第2話 Fateful_encount
西暦二〇六○年。
桜舞い散る遊歩道を抜けた先にそれはあった。
複数のビルとドームで構成された公安特務課特別庁施設群、通称バトルドーム。
ドームを用いて年に一度、紋章者同士の試合等を行い中継しているため、そこから視聴者によってつけられた愛称だ。
そんな数ある施設群の一角。
公安特務課の所属人員の為にオフィスや鍛錬施設、医療施設などが設けられた多目的ビル。
そんなビルにある、医療施設の一室に備え付けられたベッド。
そこに身体の至る箇所に治療の跡が見受けられる、清潔な病院着を着た一人の少女が腰掛けていた。
その向かいには、眼鏡をかけたスーツ姿の無表情な男が立っている。
「Can you speak Japanese ?」
「俺はハーフだが日本人だ。日本語は話せる」
「分かりにくいから日本人らしくもうちょっと物腰低くあってくれない?」
「貴様の偏見など知ったことか。それに貴様も似たようなものだろう」
一方は、高貴さすら感じさせる腰まである金糸の髪。
黄金のような瞳が特徴の、およそ日本人離れした外見の美しい少女。
もう一方は、耳に髪がかからない程度の白髪。
薄い緑がかった碧眼を眼鏡で覆った同じく日本人離れした外見の青年。
喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったもので、両者は初対面にもかかわらず、中々波長の合った会話を繰り広げていた。
「さて、まずは貴様の記憶の確認だ。自分の名前とここに来るまでのざっとした経緯は話せるか?」
「まずは貴方の名前を知り——」
「
凍雲に自身の言葉に被せるように返答されてムッとした表情になりながらも、少女は先の問いに答えるべく記憶を辿った。
「私の名前は
「……そうか。あの人がな……」
凍雲は人類史上最強の紋章者と
しかし、直ぐに引き戻して、次は経緯について記憶を辿るよう促す。
「私はProject Lっていう人工的に天使を生み出そうっていう研究で生み出されたの」
そう前置きをした彼女は促されるまま、己が辿ってきた過去を語り始めた。
◇
八神が初めて認識した記憶は冷たい培養槽の中から見える二人の男の姿だった。
「漸く成功個体が誕生したようだな」
「おお! これはこれは鮫島社長ではありませんか!! ええ、そうなのですよ。遂に……遂に遂に遂にぃぃぃいいいいッッ!!! 完成したのでありますよう!! 人工の天使がァ!!」
人一人入れるほどの大きさの培養槽を前に、白髪に濁りきった眼をした白衣の男性が狂喜乱舞していた。
男はとある組織に属していた頃から幾度もの失敗を重ね、組織を脱してから十数年の時を研究に費やすことで、漸く自身の集大成とも呼べる存在を創り出すことに成功したのだ。
しかし、純粋な喜び、達成感と形容するには、その男の
一種の信仰とでも呼べるだろうか。
科学の力で幻想の頂点たる神の領域を犯すという禁断の行いに絶頂さえ覚えている様子だった。
そんな狂った科学者を視界の端に、鮫島と呼ばれていた黒髪をバックに撫で付けたスーツ姿の男は培養槽に手を当ててじっくりとその中にいる存在を眺める。
「知識のインプットは?」
「万全でございますとも! 一般的な知識、常識、一部専門知識に至るまで全てインプット済みです!! 私の趣味でほんの少し輝かしく暖かい、表世界の
“クヒヒハハハハハッッ!!”、と背後で狂ったように笑い続ける白衣の男性を無視して、鮫島と呼ばれた男は満足げな表情で培養液の中に眠るものを眺める。
培養槽の中には培養液に金糸が如き毛髪を
彼女こそが白衣の男が数十年の時をかけて創り上げた集大成。
後に人類史上最強の英雄と河川敷に住む善き人々によって救われた、
(彼らが私を造った。……だけど、愛は感じない……と思う? でも悪意からじゃない。一人は純粋無垢な科学信仰。もう一人はよくわからないけど、未来のため……のような気がする)
そんな彼女は、彼ら科学者の姿を己にインプットされた知識を元に産みの親であると自覚し、現在の状況を冷静に分析していた。
◇
場面は移り変わる。
何に使うのかも理解できない不可思議な機器が所狭しと並ぶ研究室。
作業台に眠らされて四肢を固定された八神は幾つものチューブが
顔に装着された酸素マスクによって声は出せない。
痛みも何もなく、ただ何をしているのだろうか? と不思議に思いながらその様子をジッと眺めていた。
その傍らで、白衣の科学者はニヤニヤとした笑みを浮かべながら、経過をデータに起こしては悦びに打ち震えていた。
(今は身体性能か何かをテストしているのかな? 嫌だな。怖いな)
◇
場面は移り変わる。
そこはベッドとトイレだけがある刑務所のような部屋だった。
他には誰もおらず、八神は一人静かにベッドで横になっていた。
目を閉じ、想い起こすのは科学者が悪意を持ってインプットした輝かしくも暖かい存在しないはずの記憶。
誰かと共に服を買いに行った記憶。
——ワンピースはちょっとヒラヒラしすぎて似合わないかなぁっと思って恥ずかしかったけど、ボーイッシュなカッコいい服装はまたしてみたいな。
誰かと共に美味しいご飯を食べた記憶。
——あの人が作ったオムライスは最高に美味しかったなぁ。いつか、自分でも作ってみたいな。
誰かに優しくしてもらった記憶。
——独りぼっちで悲しくて、泣いていた時。側に寄り添って静かに頭を撫でてくれたあの人。暖かかったなぁ。もう一度撫でてほしいなぁ。
誰かを助けるあの人の記憶。
——迷子で泣いてる男の子を優しく撫でて諭し、悲しみを乗り越える手助けをしたあの人はかっこよかった。クールなあの人が男の子を肩車してあげる姿は意外で、ちょっぴり面白かった。
これらの記憶は悲劇を強調する為に悪意を持って埋め込まれた暖かで幸せな記憶。
だが、奇しくもそれは八神の人格を形成する主軸となるほどに大きな存在感を持っていて、悲劇的な現実を乗り越える為の拠り所となっていた。
辛い実験を終えて冷たい無機質な自室へ戻るたび、彼女は存在しない暖かな記憶へと想いを馳せていた。
——いつかここを出られたら、あの人みたいな人になりたいな。不器用でもいい。優しくて、暖かなあの人みたいに。
知らず、一雫の涙を零しながらも、その口元は優しげな笑みを形作っていた。
◇
場面は移り変わる。
真っ白でだだっ広い部屋の中、ブヨブヨとした質感を持つ巨大な七本首のワームと八神は対峙した。
「ハァ……ハァ……」
身体中を血に染めながらもなんとか勝利を治めた彼女であったが、疲労によって意識を手放してしまう。
その光景を特殊ガラス越しに見ていた白衣の男性は戦闘データをまとめ、三日月のように口元を歪めて凶笑していた。
(ここを出ても、強くなくちゃ生きていけない。もっともっと、……強く、……ならなくちゃ……)
◇
場面は移り変わる。
巨大な水槽の中で複数のホオジロザメと交戦する。
紋章術は薬品によって封じられ、使えるのは我が身一つのみ。
(こんなところで死ねない。死ぬわけにはいかない! 私が、私としての人生はまだ、始まってもいないのに……!!)
体の至る所を食い千切られ、瀕死に陥るも生還。
白衣の男性は不気味なほど静かな様子で、瀕死の八神を傷跡一つなく治療してみせた。
しかし、その眼に宿るは
人の身にて天に至るという大それた命題に対する執着、狂気であった。
◇
場面は移り変わる。
十字架に括り付けられた八神は野晒しにされていた。
最低限の栄養のみを与えられ、黒服の男による定期的な暴力に見舞われる。
雨風にさらされる中でさえも、一定間隔の暴力は継続される。
そして、限界を迎えるたびに最高峰の治療を施されて傷跡なく実験は再開される。
一見なんの意味があるのか理解できない実験だが、八神は負の感情を抱いてしまった際に己の内で感じた力の滾りを感じて、この悪意に満ちた実験の真意に気づいた。
(私の中にある力。それを負の感情の発露を契機として解放しようとしてる。……なら、私はそんな感情になんて負けない。記憶だけにあるあの人のように、私は強い信念でもってそんな感情は捩じ伏せてやる……!!)
その様子を日々観察していた白衣の男性は歓喜のあまり涙を流していた。
◇
場面は移り変わる。
遂に八神は真の意味で人の身にて天に至る。
人の悪性を理解した上で、人の善性を信じる。
二律背反なその想いが実験によって高められた紋章術の練度と呼応して、彼女の紋章は覚醒へと至った。
清廉潔白にして純粋無垢なる六対十二枚の白翼。
その背には神々しく輝く光輪が転輪する。
闇の中で一際輝く神性を表す黄金の瞳を前に……
胸に風穴を開けた白衣の男性は燃え上がる実験施設の中、凶笑を挙げながら崩れゆく瓦礫の海に沈んでいった。
◇
「そこから先は記憶が飛んでいて、気づいたらボロボロで外にいた。その後は、追手から逃げて石橋の下の河川敷に隠れようとしたとこまでは覚えてる。そこからは気づいたらここのベッドの上だったね」
Project L。
人工的な天使の創造。
耐久実験や紋章に関する実験と思われる数々の残虐行為。
そんな地獄を乗り越える拠り所となった暖かな記憶。
凍雲は彼女の凄惨な過去を聞いて眉間に皺を寄せ、拳の骨が砕けかねない力で握りしめる。
だが、今気にすべきはそこではない。
彼女のこれからを考えねばならないと、気を切り替えて続ける。
「途中曖昧な箇所もあるが概ね記憶は確かだな。では、次に貴様の将来の話をするぞ」
「パティシエとか楽しそう」
あれだけの凄惨な過去を語っておきながら能天気に心にもないことを語る目の前の少女に違和感を覚える。
彼女はあれだけの悲劇を味わいながら、何故こうも能天気でいられる?
普通なら憎しみや怒りに囚われ、復讐を願う筈だ。
(いや、違う。能天気なんかじゃない。悪意に晒されたからこそ、拠り所となった暖かな記憶にある人の善性を信じたいと思う気持ちが強くなった。己の力の危険性を把握しているからこそ、悪意に呑まれないよう抗っているのか)
彼女は研究所で造られた存在。
生まれながらに悲劇の中心にいたからこそ、それを悲劇と正しく認識できてはいても、実感できない。
外界のことは学習装置でインプットされたデータでしか知らないからこそ、普通というものを知っていながら実感できない。
だが、その上で彼女は人の悪性を理解した上で人の善性を信じられる強さを身につけていた。
八神を生み出した科学者からすればバグでしかなかろうが、あの存在しない記憶こそが彼女の強さを育んだとも言えるのだろう。
だからこそ、彼女は明るく振る舞う。
誰かに優しくすれば、明るく振る舞えば、あの暖かで幸せな存在しない記憶が現実になると信じて……。
そして、明るい自分を演じて、いずれそれが偽から生まれ出た真になれば、己の内に宿る極大の力を御しきれると信じて……。
(こういう時ばかりは、自身の演算能力が恨めしいな)
彼の
情報が欠如していようと、点と点を繋ぎ合わせて限りなく真実に等しい推論を導き出すことができるのだ。
故に、彼女が語った断片的な情報からでも彼女が辿ってきた凄惨な悲劇を、その時に抱いた想いを、その末に生まれた信念を如実に理解できてしまう。
思わず握り込んで血が滲んだ右手を隠すように後ろ手に回す。
これから彼女にまた悲劇を突きつけなければならない現実に、断腸の思いで話を続ける。
「……勿論、そういう道もある。しかし、貴様自身分かっているとは思うが、Project Lに関わる人間が存在する限り貴様に安寧の未来はない」
冗談半分で言った言葉を真面目に返された彼女は、内心“真面目だなぁ”と苦笑しながら言葉を返す。
「やっぱりかぁ。私の取れる道なんて、実質貴方たちの
八神の言葉に図星を指された凍雲は一瞬黙り込む。
しかし、彼女を保護した責任を胸に、改めて覚悟を決めて彼女に残酷な未来を提示する。
「実質的にはそうなる。公安特務課の職員として事件解決後の自身の生活費を稼ぎながら、我々が事件を解決するまで我慢してもらうしかない」
凍雲は四角く縁取られた眼鏡の奥の氷の瞳を曇らせて眼を伏せる。
日々、公共の安全を護ることを旨として働いているにもかかわらず、残酷な研究、実験を野放しにし、あまつさえその被害者の自由を制限せねばならない己の不甲斐なさに憤りを感じる。
そんな彼を他所に、彼女はパシッと自身の拳と掌を合わせて言葉を放つ。
「特務課職員として雇ってもらえるんだよね? じゃあ、これから同僚としてよろしく。手始めに早速研究所の奴らシバきに行こっか!」
「…………は?」
彼女のあまりのアグレッシブさに、珍しく思考が空白に支配された凍雲は間の抜けた声を発するのが精一杯だった。
しかし、特殊な生い立ちとはいえ、民間人である彼女を危険に巻き込むわけにはいかない。
その一心で思考を取り戻し、言葉を発する。
「いや、待て! いくら経緯が経緯なだけに戸籍がないとはいえ貴様は民間人だ。戦わせられる訳がないだろう! 俺が言っていたのは事務員や、それこそ食堂で調理師として働いてもらうという意味だ。断じて俺たちと一緒に戦わせる意はない!!」
彼の同僚が見れば、間違いなくゲラゲラと笑いながらSNSにその姿をUPする程の慌てっぷりを見せる凍雲。
対する八神は“ぶっ飛ばすにもまずは実力をつけないとね。鍛錬施設とかあるかな?”と既に決まった事柄として考えながら返答する。
「事務員とかもいいけど、それは
それは、
悲劇は乗り越えるべき現実として受け入れていて、その拠り所となったのは存在しない暖かで幸せな記憶だ。
だからこそ、彼女はあの光景に憧れた。
いつの日か、誰にも縛られず自由に生きてみたい。
存在しないと分かっているが、それでも記憶にあったあの人のように優しく暖かな人として生きたいという一心で、地獄のような日常を過ごしてきた。
そんな、憧れた毎日がもうすぐそこにあるのだ。
ならば、手を伸ばさない理由などあるものか。
「だから、私は私の未来を誰かに預けたりなんてしない。私が望む未来は私が切り拓いてみせる」
生まれてこの方、八神は常にレールの敷かれた人生を送ってきた。
Project Lの目的を果たす為に製造され、彼らが望む未来のために彼らが用意したレールに沿うことを強いられてきた。
だからこそ、彼女はもうそんな自由のない人生は拒絶する。
研究所を抜け出したあの時から、彼女は誰かが敷いたレールなんてぶち壊して、己が描く理想を貫き通すと決めたのだ。
「だけど、……それは私一人のちっぽけな力じゃ到底実現できないことも理解してる」
声を沈ませた八神は顔を伏せたまま立ち上がる。
「だから、その為にはもちろん貴方たちの力も貸してもらうけどね」
そう言って彼女はニヒッと笑みを浮かべながら手を差し出した。
握手。
誰かの助けを求める。
そんな初めての行い故か、彼女は気丈な笑みを浮かべながらもその手は微かに震えていた。
凍雲はその震える手を見て、思わず手を取りたくなってしまう。
“もう大丈夫だ”と、“誰かの助けを求めたって良いんだ”と震える手を優しく包み込んで安心させてやりたい。
だけど、それでは彼女の意見を認めて、再び戦場へ立たせてしまうことになる。
傷だらけの彼女を更なる危険に晒すのか?
次こそは取り返しのつかない事態になるかもしれないぞ。
そんな理性が叫ぶ言葉に凍雲は胸を裂く想いで彼女の震える手は取らず、両肩を力強く抱いて言い聞かせるように叫んだ。
「戦える戦えないは関係ない! 民間人を戦いに巻き込むわけにはいかないと言っているんだ!!」
凍雲には民間人を護るという特務課職員としての責務、
たしかに、八神の提案は彼女を囮に研究所の連中を誘い出すことができるので合理的ではあるのだ。
これまで縛られてきたからこそ、己の未来は己で切り拓きたいという彼女の気持ちも理解できる。
けれど、頭ではそう理解できていても、彼の矜持がそれを許さないのだ。
「でも、職員にはなれるんでしょ? なら、もう民間人じゃない。歴とした公安特務課職員様だ。ほら、何の問題もない」
「屁理屈を……。ならば、模擬戦闘で俺に膝をつかせられたなら認めてやる」
彼女の弁は彼女自身がそれなりに戦える。
戦えてしまうが故の提案である。
ならば、模擬戦闘で完膚なきまでに叩きのめすことで戦いの場から遠ざけようと考えたのだ。
「えっホントに!? よし! そうと決まればすぐ行こう! 今すぐヤろう!」
そうとも知らず、八神は自分が勝てることを信じて疑わずに、まるで水を得た魚のように凍雲を急かしだす。
「……どちらの待遇で入職するにせよ、その言葉遣いは徹底的に矯正してやるから覚悟しておけ」
八神との相性が良すぎるが故に、つい言葉の弾みで凍雲はいつもの冷静な彼ならば絶対にしない提案をしてしまったことを今更ながらに後悔する。
(いや、もしや彼女に手を貸して救ってやりたいという想いが顔を出してしまったのか?)
あの助けを求める震える手が脳裏を過ぎり、すぐに
それこそらしくない。
感情に従って真に助ける道を誤るなどあってはならないのだから。
(なんにせよ。勝つだけだ)
特務課職員である自身が負けることなどあるはずもない。
万に一つの可能性を与えてしまうというらしくない失敗をしてしまったのなら、圧倒的な実力で挽回すれば良いだけの話だ。
そして、それぞれの想いを抱えた二人は話の決着を着けるべく、紋章者同士が戦っても問題ない施設へと赴いた。
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