第10話 カルミアと撫子~嫉妬と緊張~

カルミアと撫子~嫉妬と緊張~

 四月も今日で終わり、桜が葉桜へと変わっていく。太陽も、沈むまでの時間が少しずつ長くなり、午後五時でもまだ明るい。

 夕日が照らす住宅街の歩道。小柄で、中学生のような容姿、着ている制服と背負っているリュックが、少し大きいのではという印象を受ける女の子、島崎しまざき 撫子なでしこが歩いている。

 撫子は華百合はなゆり高校二年生で、図書委員に入っている。今日は図書委員の業務が長引いてしまい、帰る時間がいつもより遅くなってしまった。


「……ふぅ」


 撫子は空を見上げて、息を多く吐く。撫子の表情には、少し緊張しているような、そんな表情だった。その理由は、これから帰る家にある。


「もう、ここに来てから、一年……か」


 ポツリと小さな声で呟く。


「いい加減、慣れなきゃ……」


 パンパンっと、両手で頬を軽く叩き、頭を左右に振る。しかし、どこか心の中では、モヤモヤとした気持ちが残っている。

 どうして自分はこんなにも素直になれないのか……貰ってばかりの愛情に、気づかないフリをして過ごす日々でいいのだろうか。いつまでもこうして、ウジウジしている自分が……嫌いになる。

 頭の中でグルグルと考え事をして、下を向いて歩く撫子は、後ろから近づく人物に気づくはずなどなかった。その人物は、ずーっと撫子の事を呼び続けていることも。


「おーい、姉さん。ねーえーさーん……って、聞こえてないの? おーい。もしもーし」

「っひゃっぁ!?」


 呼んでも気づいてもらえないので、仕方なく撫子の頭に手をポンっと乗っける。すると、やっと声の人物に気づくことになる。


「ぁ……あぁ、何だ、カルミアちゃん……だったのですね。……びっくりした」


 撫子の隣には、撫子よりも頭一個分大きい女の子が立っていた。夕焼けの色に似たオレンジ色の髪を、サイドポニーテールにしている。少し大きめのジャージを着ていて、白いスポーツバッグを肩にかけている。

 華百合はなゆり中学校三年生、金剛こんごう カルミア、撫子と一緒に暮らしている。


「何か難しい顔してたけど、どうかした?」

「ううん……何でもないですよ」

「……そう? だったらいいけど」


 沈黙、二人の間に沈黙ができてしまった。そこから会話が続かない。

 しばらく二人は並んで歩く。しかし、撫子は少し気まずく思っている。このまま家まで無言で帰るのは嫌だ、けど何を喋ればいいいのか分からない。


 ちょうど一年前、撫子は突然母親から、金剛家に住むことになると告げられ、ほとんど強制的に金剛家へとやってきた。だが、金剛家とは面識が無かったわけではなかった。

 金剛家の長女、金剛 ダリアとは幼馴染で、よく遊んでいた。しかし、それはダリアと仲が良かっただけであり、ダリアの母親や、妹のカルミアとはほとんど会話したことが無い。


 だが、母親同士はとても仲が良く、娘達の知らないところで親密になっていた。

 元々、撫子は人見知りをしてしまい、人とのコミュニケーションが苦手である。一年住んで、ようやくカルミアと目を見て話せるようになった。が、話せるようになっただけであり、まともな会話はまだできない。


「……今日は、姉さん帰るの遅かったんだ」

「え? あ、うん。今日は図書委員の仕事が長引いたんです。それでこんな時間に……えへへ」


 沈黙を破ったのはカルミアからだった。


「ふーん。じゃあダリアは? 今日、一緒じゃないの」

「あー、何か今日は急用がどうとか言って、先に帰っちゃいました」

「急用……ね」


 カルミアは撫子の顔を横目で見る。撫子はカルミアの視線に気づき、ハッと一瞬目が合う。だが、すぐに撫子は目線をそらし、道に目線を落とす。

 そして、また沈黙が訪れた。

 コツコツと二人の足音が響き、時おり、通り過ぎる家々から笑い声や楽しそうな会話が聞こえてくる。

 まだ金剛家までは十五分くらいある。

 どうしよう、話題を考えなければ……と、撫子は心の中で焦る。何で自分はこんなにも面白くない人間なんだと、自己嫌悪までしてしまう。


「……姉さんって、私のこと嫌い?」

「へ……?」


 突然だった。前振りも無く、突然の言葉だった。心の準備なんてしていない、むしろ準備していたところで、どうにかできる事でもない。


「だって、私といると居心地が悪そうだからさ」

「そ、そそそ、そんなこと……!」 


 そらしてしまった目線を上げると、ジッと真顔で撫子を見つめているカルミアがいた。

 うまく声が出ない。その代わりに汗がダラダラと出てくる。

 どうしよう、やってしまった、とうとう恐れていた日が来てしまった。今まで先送りにしてしまった事が、取り返しのつかない事になった。


「プッ……アハハハハハハ!」

「へ……?」

「ゴメン姉さん、ウソウソ、ちょっとからかっただけだよ」


 さっきまで怒っていたように見えたカルミアの表情が柔らかくなり、撫子の頭を優しく撫でた。


「ウソ……?」

「うん。だって姉さん、ダリアとしか仲良くしてないからさ。一年も一緒にいるのにね。嫉妬しちゃったの」

「ぁ……よかった……」


 頭の中でグルグルしていた事が突然無くなり、気が抜けた撫子はその場で立ち止まってしまう。体がまだ少し震えている。目には少し涙が滲んでいる。


「え、ちょっ、姉さん? 大丈夫? ゴメン、そんなにイジメるつもりじゃなかったんだけど……えっと……」


 やりすぎてしまったと思ったカルミアは、撫子の目の前に立って、頭を撫でたり、手を握ったりしている。


「本当にゴメン……姉さん。本当は私も、ダリアみたいに姉さんと仲良く話がしたくて……それで……」


 焦るカルミアは、軽はずみでやってしまった事に後悔している。今度はカルミアの目から涙が滲み始める。

 すると、撫子は首をフルフルと静かに横に振る。


「ううん……ボクのほうこそ、ごめんなさい。人と話すのが苦手だからって……カルミアちゃんから逃げてました……。本当はずっと、仲良くなりたいって……思ってたのに」


 撫子は、カルミアの手を、ギュッと握り返して、視線をもう一度カルミアの真っ直ぐな目を見つめる。


「姉さんも……? 私の一方通行じゃなくて……」

「はい。だって、ボクよりもずっと可愛くて、テニスも強くて、勉強もできる……そんな子が家族になるって思ったら、緊張しちゃいました」

「私も、子供の時からずっと遠くから見てた……憧れの存在だったの。だから、すっごく嬉しくて……ダリアに嫉妬して……」

「そう言うことも、これからもっと話してください。ボクもいっぱい話したいことあります」

「うん……私も……沢山ある」


 少しだけ沈黙になる。しかし、その沈黙は、先ほどの沈黙と違い、とても心地良い沈黙である。


「カルミアちゃん、今からでも、こんなボクと家族になってくれますか……?」

「……うん」


 しばらく見つめ合う二人。すると、一年間の隙間を埋めるように、カルミアは撫子の腰に手を回して、グイっと自分に引き寄せる。


「はえ? カルミアちゃん?」

「仲直りのハグだよ。姉さん」

「え、あ、そうなのですか……?」


 身体はカルミアの方が大きいので、撫子はカルミアの胸の中に収まる。


「姉さん……大好きだよ」


 ギュゥゥっと抱き締めるカルミアに、だんだんと恥ずかしくなってきた撫子。普段からダリアに抱き着かれてる撫子は、ダリアなら無理矢理引き剥がして、頭を引っ叩くのだが……。


「カルミアちゃん……あの、ここ外なので、そろそろ……」

「もうちょっと……ダメ? 家だったらダリアに邪魔されるし」

「うぅ……」


 相手が相手だけに、無下にするわけにもいかなくなった。

 撫子は、カルミアの胸の中で、いつ放してくれるのかと待っていた時だった。カルミアのスマホから、着信音が鳴り響く。


「あの……鳴ってますよ」

「んもー、誰よ、まだこれからって時に」

「ぇ……まだこれから?」


 カルミアのスマホの画面には、『ダリア』と表示されていた。


「……拒否っと」

「え、待ってください待ってください。大事な用事かもしれないですよ!」

「……姉さんがそう言うなら」


 しぶしぶと電話に出るカルミア。最初はブスーっとした表情だったが、だんだんと元に戻ってくる。電話を最後切る時には、ニコッと笑っていた。


「ダリア、何って言ってましたか?」

「んふふ。秘密だよ。姉さん」

「えー……気になります」

「帰ったら分かるよ」


 カルミアは撫子の手を握り、ニコッと微笑む。


「帰ろう。今夜はパーティーだよ。姉さん」

「パーティー?」


 カルミアに手を引かれながら、再び歩き出す撫子。撫子の心には、先ほどの緊張感はほとんど消えていた。

 これから、この道でウジウジと悩む事は無くなると、撫子は感じていた。




カルミアと撫子~嫉妬と緊張~ END

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