第8話 蓮と梨央~猫かぶりと虹~
蓮と梨央~猫かぶりと虹~
秋雨がシトシトと、朝から降り続けている。
「雨、止まないなー」
ここには、授業以外で生徒が近寄ることもなく、ましてや教師もなかなか訪れない。
「はあ……なーんかおもしろくなーい」
しかし、華百合高校一年生の
音楽準備室には、音楽教師が準備等で使う机や、楽器の備品等が乱雑している。ここ数年、整理整頓がなされていないことが、はっきりと分かる。
梨央はデスクチェアーに腰掛け、クルクルと回りながら、とある人物を待っていた。
そうして数分もすると、廊下を歩く音がこちらへと近づいてくるのが聞こえた。
「……きた!」
足音は音楽準備室の前で止まり、引き戸が少し開かれたところで、その人物の動きが止まる。そして、盛大なため息が聞こえる。
「レンちゃーん、何してるのー?」
梨央は手をパチパチと叩きながら、静止した人物へ音楽準備室に中に入るように誘導する。
「アンタが何してるのよ」
ガラガラと、力なく引き戸を開けて、黒のスーツスカートに、七分袖の白いカットソーを着た音楽教師の、
「リオは、レンちゃんを待ってたんですが」
「私は待っててほしくなかったけどね。ほんと……毎日毎日来るんだから」
蓮は音楽準備室の扉の鍵を閉め、梨央の近くにあるパイプ椅子にドカッと座る。そして、買っていた缶コーヒーを飲み始めた。
「あ゛ー……しんど……」
パイプ椅子に深く腰掛け、グテーっとだらしない恰好になる。とても教師とは思えない姿だが、梨央はニコニコと蓮を見つめている。
「今日もお疲れですね、レンちゃん」
「疲れるわよ。アンタらみたいな、若いってだけで何でも出来ると思い込んでるキラキラした存在の相手はね……」
「おぉー、今日は一段とお疲れモードのようで。さては何かあったね」
シャーっと椅子のローラーを転がし、蓮のすぐ側まで近寄った。
「告白されたのよ。三年の子にね」
「ほほー、卒業前の玉砕覚悟のアタックってやつだー。で? 返事は?」
「『ありがとう。私のことを特別な気持ちで思っててくれたなんて。貴女の気持ちはとても嬉しいわ。でも……ごめんなさい。私は教師として、貴女の気持ちには答えられないの』……いつも通りの返事よ」
蓮は缶コーヒーをいっきに飲み干して、けだるげにしている。
「でも今回はダメだった。『だったら、卒業してからもう一度来ます。私のこの気持ちは諦めることができません』って……切り返されちゃってねー……はぁ」
「わーお。さっすが人気の女教師ですねー。……猫かぶってるから」
「コラ、聞こえてるわよ」
梨央の頭を鷲掴みにして、左右にブンブンと振り回す。
「痛い痛い! もー! 本当のことじゃん!」
蓮の手を両手で握り締め、自分の頭から引き剥がす。そして、そのまま手を握ったまま頬を膨らませる。
「リオも、7月までは騙されてましたしー。まさか、あの優しくてフワフワした琴平先生が、めんどくさがりで、性格の悪い腹黒女教師だったなんてねー」
「腹黒は余計よ」
蓮はギロっと梨央を睨むが、梨央はずっとニヤニヤしていて、蓮とのやりとりを本当に楽しんでいるようだった。
「……ま、あの時アンタに、ここで私がタバコを吸ってたのを見られた私が悪いんだけどね」
蓮はヘビースモーカーというほどタバコを吸っていないが、イライラした時などに吸うことがある。しかし、学校では猫をかぶっているせいで、喫煙所に行くことができなかった。
なので、誰も来ない場所なのをいいことに、蓮は時おり我慢できずに、音楽準備室でタバコを吸っていた。甘い匂いのタバコだから大丈夫だと、自分に言い訳をして。
だが、七月上旬のことだった、音楽準備室の鍵を閉め忘れ、本当にたまたまやって来た梨央に目撃されてしまう。それから梨央は、秘密にする事を条件に、この音楽準備室へ入り浸ることとなる。
「……そーいえば、あれからレンちゃんがタバコ吸ってるところ見たことない」
ジーっと梨央は蓮の目を見つめる。
「何よ。別にいいでしょ。私が吸いたいときに吸うだけであって……」
「ウソですよね。……もしかして、リオがいるから吸わないの?」
キュッと蓮の手を握り、何かが溢れ出しそうな表情の梨央。そんな梨央に、蓮はもごもごと言い出しにくそうにしている。
「そ……そうよ。悪い? 性悪女教師が、生徒の身体を気にしちゃ悪いかしら」
「っ……ううん、嬉しい。えへへー、そっかー、気にしててくれたんだー」
「あー……っもう、いいから手を離してよ。暑いでしょ」
「えっ、あっ、まって……!」
蓮が手を無理矢理梨央から離そうとしたのだが、思っていたよりも梨央が力強く握っていたせいか、梨央はさらにギュッと力を込めてしまい、蓮に引っ張られるような状態になった。
「ちょっ……! バカ……!」
ガシャンっと、梨央は蓮に引っ張られたせいで蓮に飛びかかるように体当たりしてしまう。そのまま二人は椅子から転げ落ち、蓮が梨央の上に覆いかぶさってしまう。
「い……った、梨央、大丈夫?」
「う、うん……」
梨央は、すぐ近くに蓮の顔があることに赤面してしまい、心臓がバクバクとうるさい。早く蓮が離れてくれるのを待っていた。
「……ん? どうしたのよ。なんか顔が赤いじゃない」
「な、な、何でもないからー、早くどいてよ」
バタバタと小さな抵抗をする梨央に、蓮は少しニヤリとした。
「なーに。もしかして、照れてるのかしら。今まで口では私の事あんだけ煽っといて、意外と初心だったってことかしら」
「うるさいなー……もぉー……」
プイっと、蓮から目線を逸らし、梨央は赤面していて、さらに身体が少し震えていた。
「……ねぇ、梨央。アンタ、私が猫をかぶっている理由、分かるかしら」
「はあ……? 急に何ですか。ってか、本当にこの状況で何を……」
「……嫌われたくないからよ」
蓮は少し悲しそうな表情を浮かべ、梨央の前髪をサラッと触る。
「自分でも嫌になるのよ……こんな性悪な性格……だから、隠してる。こんな性格のくせに、人に嫌われるのが人一倍怖いから……」
「レンちゃん……?」
「勝手よね。さんざん人の陰口言って。勝手に人を値踏みして。勝手に人を見限って……。そのくせ、八方美人で、他人の評価を気にしている……」
蓮は自然と、梨央を抱きしめていた。さっきまでは緊張で震えていた梨央だったが、今度は蓮が不安で震えていた。
「今日告白してきた子にだって……本当はもっと良い言葉があったはずなのに……。傷つけるのが怖くて、優柔不断な答えしかできなかった。あの子は本気で私に気持ちを伝えてくれたのに……もっと苦しませることになっちゃった」
「……リオは、そんなレンちゃんが、好き……ですよ」
梨央は、怯える蓮を優しく受け止め、ギュッと抱きしめる。
「猫をかぶっているレンちゃんと、かぶってないレンちゃんを両方見てきたけど、やっぱりかぶってないレンちゃんのほうが、好き」
「梨央……」
「たとえ、レンちゃんが皆に嫌われても、リオは絶対に嫌いにならない」
「……うん。ありがとう、梨央」
いつの間にか蓮は笑顔になっていて、震えもおさまっていた。
「ねぇ梨央……もう一つ、私が何で告白を断ったか分かるかしら?」
「ん? だって、教師と生徒だからじゃないんですか?」
「それもあるけど……」
蓮は少し顔を赤くし、ジッと梨央の目を見つめる。
「……バーカ」
「はっ!? 何ですか急に!」
「うっさい、バーカ。やっぱり教えてあげないわよ」
蓮は立ち上がり、スーツについた埃をパンパンと手で掃いながら、窓に近づく。
「はぁー!? 意味わかんないんですけど。やっぱり性格悪い!」
「何とでも言うがいいわよ。あっ、雨が止んでる」
カラカラと窓を開けて、青空が見えている明るい空を見上げる。
「あ! レンちゃん虹が出てる!」
「はいはい。虹くらいではしゃがないの」
「写真! レンちゃん一緒に写真撮ろうよ!」
「何でよ。嫌に決まって……あっ! ちょっ!」
「はーい、スマーイル!」
パシャっとシャッター音が部屋に響き、梨央のスマートフォンの画面には、赤面する蓮と笑顔の梨央が、これからも続く、幸せな関係を写していた。
蓮と梨央~猫かぶりと虹~ END
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