華の大江戸日常絵巻~化け物長屋の人々~

日乃本 出(ひのもと いずる)

女剣士の但し書き


「うむ……よしっ!」


 外がやっと白ばみ始めたというほどの冬の早朝。女剣士・藤堂凛は、寝室に置いてある化粧鏡の前で満足気な声をあげた。

 といっても、化粧をしていたというわけではない。

 いつもの朝の準備――すなわち、気の強さを示すかのようにツンと上向きな大きな胸をサラシで潰し、トレードマークとも言うべき、藤堂家の家紋の入った特注の袴に袖を通し、腰まで届く黒光りする長い艶髪を整え終えたのだった。

 くるりと、凛は長髪をたなびかせながら振り向き、後ろに控えていた双子の女中、大袖と小袖に問いかけた。


「どうだ? どこかおかしなところはないか?」

「別にないっちゃ。いつもの凛嬢たい」


 めんどくさそうにそう言う大袖に、凛が不機嫌そうな声で、


「なんだ、その投げやりな態度は? 私はおかしなところはないかと聞いているのだぞ?!」


「だから、別におかしいところはないっち言うちょるやろ? なんかい、いつもの凛嬢はみっともないおかしか恰好ばしちょるんか?」

「うっ……い、いや、そういうわけでは……」


 大袖から言われて、タジタジする凛のそばに、小袖が音もなく歩み寄って無表情のままに凛に言った。


「……大丈夫……凛ちゃま、綺麗……誰も、凛ちゃまを笑わない……皆、凛ちゃまに目を奪われる」

「そ、それはそれで困るのだが……」


 江戸の町を歩けば、町娘からの黄色い声援と、一部の熱狂的な町娘からストーキングされている身としては、そこら辺は複雑なのだろう。小袖の賛辞に微妙な表情を浮かべる凛に、大袖が声を軽く荒げながら、


「ほぉら、いつまでごちゃごちゃ言いよるかね。煉弥の長屋に行くんやろうが? さっさと行かんと、あのアホがふらふらとどこかにいっちまうばい」

「う、うむ。そうだな。では、行ってくることにしよう!!」


 凛は、もう一度化粧鏡で己の身なりを確認し、どこにも手抜かりがないことに自信をもって、部屋の外へと駆け出していった。そんな凛に、大袖が大声で、


「凛嬢!! 朝餉あさげはどげんするとね?!」

「いらんッ!! ああ、だが昼餉ひるげは用意しておいてくれッ!!」


 まさに疾風が如く勢いで、凛は屋敷から飛び出していき、化け物長屋へと駆けていった。

 残された大袖と小袖。二人とも、同時にため息をついたところで、大袖が苦笑交じりの声で言った。


「まぁ~ったく、凛嬢のいじらじさは相当ばい。こげな冬の寒空に、行水までかまして身だしなみを整えるんやきね」


 大袖の言葉に同意するように、小袖がうなずきながら、


「……うん……凛ちゃま……本当に、愛らしい……」


 と呟いた。


「やけんど、それが煉坊や他の奴らにも伝わっちょらんのが、凛嬢のかわいそうなところっちゃ」

「……うん……凛ちゃま……言葉遣いが……激しいから……」

「まったくばい。やけんど、凛嬢の言葉っち、激しいけど、但し書きを入れたら、ちかっぱ愛らしいっちゃね」

「……但し書き……?」


 ひょこっと小首をかしげる小袖。


「そう。但し書きばい」


 がっはっは! と豪快に笑う大袖に、小袖が無表情のまま冷たい瞳を、じぃ~~っと大袖に向ける。


「うん? 小袖、わからんとか? 凛嬢の但し書きばい?」

「……ピンと……こない……」

「それやったら、もうちょっとわかりやすく言うちゃろか? たぶん、今日も煉坊がグースカねちょるか、御役目でそもそも家におらんか、どっちにしろ、凛嬢は絶対に煉坊に対して一喝かますやろ?」

「……うん……」

「その凛嬢の一喝の前に、凛嬢の心の但し書きを入れてみり」


 う~ん? と小首をかしげたまま思案する小袖。すると突然、


「……ぷふぅっ……!!」


 無表情のまま、盛大に吹き出した。大袖は満足気に笑いながら、


「わかったかい? な? ちかっぱ愛らしいっちゃろ?」

「……うん……すごく……愛らしい……」


 大声で笑う大袖と、びみょぉ~~~~に口角をあげる小袖であった。





 一方その頃、件の女剣士はというと…………。


「キサマッ!! なんだその乱れた格好はッ!!」


 袖姉妹の予想通り、長屋の部屋でボサボサ頭をかきながら寝ぼけ眼でぼぉ~っとしている煉弥に、凛が強烈な一喝を浴びせかけていた。


「るっせえなぁ……。一仕事終えて戻ってきて、やっと眠りに入ったてえのに、やかましいんだよ、テメエは。それに、起こすなら起こすで、もう少し可愛げのある起こし方とかあるだろうによ」

「やかましいッ!! 私は可愛げなどいらんッ!! そもそもキサマはだな――――」


 ウダウダウダウダウダ……といつもの武士の心得から始まる、お得意のマシンガン小言を繰り出す凛に、それに辟易する煉弥。

 しかし、煉弥は気づいていなかった。先ほどの凛の一喝に、袖姉妹のいうように但し書きをいれると、どれほどいじらしい一言になるのかということを。

 それでは、ここで先ほどの凛の一喝に、但し書きを入れてみることにしよう。


「キサマッ!! (せっかく私が、お前に会えるのを楽しみにして、誰よりも早く起きて、身だしなみを整え、朝餉も食べずにお前の元へと一目散にきたというのに)なんだその乱れた格好はッ!!」


 ああ、哀しきかな、純情乙女な女剣士よ。

 思っていることをそのまま言えば、その言葉をうけた煉弥が、どれだけ胸キュンで身もだえることであろうか……。

 この二人の仲が進むのは、やはり、当分先のことのようらしい。

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