第30話 『結婚』

 転任したからって誰も気に留めない。むしろ嫌いな先生だったから皆喜んでいた。


 ――と同時、一人の生徒が私に向かって言った。


「この転任ってさ、からじゃねぇの?」


 彼がどんな気持ちで言ったのかはわからない。

 冗談、なんとなく、場繋ぎ、本意。どれであっても結果は変わらなかったと思う。


 刹那に教室はざわつき出した。

 その噂は一日しないうちに中学生全員に知れ渡った。

 そこからは根も葉もない噂が飛び交った。


 あいつと寝てたって聞いた。俺はあいつ。わたしはあの人。オレはあの先生。


 どれもが嘘で、私は嘘だと主張し続けた。


 そもそも中学生なのに、そんなことするはずがない。特定に好きな人がいないからって、私はそんな易々と体を渡すほど、尻軽な女じゃない。

 何度も、何度も言った。百はゆうに超えた。


 ――けれど、誰一人信じてくれる人はいなかった。


 それを聞いてか、何度も体を求められた。

 私はあれは嘘だと伝え、拒んだ。すると、無理矢理しようとする者が現れたのだ。

 その時はどうにか叫んで逃げてったけど、私がこのままこの中学にいては現状は変わらない。


 だから私は逃げるようにして、少し遠くの中学に転校して、誰にも悟られず知られずに過ごした。


 原因は分かっている。

 無闇矢鱈と、それも男女隔てず仲良くしようとした性格がもたらした災いなんだ……と。


 女子が女子と仲良くする分には何も問題は無い。だけど、男子と仲良くするのはデメリットしかない、それを身をもって体験した私は高校では男子と用があるとき以外は話さなかった。


 ☆


「それが姫初さんの過去?」

「はい、全てです。そうです、私はヤってないんですよ! なのに……なのに、誰一人信じてくれませんでした! だからもう――どうでもいい」

「じゃあさ」


 今にも泣きそうな姫初が言葉と同時に俯くが、僕の言葉で顔を上げた。

 何? と目で訴えかけてくるので、務めて明るく、そして真剣に紡いだ。


「信じてもらえなかった過去。それを払拭出来るくらい僕は姫初さんを信じる。――だからさ」


 一回区切って、深呼吸して緊張を吐き出す。


「永遠に……この先ずっと僕の隣にいてくれないかな?」

「え……それってどういう……」

「僕と結婚して、ずっと隣にいてほしい」


 この感情に嘘偽りない。

 それはきっと、僕の表情から読み取れると思う。


 そんな僕の言葉に姫初はぽろぽろと泣き出した。


「こんな私を……ですか……?」

「そんな君をだから、僕は好きなんだよ?」

「黙って隠し事して、挙句にはこんな低俗な話を聞かされてなお、私と結婚したいと思って――」


 自分を戒めるように語る姫初を抱きしめて、僕は顔の見えない位置、耳元で口を開く。


「低俗な話だろうが関係ない。それにその話は嘘なんでしょ? 僕は今、素直に全てを打ち明けてくれた君と、隠し事の無くなった今だから思っている。何があっても、僕は君の味方で、何があっても僕は君を信じる」


 そこでようやく抱きしめを解放して、頬を紅潮させる姫初に正面から――


「こんな僕だけど、結婚してほしい」


 もう一度、気持ちを伝えた。

 どんな結末が迎えるのかなんてわからない。

 先急いだ婚約を嫌がって、このまま姫初とは別れることになるかもしれない。

 ――だけど、今伝えるべきだと思ったから。


「こんな僕?」


 姫初は僕の言葉を復唱した。

 気に召さなかったのか、姫初は顔を伏せたまま岩から降りると僕の前に立って。


「違いますよ、こんな私でよければ、こちらこそよろしくお願いします」

「!?」


 森の中から射し込む陽射し。

 それはピンポイントで僕達を照らし、今の状況を正確に、明確に伝えた。


「かっこよすぎですよ、

「……! ははっ、そう思ってくれたなら男として嬉しい限りだよ、


 踵を返して来た道に視線を戻す姫初。

 僕はその姿を後ろから眺めて、一度頬を触る。


 明らかに熱を持っている。

 体温を計ったらメーターを振り切るんじゃないかと思うくらいに。

 その熱は陽射しのせいなのか――


 と、一瞬脳裏で言い訳を考えるが、前を歩く姫初を見ると耳まで赤くなっていた。


 違うね、あれはやっぱり本当の現実で起こったことなんだ。

 あんまり実感はわからない。あんな美少女な姫初と、誰もが羨む彼女と僕が――


 ――キスをしたなんて。

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