『五月女姫初』☆

 中学の経験を経た私は、結婚しないんだと思っていた。

 結婚しないと孫を見せれないから親不孝者に思われてしまうかもしれない。けれど、心に傷を負った私には男性恐怖症を僅かながらに発症していたと思う。


 なんなら女子友達すら作れるのかが不安に思っていた。

 すぐに裏切る女子。友達と思っていても、小さな出来事で裏切っていく。

 じゃあもう独りで学校生活を送っていく。それが私にとって一番の最適解なんだと、までは思っていた――


 *


 入学してすぐ、学校内で私が美少女だと噂が回った。

 本来なら良い気がするもんだと思うけど、私にとってそれは苦痛でしかなかった。


 連日話しかけてくる男子。それは先輩・同学年問わず。

 女子からは顰蹙を買って睨まれ、陰口を叩かれ。――もう学校なんてどうでいい、私は転校まで考えた。


 ――彼が現れるまでは。


 *


 放課後になると一層話しかけてくる先輩。

 今日は三人で、マシンガントークを繰り広げるのを取り繕った笑顔で返していると、近くの男子生徒二人の声がした。


「いくよ、一悟! ていっ!」

「ばっか、どこ投げてんだよ」


 放課後にも関わらず二人で遊んでいた冴えない男子生徒が、金髪の子に消しゴムを投げると全然違う方向に飛んで行った。

 飛んだ先に目をやると、その消しゴムは私に話しかけに来ていた先輩の頬にぶつかった。


「あ? この消しゴム投げた奴、誰だ。出てこい」


 怒り心頭の先輩は消しゴムを片手で握りつぶす。

 その握力を見てか、数人いた生徒達はそそくさと帰っていく。


 ぶつけた本人、記憶上の名前を辿って桜井玲紋と判定した彼は、髪を掻きながらにへらと笑って。


「すみません、先輩。ぶつけてしまって」

「あ? んな安っぽい謝罪で済むと思ってんのか? 土下座して地面に頭を擦りつけろ」


 なんてテンプレな……とも思ったけど、怒り心頭の先輩を相手に玲紋が負けるのは目に見えてわかる。


 玲紋が消しゴムを投げて遊ぶのは良くないけど、元はと言えば私が先輩に付きまとわれているのが悪いんだ。


「せ、先輩……。その、もうその辺で……」

「なんだ? ようやく話してくれたな? 俺ァつえぇからな、安心しろ。こいつ潰したらホテルでも行こうぜ」


 そういうことじゃない――なんてツッコミの前に、私は硬直して思考が止まった。

 ホテル――それはつまり私の体を狙って。嫌だ、そう思われるのが嫌で転校して、高校生になってもそんな噂を立てられたら今度こそ――私は学校に通えなくなる。メンタル的な意味で。


 思考の固まる私を他所に、玲紋は俯いて小さく息を吐くと。


「先輩達ってなんでこの教室にいるんですか? ここって一年の教室だと思うんですけど」

「あ? どこにいようが俺らの勝手だろ。ま、見てわかる通り姫初に用があんだよ」

「それって俗に言うナンパってヤツですか? 何日も何日も来てますけど」

「だったらなんだ? てめぇには関係ねぇだろ」


 ビキッと額に青筋が走ると、今にも殴らんとする勢いだ。

 だけど、玲紋は一歩も引かず。


「迷惑なんですよ。僕――じゃなくて姫初さんにとって」

「あ? んなのお前に関係ねぇだろ?」

「目を見たらわかります。確実に嫌がってる。それでも話しかけるなんて――好きでもないなら話しかけないでください!」


 玲紋が言い放つと、先輩は遂にキレて机を思い切り叩いた。


「だから? てめぇには関係ねぇだろっつってんだろ! ぶっ殺すぞ、カスが!」

「関係ないわけないでしょう? 僕は彼女と同じクラスです。嫌がってるのを見逃すほど人間出来てませんよ」


 その言葉を最後に、怒り狂った先輩は拳を構える。そしてそのまま右ストレートを繰り出した!


「おいコラ、てめぇ俺のダチに何しようとしてんだ?」


 その右ストレートを掴んで、金髪の少年――確か夜須川一悟が割って入る。


「あ? 誰だ? 邪魔してんじゃ……」

「そ、そいつはやめた方がいい」

「何弱気になってんだ? 俺ァボクシングも空手もかじってんだ、負けるわけねぇだろ」

「いや、そいつ……喧嘩負け無しのデストロイヤーって呼ばれてる夜須川一悟だぞ!」

「こいつが……? ちっ、覚えてろ、カス共!」


 負け犬感満載のセリフを吐き捨てて、先輩は去っていった。


「俺、んなこと言われてんのかよ……」


 ショックを受ける一悟にも当然だけど、まずは玲紋に言わなければ。


「あ、ありが……」

「怖かった、怖かったよ一悟!」

「あーあー、せっかくかっこよかったのに泣くなよ。――ったく、玲紋のその度胸マジで尊敬するぜ」


 ぽんぽんと頭を叩く一悟に、泣きじゃくる玲紋。

 そんな光景を見ていた私に、一悟は口を開く。


「なんかカッコ悪く映るかもしんねぇけど、まあこいつはこいつで良い奴なんだよ。知ってやってくれ」


 朗らかに笑って、一悟は玲紋の鞄も同時に背負って教室を後にした。

 ――じゃあ、教室に残ってたのって私を助けるため、だったの……?


 一悟は言った。カッコ悪く映るかもしんねぇ……と。


 そんなはずない。

 私を助けようと怖いながらも前に立ち、私に危害が加わらないようにする言葉のチョイス。陰からどうにかするんじゃなくて、正面からやるその姿。


 ――瞬間、忌み嫌った男を初めてかっこいいと思い、信用するに値する男がいることを知った。

 今思えばこの一件以来、私は玲紋を目で追っていたかもしれない。


 ――そっか、これが初恋か。

 で、私はその初恋を叶えて不可能だと思っていた結婚まで行った。


 何回、何百回感謝を告げても、足りないくらいの幸せを玲紋はくれたんだ――

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