ちなつと暁美~敬遠とエロい目~ 後編


 夕食を食べ終わり、青桐家のリビングではテレビのバラエティ番組の音だけが響いている。

 暁美は、部屋着姿で大人が三人座れる大きさの白色のソファーに寝そべりながら、テレビに目を向けずに、スマホをいじっている。


 台所では、ちなつがボーッと何か考え事をしながら食器を洗っている。考え事をしながらなのか、時間をかけて少量の食器を洗っている。


「自分で勝手に傷つけられたと思い込んでる……か」


 やっと辿り着いた答え。それ以外の答えが思いつかない。

 ただ自分が勝手に怖がって、勝手に怯えていただけ。


 しかし、答えに辿り着いても簡単に行動には移せない。

 いくらでも話せるタイミングがあった夕食の時でも、話すどころかまともに暁美の目を見ることもできていない。

 やっと解決の糸口を見つけたはずなのに、何もできない自分に嫌気がさしてしまう。


「まだ怖がってる……のかな」


 ちなつは、最後の食器を洗い終わり、水切りかごの中へ立てかける。

 ふぅっと一息ついて、タオルで手を拭いている。


「何を怖がってるって?」

「ひぃやぁい!?」


 突然、ちなつの両肩に手が置かれ、耳元に暁美の囁くような声と息が吹きかけられる。


「あ、ぁぁ、あ、暁美ちゃん!?」

「え、何でそんなに驚いてるの?」

「驚くよぉ……あぁ、びっくりした……」


 膝が少し震えて、心臓がバクバクとうるさい。

 ちなつは少し息を整えるために水を飲みたくなったが、まだ暁美が自分の肩に手を置いていて、動けない状況にいた。

 何だろう、どうしたんだろうと、ちなつは少し不安になりながら暁美の言葉を待っている。しかし、どれだけ待とうとも暁美は何も言わない。ただ暁美の息遣いと、手の温もりだけが感じられる。


「えっと……どうしたの?」


 沈黙の空気が耐えきれなくなった。ちなつは思い切って自分から声を出す。

 大丈夫、多分声は震えていない。平常心だ。自分に言い聞かせるように、心を落ち着かせる。


「え……あぁ、うん。ちょっと」

「んん?」


 ちょっと……ちょっとって何だ、と頭の中でちなつは混乱する。


「……振りほどかないんだね」

「え?」

「もう、アタシが我慢できないから言うけどさ……気づいてんだ、ちなつがアタシに思ってること」

「っ……!?」


 ちなつが暁美に思っていること……苦手、怖い、何を考えているのか分からない、なるべく近寄りたくない。

 今考えれば、こうも露骨に避け続けていれば、いずれは暁美に気づかれていてもおかしくはなかったのではないか。相手が中学生だろうと何だろうと、一人の人間なんだ、隠し続けることなんて出来なかった。


「知ってたよ。ちなつが、アタシのこと避けてるなって」

「っ……ご、ごめんなさ、い」


 唇が震える。

 ちなつが今まで想像してきた最悪の事態がやってきてしまった。どうなってしまうのだろう。痛いことは嫌だ……ちなつは、恐怖のあまり体が動かない。


「何で謝るの?」

「だっ、だって……私が、悪い……から」

「……あー、うん。そうだね、ちなつが悪いのかな」

「っつ……!?」


 そっと優しい手つきで、暁美はちなつの背中を撫でる。不意に撫でられたちなつは、ビクッと体が跳ねてしまう。

 そして、そのまま暁美の手は下へ下へと優しく撫でながら降りていく。


「えっ……? 暁美ちゃん……?」

「アタシの気持ち知ってて誘惑してくるんだもんね……矛盾してるよ。アタシのこと避けてるくせに、妙に絡んできたりさ。何? 無意識でしてるの? それともアタシで遊んでる? あ、いい匂い……」


 暁美の手はいつの間にか、ちなつのお尻をゆっくり味わうようにねっとり触っている。そして、ちなつの首元へ口付けをしながら、頬ずりしている。


「え… …え、っ… …あ、あの……!?」


 色々と様子がおかしい暁美と、言っていることが分からない事に、頭が混乱している。

 誘惑? 遊んでる? 何を言っているのだろう。暁美は何か勘違いをしている?


「あのっ……! 暁美ちゃんは何を言ってるの!? ゅ、誘惑とか……意味が分からなくて、それに……暁美ちゃんの気持ちって?」

「は? 何言ってんの? 知ってんでしょ? アタシが、ちなつのことエロい目で見てるって事」

「へ?」


 エロい目?

 ちなつの頭の中が真っ白になる。


「キモいって思ってんでしょ。だからアタシの事避けてるんでしょ」

「え……あ、それは……」


 どうしよう。思わない方向からのカミングアウトに、ちなつはどうすればいいのか分からない。

 それどころか、ちなつは理解が追いついてこない。暁美がずっとちなつの事をエロい目、つまり性的に見ていたという事。

 暁美が何を考えているかなんて、分からなくて当然だったかのようにぶつけられた言葉。


「避けられてるって気づいた時はヤバいって思ったよ……キモいって言われたらどうしようって」

「暁美ちゃん……」


 暁美の声が震えている。それほどまで不安だったのだろうか。

 ちなつの心の中がチクリと痛む。


「でも……ダメだった」

「え?」

「我慢できなくて、ちなつの下着を洗濯カゴから盗んだり、ちなつが留守の時にちなつのベッドに寝転んで匂い嗅いだり、ちなつのトイレの音をこっそり聞いたり」

「暁美ちゃん!?」


 あれ、これは思ったよりヤバい事になってきていないかと、ちなつは気づき始めた。殴られるとか、キレられるとかと言ったレベルじゃない。

 これは、自分が悪いのか? 自分が勝手に思い込みして避けてしまったせいで、暁美も勝手に勘違いして暴走していた?


「でも、全部知ってるくせに何も言わないちなつにも責任あるよね?」

「え、待って待って!? 私、何も知らないから!」

「ここまできてウソはダメだなぁ」

「ウソじゃないよ! 私が暁美ちゃんを避けていたのは別の理由なの!」

「は? そんな言い訳いらないんだけど。アタシもう我慢できないって言ったよね」


 肩に乗っていたもう一つの手が、ちなつの胸元まで降りてくる。それと同時に、お尻を触っていた手が、ちなつのズボンの中へ入ろうとしている。


「と、とりあえず話を聞いて! その後だったら何してもいいからぁ!」


 震える大きな声が台所に響く。必死な声が暁美に通じたのか、暁美は行為を止めて、ちなつの耳元に唇を近づける。


「いいよ。話聞いたげる。……ふふっ、何してもいいんだよね」


 暁美は勝ち誇ったような表情をしながら、震えるちなつの耳に息を吹きかけた。





……………………………………………………………




「申し訳ございませんでした……」


 リビングの冷たいフローリングの上で、暁美は土下座をしている。


「暁美ちゃんそこまでしなくていいから!」


 あたふたと暁美の体を起こそうと必死になっているちなつ。しかし、暁美はビクともしない。


 台所の一件から一時間ほど経った。

 あれからちなつは、暁美に全てを話すことになる。勝手に怖いと思っていたこと、苦手だったこと、考えていることが分からずに勝手に想像していたこと。

 暁美も、ちなつからの告白を聞き続けていると、自分の勘違いに気づき始め、顔から火が出そうになるほど赤面していた。


「アタシを警察に突き出すなり何なりして下さい」

「もういいから! そもそも私が酷いことしちゃってたのが原因なんだから……」

「ちなつ……うぅ、女神みたいにエロい……違う、女神みたいに優しい」

「え……その間違いは何」


 ちなつは何故かスッキリしていた。

 きっと、心の中にあったモヤモヤしていたモノを吐き出すことができたおかげだ。背負い続けていた荷物が、消えて無くなるような感覚。

 ちなつの目の前には、昨日までの怖い暁美ではなく、従姉妹の暁美がいる。こうやってちゃんと目を見て話すことができる。


「でも、本当に怒ってないの? キモいって思ってない?」

「うん。怒ってないし、そんな事思ってないよ」

「そっか……えへへ、よかった」


 ちなつは、ようやく土下座をしなくなった暁美の手を握り、優しく微笑みかけている。暁美も、ちなつの手を握り返して、少しニヤニヤとしている。


「じゃ、じゃあ……下着盗んだり、ベッドの匂い嗅いだり、トイレの音聞いたり、一緒にお風呂入ったりしてもいいってことだよね」

「ぅ、それは止めてほしいかな……って、しれっと一緒にお風呂入ることになってる……?」

「えぇー、怒ってないって言ったじゃん!」

「それとこれとは違います」

「ぅぅ……あ! でもさっき台所で、話聞いたら何でもしていいって言ってたじゃん!」

「うっ!? 待って……それは」

「ってことはしていいってことだよね! じゃあさじゃあさ! お風呂入ろ! 今から一緒に入ろ!」


 暁美はちなつを無理矢理立たせ、グイグイとお風呂場へと連れて行こうとしている。


「待って! 暁美ちゃん……!」

「ふへへっ……背中と言わず、全身洗ってあげるからさ!」

「うぅ……やっぱ怖いよぉ」


 



…………………………………………………………………




 華百合高校。

 中庭には芝生が張られ、様々な種類の花壇があり、生徒たちが大切に育てている。そして、木製のベンチが数箇所に設置され、生徒たちが休憩時間などに座りながら談笑する姿がよく見られる。


 今日は肌寒く、日向でなければ上着を手放せない。

 お昼休憩に、中庭のベンチに座りながらお昼ご飯を食べる二人の女の子がいた。


「はぁ……」


 ちなつは、スマホを眺めながらため息をつく。

 スマホのチャットアプリに返信をしているようだが、なかなか文章が思いつかないのか、モタモタしている。


「どうしたの? また、何かあったの?」


 ちなつの隣に座っている凛々子は、ピンク色の小さなお弁当箱を手に持ちながら、心配そうにちなつの方を見ている。


「……うん」


 返信することを諦めたちなつは、チャットアプリを中断してスマホをポケットの中へ入れる。そして、お昼ご飯のコンビニで買ったメロンパンを一口食べる。


「ねぇ、凛々子ちゃん」

「う、うん、どうしたの?」


 凛々子は、ちなつが悩みを打ち明けてくれそうな様子に少し嬉しくなり、お弁当箱を膝の上に置く。


「エロく見えなくする方法って無いのかな」

「へ?」

「ってか、私ってエロく見えるの?」

「え?」


 ちなつのポケットの中では、チャットアプリの通知で激しくスマホが震えていた。







 ちなつと暁美~敬遠とエロい目~ END

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