する。

 眼前の男を倒す。

 全てはそれからだと。


 凍雲は全身に氷の鎧を纏う。

 それは八神と模擬戦闘した際に用いたものと同様。

 龍をモチーフにした騎士甲冑きしかっちゅうと似通ったものではあるが、根本にあるデザイン思想が全く異なった造りであった。

 甲冑というよりは装甲のついたライダースーツに近いフォルム。

 八神との模擬戦闘時に見せたものよりも流線形な作りをしており、翼もなかった。

 そして最も異なるのが腕部装甲。

 特に頑丈な作りのガントレットとなっており、肘には噴出口のような機構が設計されている。


「なんだ、ライダーヒーローでも好きなのか?」

「ヒーローの原典だからな。俺としては暗部に生きる貴様のような男がライダーヒーローを知っている事の方に驚いたが」

「男なら誰でも一時は憧れるものだろう」


 スパイダーは上着を脱ぎ去り、上半身を曝け出す。

 その背には蜘蛛を想わせる紋章が刻まれていた。

 そして、背部から無数の腕、というより触腕とでも表現すべきものを生やす。

 ガタイも先ほどより一回りほど大きく変形したその姿は、


「その割には怪人そのものな見た目だがな」

「いつまでも夢見がちではいられないのさ」


 氷のライダーと触腕の怪人が激突し、辺りに凄まじい衝撃波が響き渡る。



    ◇



 複数のビルとドームで構成された公安特務課特別庁施設群、通称バトルドーム。

 そのうちの一つ。特務課職員が事務所として使う第一ビル。

 高層階にある特務課第五班の事務所で糸魚川いといがわ、マシュ、蕭静シャオ・ジンの三人が一つのパソコンの画面を覗き込んでいた。


「機を見て加勢求む、ってことはできるだけ実戦経験を積ませたいってことだろうけど……、どうする?」

「も、もう助けに行ったほうがいいんじゃないですか? 侵食領域が展開された以上、えとっ、中も見えないですし……」

「そうねぇ。流石に危険過ぎるわ。特に、今回の相手はイカれ具合が高い。もしもを考えると今すぐ加勢に行くべきだとは思うわ」


 パソコンには八神、凍雲らの戦闘の映像が生中継で流れていた。

 糸魚川の紋章術を用いてドローンを送り込み、上空から撮影しているのだ。

 ただ、そういった撮影方法のため、侵食領域内に引きり込まれた八神の様子はうかがえない。

 凍雲からはできるだけ経験を積ませたいという旨の救援連絡が来ていたが、流石に危険度が高い為、助けに行くかどうかを話し合っていたのだ。


「じゃあ、決まりね。ひじり、お願いね」

「あ、はい!」


 糸魚川が紋章術を発動し、別の空間へ繋がるゲートを生み出した時だった。

 気配もなく、まるで最初からそこにいたかのような自然さで静の肩に手を置き元の席に優しく戻させる。


 その人物はまるでビジュアル系バンドマンのような青年だった。

 燃えるような赤髪。

 病的なまでに色白の肌。

 太陽の如く眩い黄金の瞳が映える。


 彼の人物こそがその圧倒的な実力で日本の犯罪抑止力となり、人々から英雄とたたえられる者。


 決して傲らず、全く偽ることを知らず、全てを素直にさらけ出す。

 たとえ悪と呼ばれようと、ただ義と信念に殉じて戦う、これ以上にない真正の英雄。


「朝陽さん? どうしてここに……?」

「あらぁ、昇陽ちゃんお久しぶり〜」

「えっ、あ、朝陽さん。こんにちは」


 朝陽昇陽。あさひしょうよう

 特務課最強とされる第一班班長。

 人類史上最強の紋章者として崇敬すうけいの念を一身に集める者。


「ああ、久しぶりだな、マシュ。今日は八神に会いに来た。ただ、どうやら彼女は危機的状況にあるようなのでな。俺が助けに行こうと思う」

「いや、私が行きますって! 朝陽さん今日も高レート手配犯を逮捕したばっかりで消耗してるでしょう!?」

「問題ない。それに、約束は果たさなければならないからな」


 それだけ言い残して朝陽は勝手にゲートの中へと消えていった。


「ハァ、相変わらず身勝手というか、言葉足らずというか……いや、アレは単なるコミュ障か……。聖、悪いけどお願いね」

「あ、はい。それじゃ行ってきますね」


 聖が朝日の後を追ってゲートへ入ると、ゲートは音も無く閉じる。

 後には疲れたような表情で溜め息を溢す静と“凍雲√、朝陽√、いや、まさかの逆ハー√!? キャー!!” と妄想を膨らますマシュだけが残された。

 なんだこのカオス。

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