キツネとタヌキの化かし合い
とある日の、ちょうど
化け物長屋の楓の部屋で、割烹着姿の楓と、商人然とした恰好の一人の恰幅の良い中年の小男が腰を下ろして向かい合って座っていた。
「さぁてぇ……今週も、この時がやってきたわねぇ」
楓が重々しく言うと、
「さいですなぁ――」
と、小男も重々しい口調で応じた。
そうして、お互いにジロリと睨みをきかせあい、楓がおもむろに自分の四次元袖口に手をつっこみ、一つの巻物を取り出して、小男の前に置いた。
「さあ、御覧なさいなぁ!!」
カッ!! と細いキツネ目を大きく見開く楓。
「ほな、改めさせてもらいましょ」
小男は、少々構えるような声でそう言い、目の前の巻物を手に取り、巻物を開いて、それに書かれてある文字を目で追っていく。
やがて、全ての文字を見終えたらしく、小男は巻物を床に下ろしながら楓に向かって、
「いやはや――また、えろうぎょうさん注文いただけてありがたいことでおますが、こないな量を一度に持ってくるんはちぃと骨でんなぁ」
困っているような口調とは裏腹に、顔をほころばせながらそう言った。
「まあ、そんなご謙遜しちゃってぇ♪ タヌキ屋には不可能はないと、御主人はいつも口癖のように仰ってるじゃありませんかぁ♪」
確かに、そうは言ってますがなぁと頭をかくこの子男――その正体は、江戸の町中で表向きはタヌキ屋という屋号の居酒屋をやっているが、その実、妖怪達を相手にした様々な商売を手広くやっているタヌキ屋の店主、団十郎狸であった。
化け物長屋の差配人として、この場所から離れられない楓のために、わざわざ入用の注文を受けに、週に一度、楓の元へとやってくるのである。
「しかし、まあこれだけの注文となると、量の多さもそうですが、かかってくる銭の量もぎょうさんかかりますで?」
警戒心を露わにして、ジロリと楓を睨む団十郎狸。それもそのはず、今まで楓はあの手この手で、注文のたびにこの団十郎狸に大赤字をくらわせているのだ。
「だぁいじょうぶですよぉ♪ 今回はぁ、ちゃ~~んときっちりお支払いいたしますからぁ♪」
「そないな口約束を信用し合う仲じゃおまへんでっしゃろ? ワシと、楓はんは」
「うふふぅ♪ そう仰ると思って、今回はこのようなモノを用意いたしましたっ♪」
袖口に手をつっこみ、何やら書状らしきものを取り出した楓。それを団十郎狸に手渡し、
「どうぞっ♪ ご覧くださいなっ♪」
と、なにやら嬉しそうに弾んだ声で団十郎狸を促した。
「拝見させていただきまひょ」
ふむふむふむ……と、書かれてある文面に、つらつらつら~っと目を通していく団十郎狸。やがて、書状から楓へと視線を移し、感心したような声をあげた。
「ほぉ……こりゃあ、いわゆる、契約書でっか?」
「ご名答っ♪」
にんまりとキツネ目細める楓の姿を見て団十郎狸は確信した。この女狐め、きっと何か企んでくさりやがるな。
団十郎狸は最大級に神経をとがらせて、書状の文面一つ一つを改めていった。ここで油断すると、またとんでもない大赤字をくらわせられてしまう。
真剣に書状の文字を一つ一つ必死に拾っていく団十郎狸。すると、団十郎狸の瞳が、まるで霧がかかっていくように霞んでいきはじめた。それを見た楓、きゅぴーん☆ とキツネ目を光らせて、
「どうかしらぁ? 今回は、そのくらいお金でどうにかならないかしらぁ?」
と、団十郎狸に提言した。
「ふぅ~むぅ……せやかて、ほんまに、この値段でええんでっしゃろな? これやと、わてのほうがもらいすぎになりまっせ?」
団十郎狸は、霞がかった瞳で、夢うつつといった様相でつぶやいた。
楓はこれ以上ないくらい、愉快そうな笑みを見せた。なぜなら、楓が差し出した契約書に書かれている支払額が握り飯一つ買えるくらいの値段しかかかれていないのだ。それを、楓が化け術でもってして、割と法外な値段が書かれてあるように見せかけているのである。
「いいんですよぉ♪ 今までのご迷惑をおかけしたお詫びだと思ってくださいなぁ♪」
楓のこの一言に、団十郎狸は思いっきり破顔した。
「そうでっか。ほたら、楓はんの気ぃが変わらんうちに署名させていただきまひょ」
「はいはぁ~いぃ♪」
楓は部屋の棚から筆と
団十郎狸は、硯で墨をすり、その墨で筆を湿らせ、書状の一番下の署名欄に筆を向けた。
「ほな、署名をさせていただきまひょか。それで、今回の注文は成立っちゅうわけですわ」
「うんうんっ♪」
うふふぅ♪ ちょろいものねぇ♪ これで今回も、楓さんの勝ち――――。
と、楓が思ったその時、
「署名させてもらう前に、ちと失礼させておま――――」
急に団十郎狸が、ぼむっ! と元のタヌキの姿に戻って大きく息を吸い、見事なまでにふくらんだ自分の腹を思いっきり両手で叩いた。
ぽんっ!! という、
そして、団十郎狸はその晴れた瞳で支払額が書かれている部分に目をやり、大きくため息をつき、楓に言った。
「あきまへんなぁ、楓はん。化け術まで
「……ふぅん。確かに、団十郎狸の名は噂にたがわぬってわけねぇ」
明らかに面白くなさそうな顔をする楓に向かって、団十郎狸は楓よりもさらに面白くなさそうな表情となって言った。
「噂にたがわぬも何も、もうこんなやりとり、わてと楓はんは長い間続けてきてまっしゃろうに。ええかげん、一回でもええからまともに銭払ってくれまへんか?」
「あらぁ♪ でもでもぉ、あなただって、楓さんとのこのやりとりを楽しみにしてらっしゃるんじゃありませんかぁ?」
楓が団十郎狸にキツネ目細めてにっこり笑うと、団十郎狸は少しの間を置いて、その大きなつぶらな瞳を細め、にっこりと笑い返した。
「ま――確かにそれはありまんなぁ」
「うふふぅ♪ 仕方ありませんねぇ。今回は楓さんの負けですっ♪」
「ほたら、本格的に価格の交渉をはじめまひょか――――」
この後、楓と団十郎狸は日が落ちるまで、互いに譲らぬやり取りをおこない、結局のところ団十郎狸がギリギリ黒字になる金額で落ち着いたそうだ。
だが、黒字になる金額とはいっても、それは楓が注文した量の金額としてはかなり破格な金額と言えた。
こうしてみると、やはり楓の勝利と言えなくもない。だが、団十郎狸は正直なところ、楓との商いに関しては別に赤字になってもよいと考えていたのだ。
化け物長屋の差配人である楓の負った責務と縛りを考えれば、自分が赤字をくうくらい、なんてことはない。
楓のおかげで、自分も江戸の町にて堂々と屋号を掲げて商いができるのだし、楓の紹介で妖怪達が姿を忍んで、自分の店で買い物をしてくれるのだ。
それに、楓の言う通り、団十郎狸は楓との週に一度の
昨今、自分に対して化け術を使ってきたり面と向かってペテンをしかけてくるキツネなど、楓くらいのものだ。
キツネとタヌキ――古来より、化け術やペテンの方法で切磋琢磨してきたライバル種同士、そんな昔ながらの関係性を思い出させてくれる楓という存在は、団十郎狸にとって何にも代えがたいものなのである。
小男姿の団十郎狸が楓の部屋から出て、自分の店へと帰途を歩む頃には、すっかり辺りには夜のとばりが下りきってしまっていた。団十郎狸が、ふと空を見上げると、星空の中に見事なまん丸の満月が浮かんでいた。
「満月――か。ふむ、こいつはえろう風流なモンや。よっしゃ、久方ぶりに童心に帰ってみることにしまひょ」
ぼむっ! と団十郎狸はタヌキの姿へと変貌し、暗さと静寂が訪れかけている江戸の町へと駆け出していく。
きっと、翌日、江戸の町の同心詰所に、何人もの江戸っ子たちが血相を変えて飛び込んでいくことになるのだろう。そしてその江戸っ子たちは、口をそろえてこう言うのだ。
「タヌキに化かされたんだ!!!!」
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