第3話 紋章術

 特務課職員専用に配備された施設。

 想像し得るありとあらゆる地形、環境を再現でき、室内で負った傷は仮想として処理されるシミュレーター。

 操作パネルの前面に設けられた頑丈な特殊透過素材で造られた窓からは一見何もない白い部屋が覗く。


 本来は災害からの救出演習や戦闘訓練を行う為の施設だが、今回はそれを模擬戦闘に用いようとのことだ。

 環境設定は市街地戦闘を想定してビルや住宅が立ち並ぶ都会の街並み。空間の広さは面積一〇平方キロメートル、高度五キロメートルに設定している。


 明らかに元の施設の大きさを越えた広さになっているが、これは空間拡張技術によるものらしい。

 技師に原理を聞いた職員曰く、“スマホとか原理分からず使ってるのと一緒で、これもその道の人じゃないと理解できない類だね。まぁ便利で安全性は確保されてるんだし良いんじゃないかな?”とのこと。


「ねぇ、そもそも八神さんは紋章者としての戦い方を知っているのかい?」


 二人と道中出会い、審判及びシミュレーター操作係として連れてこられた特務課職員のソロモン。

 浅黒い肌にアッシュグレーのゆるふわロングな髪型の彼は、苦笑いを浮かべながら室外に設置された操作パネルを操ってセッティングを行いながら尋ねた。


「もちろん、知ってるよ。紋章者は偉人格、動物格、概念格、自然格の四種に分類される紋章術と呼ばれる異能を用いて戦うんでしょ?」


 彼女の言葉通り、紋章術は四種に分類されている。 

 偉人が成した伝説・偉業を体現する“偉人格”

 動物の野生を獲得した“動物格”

 ある特定の概念を支配する“概念格”

 自然の脅威そのものとなった“自然格”

 それが地球がフォトンベルトに突入したことが契機とされる、紋章術の分類だ。


 八神は艶やかな金色の髪を揺らしてストレッチをしながらそう答えた。

 そんな彼女は現在、特務課から借りたパンツルックのスーツを着用している。

 上ボタンは留めると苦しいので、開け放たれており、少しだけ胸の谷間が垣間見える。


 保護された時から着ていた病院着のような服では戦いにくいので、凍雲から特務課が所有している予備のスーツを借りたのだ。


「そうだ。補足するなら紋章術を行使するエネルギー、魔力を体内に留め、循環させる事で身体能力を向上させて、だ」


 八神と同様にストレッチをして身体を解している凍雲が、彼女の言葉に捕捉を入れる。


「そう。でも、物理攻撃を受け流せるチートな自然格を除けば、偉人格や動物格と違って概念格だけが紋章術による身体能力の補整がかからないから戦闘においては最弱と呼ばれている。だよね」


 自然格は流動的な肉体を得るが故に、一切の物理攻撃が効かない。

 火には水といったような弱点を突く以外にはとある技術を習得しなければ干渉できないのが自然格がチートと称される所以ゆえんだ。

 そんな自然格は別格として、偉人格、動物格が有する身体能力の補正が概念格にはなく、高速戦闘に対応できないが為に、最弱と称されているのだ。

 

「それは驕りというものだ。結局はどのような紋章だろうと使い手次第だ」


 八神の弁に凍雲は鋭い目線を向けて返す。

 彼の言う通り、紋章も所詮は人が扱う物。

 一般人が持つ拳銃と軍人が持つ拳銃の強さが異なるように、紋章だって扱う人間次第でその強さは大きく変動する。


「もちろんそうだけど、最強と呼び声高い偉人格で才能もある私には敵わないよ」


 それを踏まえて尚、胸を張って鼻高々に自身の紋章を自慢する八神は余程自身の紋章に自信があるのだろう。


「そうか、入職を認めるにしてもまずはそのふざけた鼻っ柱を圧し折る必要がありそうだ」


 凍雲はそんな彼女の生意気な態度に更に視線を鋭くする。


「いや、あのぅ……二人とも? これ以上いくと罵り合いになりそうだから仲裁も兼ねてルール説明をさせてもらうね」


 始めはただ八神に紋章者の戦い方に対する理解度を問うだけのつもりだった。

 しかし、二人の相性が悪い——いや、ある意味良いのか?——なせいでどんどん会話がヒートアップしていってしまったので、すかさず操作板のマイク越しに声を掛けたのだ。


「ルールは①武器の持ち込み禁止 ②紋章術使用可 ③戦闘不能又はギブアップを宣言した時点で敗北と見做す。これでいいかい?」

「「問題ありません」」


 声の揃った返答にソロモンはうなづきで返して、シュミレーターの設定を行う。


「言っとくけど、手加減なんてしなくていいからね。全力の貴方を倒さなきゃ意味ないし」


 八神は形の良い唇を好戦的に歪ませ、八重歯を覗かせる。


「当然だ。俺は貴様を護る為に全力を尽くす。殺してでも護ってやるさ」


 真顔で放たれたその言葉に思わず八神は頬を朱に染める。


(そんな真顔でクサイセリフ吐くなよ! バカ)


 “こいついつもこんなクサイセリフ吐いて無自覚に女の子口説いてんのかなぁ”とジト目を向ける。

 気に食わない相手であろうと、彼の取り繕わない言葉は響くものだ。

 彼が心の底から自身の身を案じて、戦場に送らせまいとしているのが伝わる。


 だけど、それでも彼女は戦う道を選ぶ。

 今まで辛い目に遭わされてきた復讐ではない。

 自身の問題だからという自責の念からでもない。


 ただ、彼女が彼女らしくあるために。

 創られた生命名無しの天使ではなく、一人の人間八神紫姫としての生をスタートする為に必要なことだから。


「私だって、負けられない理由がある。過去を精算して、一人の人間として始めるためにも。私は貴方に勝って特務課に入る」


 彼女が特務課入りを望む理由はなにも自分の身を護りたいからというだけではない。

 自分自身の力で組織と戦うことで、過去を精算したいという想いがあった。


 別に、彼女が戦わなくたって、特務課はいずれ彼女を狙う研究所を根絶やしにしてくれるだろう。

 けれど、それでは意味がないのだ。

 彼女が彼女としての人生を始める為には、自分の手で過去を乗り越える必要がある。

 少なくとも、彼女はそこに意味を見出したのだ。


 凍雲もそんな彼女の言葉を受けて闘志が燃えたのか、僅かに口角を上げて愉しげに構えを取る。


「来い。貴様の全てを受け止めた上で、その尽くを凌駕してやろう」


 FATAL BATTLE OPEN COMBAT.


 シミュレーターの機械的なアナウンスを合図に、身体強化を施した二人の拳が凄まじい速度で激突した。


「なっ!? ——ごふっ!」


 最初の激突を制したのは凍雲だった。

 打ち負かされて仰反るように体勢の崩れた隙を突いて前蹴りが八神に突き刺さる。

 その衝撃は凄まじく、背後にあったカフェテリアへガラスを突き破る勢いで吹き飛ばされた。


「おっかしいなぁ。威力は見た感じ私の方が上だったんだけど……」


 吹き飛ばされた勢いで破砕されたテーブル席から身を起こして彼を一瞥する。


「紋章術でなにかしたな?」


 凍雲は周囲を凍りつかせ、氷塵ひょうじんを纏いながら八神のいるカフェテリアへとゆっくりと歩みを進める。


「そうだ。これが俺の紋章。概念格、凍結の紋章だ」


 言うや否や。

 凍雲が右手を振りかざすと凄まじい勢いで巨大な氷塊が形成される。

 カフェテリアごと吹き飛ばさんと氷塊が迫る。


 だが、突如光が放射線状に爆発し、氷塊を破壊し尽くした。

 光はやがて収まり、その中から変貌を遂げた彼女が姿を現した。

 背からは左右三対・・の淡く光る翼が現出し、その背後には光り輝く光輪が転輪している。

 彼女の黄金の瞳と髪も僅かに発光しているようだ。


「私の拳に乗った運動エネルギーを凍結させて無力化したってところか」

「そういう貴様の紋章術はそれか。随分と神々しい出で立ちだな」

「偉人格幻想種、ルシフェルの紋章。それが私の紋章だよ」


 偉人格の中でもさらに希少。

 伝説上に存在したとされる神の血が混じった者や、天使や悪魔、妖怪といった人の形をした神秘。

 彼らが成した偉業、伝説を体現する者。

 それこそが偉人格幻想種である。


 八神が両手を合わせると、その隙間から光が漏れ出す。

 掌中の光を引き伸ばすかのようにして、光の槍を形成しながら続ける。


光を齎す者ルシフェルと呼ばれるだけあって主には光に関する能力だよ。まぁ、神に最も近い存在でもあるからそれだけじゃなくて、色々な奇跡を起こすことだって可能だけ——ど!」


 八神は光の槍を手に、翼を羽ばたかせて音速を超えた速度で肉薄する。

 そして、音速を越える程の運動量を上乗せした、上段からの強烈な刺突を繰り出す。


 しかし、その一撃は凍雲が突き出した人差し指に高質な音を大気へ響かせながら止められてしまった。

 彼は指先に僅か一平方センチメートル程の氷結晶の盾を構築し、彼女の攻撃を防いで見せたのだ。


 そのあり得ざる光景にさしもの八神も驚嘆する。

 いくら紋章者といえど、音速駆動できない者で音速戦闘に対応できる者はごく僅かだからだ。


 当然だ。

 音速で動けない者が音速域の戦いに対応するには細かな筋肉や視線の動き、相手の思考パターンから常に行動を先読みして行動する必要があるからだ。


 だと言うのに彼は受ければ絶死の一撃を恐れもせず、自身の実力を信じ抜いて最小限の力で防ぎきってみせたのだ。

 これが驚嘆に値しないわけがない。


「不思議か? 極まった紋章者同士の戦いとはこういった技術と自身を信じ抜く力がモノを言うものだぞ」


 凍雲は彼女の攻撃を受け止めたまま氷結晶の盾から氷柱を構築する。

 構築した氷柱によって押し出された八神は凄まじい勢いで高層ビルの上層部へ叩きつけられる。

 けれど、彼女はこの状況を利用して、ビル内に身を潜めて策を練る。


(凍雲の技術は凄まじい。先読みの力もそうだけど何より評価すべきはあの紋章術の拡大解釈と精密制御)


 紋章は何も司る力だけを操れるものではない。

 凍雲が凍結の紋章者であるにもかかわらず凍結能力だけでなく氷の創造を行えるように、紋章者の認識次第である程度の拡大解釈が可能なのだ。


 しかし、それには自分だけの現実と呼べるレベルにまで己が力を信じ抜くことが必要となる。

 紋章術とは信じることでその力を強め、その想いがある一定を越えれば物理法則すら凌駕するという性質を持っている。


 そして、物理法則を凌駕する極まった紋章者同士の戦闘においては紋章術の出力、より正確には密度が勝敗を左右する。


 先程の戦闘において、八神の高出力の光の槍による一撃は熱量や運動量を凍結させるには槍の出力が高過ぎた。

 故に、足りないエネルギーを補う為に面積を最小限にした。

 紋章術のエネルギーを一点集中させることで最小限の消費効率でエネルギー密度を上げて防いだのだ。


(戦闘中、氷の創造能力を多用することで誤魔化してたけど、恐らく彼の周囲に散っていた氷塵ひょうじんがソナーの役割を果たしている。アレがある限り前兆を察知されて、例え奇襲しようとも対応されるだろうね)


 周囲の被害を考えず勝つことだけに専念すれば、彼のソナーも無効化することはできる。

 周囲一帯ごと高出力の光の爆撃で蹴散らせば、氷塵など簡単に吹き飛ばせる。


 しかし、戦闘環境を市街地に設定した以上、特務課に所属したとして、どれだけ周囲に配慮しながら戦えるかも見られている筈だ。

 民間人役のNPCが配置されていない以上、避難が完了した市街地という設定であると予想できる。

 故に、多少の被害は目を瞑ってもらえるだろうとも思うが、流石に市街地全壊はその許容範囲内を大きく超過してしまうだろう。


「さて、どう攻略しようか」

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