愛唯と凉子~援交と拒絶~ 後編
時刻は十九時になろうとしている。
愛唯と凉子は、しばらく手を繋いだまま駅前に佇んでいた。
「……そろそろ行かなきゃ。約束の時間なんだ」
先ほどまで凉子の手を愛おしく握っていた愛唯は、名残惜しそうに凉子の手を離す。
「あ……」
突然温もりの無くなった手は、温もりを求めるように空を虚しく握る。
それが昔、拒んだ温もりだったとしても。
「私、ずっと凉子に謝りたかったんだ。今さら、あんな酷い事しといて身勝手なのは分かってる……許してもらえるなんて思ってない……でも」
愛唯の顔はアスファルトを向いていて、どんな表情か分からない。でも、声が震えているのは分かる。凉子は何も言えずに、愛唯の言葉を聞いていた。
「ごめんなさい……」
擦れるような声だった。詰まる喉から必死に絞り出した声。その声を正面から聞いていた凉子の心に、詰まっていたモヤモヤが、さらに大きくなる。
「何で……何でよ……」
凉子の喉の奥から、モヤモヤが溢れてくる。
「何で今さら謝るの……!? 今さらそんなこと言われても、私どうすればいいの!?」
「……どうもしなくていいよ、こんな私を許す必要なんてないから」
愛唯は下げていた顔を上げ、少し苦しそうな笑顔を見せる。先ほどまでの愛唯とは思えない、別人のような女の子がそこにいた。
「じゃあね……バイバイ」
消えかけそうな声で別れを告げ、愛唯は凉子に背を向ける。凉子は、そんな背中を見て、本当にこのまま愛唯が消えていきそうに見えた。
本当に行かせてしまっていいのか。凉子の頭の中がぐちゃぐちゃになる。
このまま、愛唯は知らない男と夜の街に消え、もう二度凉子の目の前に現れないのだとしたら。
「っ……待って! 行かないで!」
凉子の手に、再び愛唯の温もりが戻ってくる。そして、小さく震えているのが分かった。
「凉子……?」
振り返る愛唯の目には、涙が滲んでいた。
「泣くなら……行かなきゃいいじゃん」
「っ……手、離してよ」
「やだ」
「何で……私の事嫌いになったんでしょ! 放っておいてよ」
「それでも、嫌なの……行かないで」
愛唯の手を引っ張り、自分の近くまで引き寄せる。愛唯は抵抗する素振りを見せない。
「嫌いなのに……放っておかないなんて、矛盾してるよ」
「分かってる。でも、この手を離したら絶対に後悔するから」
「意味わかんないよ、それ」
凉子の手に感じる愛唯は、もう震えていない。愛唯の表情が少し嬉しそうである。
「でも、このままどうするの? いつまでもこのままなの? 少しでもこの手離したら私、援交行っちゃうかもだよ?」
「それは……えっと……」
そうだ、引き留めたといえど、愛唯の意志が変わらなければ意味が無い。かと言って、援交に行くのを四六時中監視できるわけでもない。いつまでも一緒にいるわけにもいかない。
「アハハッ、凉子って本当に昔と変わらないね」
「ちょっと……人が本気で心配してるのに」
「……ありがとう、凉子。わかった、援交行かないよ」
愛唯は凉子の手を握り返し、凉子の目を笑顔で見つめ直す。
「えっ……本当に?」
「うん。だって、せっかく仲直りできたのに、また凉子に迷惑かけたくないから」
「そう……よかった」
凉子は、ひとまず愛唯が援交に行かないことに安堵し、ホッと胸を撫で下ろす。すると、少し心に余裕ができてきたのか、この状況を冷静に判断できるようになってきた。
「あっ、ごめん。急に手なんか握ちゃって」
凉子は手を握っていることに、だんだんと恥ずかしい気持ちになってくる。急いで凉子は手を離そうとするが、愛唯の手は離れようとしない。
「何で? 私はこのままでもいいよ」
「いや、それは恥ずかしいというか……人の目もあるし」
「えー、いまさらだよぉ」
ニコニコと、凉子の手を揉みながら、凉子の目をジッと見つめる。あらためて愛唯に見つめられると、やはり恥ずかしい気持ちになる。
「……ふふ、やっぱり凉子は凉子だね。大好きな凉子のまま……」
「っ……」
大好きな凉子。その言葉に、凉子の心がまたチクリと痛む。そうだ、愛唯は変わらず、あの日の心のままなのだ。
だったら自分はどうなのだろう。あの日から自分の心はどう変わったのだろう。
愛唯を嫌いになった……? 違う。そう思っていただけだ。本当に嫌いになっていたなら、今こうして目を合わせていない。
この心の中にあるモヤモヤは何なのだろ。いや……このモヤモヤ正体は、もう気づいているはずだ。
「愛唯……私は、愛唯の気持ちに答えられない」
「……うん」
「でも、友達として、愛唯と一緒にいたい」
友達。
きっと、二人は普通の関係とは言えない、しかし、普通に近い距離まで近づけるはずだ。凉子の心は叫んでいる。あの日以前の、自分達に戻りたい、と。
「……本当にいいの? 私、きっと凉子に迷惑かけちゃうよ?」
「いいよ。だって、私も愛唯に迷惑かけるから」
「あははっ、かける前提なんだ」
いつの間にか、二人の距離が先ほどよりも自然に近くなっている。通りすがりの誰が見ても、仲の良さそうな二人に見える。
「ん? あれ、スマホが鳴ってる?」
凉子は、カバンの中に入っているスマホが鳴っている事に気づくが。
「あちゃ……」
「どうしたの?」
「ううん。さっきの後輩から電話かかってきてたんだけど、切れちゃった。……って、うわぁ、五回も鳴ってたんだ。ぜんぜん気づかなかった」
着信履歴に、なずなからの着信があったことが表示されていた。五回も着信があったという事は、何か緊急の用事があったのだろうか。
「あははっ、早くかけ直してあげなよー」
「うん、そうする……怒ってなきゃいいけど」
「それじゃあ、私もこのへんで帰ろうかなー」
愛唯は、グーッと背伸びをしてニコニコしながら凉子から少し離れる。
「あっ……あのさ、愛唯」
「ん?」
凉子は、少しモジモジしながら、愛唯にしか聞こえない小さな声で話す。
「私、明日から部活休みで暇なんだ……」
顔を赤らめ、愛唯の目を見れないのか、視線があちこちに飛んでいる。
「ぷっ、あははっ、知ってるー」
「ちょっ……どういう意味よ」
「凉子の事だもん、何でも知ってるの」
「何それ。だから、えっと、その、明日暇だったら遊びに行かない?」
ギュッと、凉子はカバンの持ち手を握り、見ることの出来ない愛唯の顔を想像しながら、返事を待っている。
「うん! 行きたい!」
凉子の想像していたよりも明るく楽しそうな声に、凉子は思わず愛唯の顔を見てしまう。
そこには、幸せそうに頬を赤らめて笑う愛唯がいた。今まで見たことのない笑顔だった。
「じゃあ、今日寝る前に電話するから、その時にどこに行くか決めようね」
「う、うん。いいよ」
ハッと、凉子は自分が愛唯に見蕩れていた事に気づく。あまりにも、愛唯の笑顔が眩しいと思ってしまった。
「えへへ、楽しみにしてるね。バイバーイ」
愛唯は手を振りながら、その場から動けずにいる凉子から離れていく。あっという間に、愛唯の姿は駅の中へと消えていく。
「……うん、私も楽しみ」
凉子は、自分でも分かるくらいにニヤニヤしていた。そして、まだこの場から動けそうにないと思っていた時だった。
「うわっ!?」
持っていたスマホが、唐突に鳴り出す。
なずなからの着信だった。
「あー、そうだった。ヤバっ、忘れてた」
凉子は恐る恐る、なずなからの着信をとる。
「あー! やっと通じたー!」
やはり少し怒っているような声である。
「リョウちゃん、あの後無事だった!? 何にもされてないー?」
「あぁ、うん。ありがとう。何にもないよ」
「そう? よかったぁ。あの人と仲悪そうだったから、ケンカしてないか心配だったんだー」
電話越しでも伝わるほどの、安堵のため息が感じられる。どれだけ心配をしていたか、これだけで十分分かる。
「ごめんね。心配かけちゃって」
「いいよー。何にもないって分かったから。それだけで安心……って、何かリョウちゃん機嫌いい?」
「ん? そうかな? 気のせいじゃないかな?」
「んー、そう、なのかな?」
なずなは、珍しく声が軽やかな凉子を不自然だと思っていたが、本人が言わないなら、これ以上は聞かないことにした。
「あー、そうだ、これだけ言っときたくて。なんかあの人さ、ちょっと違和感があって」
「違和感?」
愛唯と出会ってから、なずなの頭に引っかかるものがあった。
「私、あの人の前でリョウちゃんの後輩って言ったっけ?」
「え?」
「言ってないよね? でも、あの人……たしかに私の事、後輩ちゃんって言ってたような」
「うーん、どうだろう。気のせいじゃない?」
「えーっ、そうかなぁ。だって、なずな今まで後輩に見られることなかったし……」
なずなは、その容姿のせいで今まで年相応に見られることもなく、本人も当たり前のように過ごしてきた。しかし、今日は今までとは違う事に戸惑っている。
「それだけだったらもう切るよ」
「うーん……はーい。あ、そうだ、また遊ぶ日決まったらチャットするねー」
「はーい。またね。ありがとう」
凉子は着信を切り、ふぅっと一息つく。
「心配症なんだから、もう」
凉子は、慕ってくれる後輩の顔を思い浮かべながら微笑む。そして、そのままボーッとスマホの画面を見ていると、ふと、現在の時刻が目に映る。
「あ! 電車!」
重たい足を上げ、凉子は駅のホームへと走っていく。
今日家に帰れば、繋がることのなかった番号から着信がくる。
繋がろうとしなかった日々が終わる。
また口元が緩くなるのを感じた。
愛唯と凉子~援交と拒絶~ END
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