第7話 恵美と直海~皆勤賞と風邪~

恵美と直海~皆勤賞と風邪~

 梅雨が明け、カラッとした暑さがやってきた初夏。

 華百合はなゆり高校の昼休憩を告げるチャイムが鳴る。生徒達は各々、教室や食堂で昼食をとっていた。

 だが、二年生の飯田いいだ 直海なおみは、他の生徒とは違った。

 お弁当を入れている、猫のイラストが描かれた可愛らしい巾着袋を二つ持ち、華百合高校の体育館の裏へと急ぐように向かっている。

 体育館の裏は小さな林になっていて、薄暗く、誰も近寄らない。しかし、体育館の壁にもたれかかり、ボーっと空を見上げる女の子の姿があった。


「おーい、メグ。来てあげたよ」


 直海はニコッと笑い、女の子に巾着袋を見せつける。

 きし 恵美めぐみ、一年生で今年の新入生代表に選ばれた子でもある。なので、成績はとても優秀なのだが……。


「あー、直海ちゃんだー。えへへー、待ってたー」


 とてもおっとりした女の子であり、非常にマイペースで、人を困らせることが多々ある。


「待ってたー、じゃないでしょ。いい加減こんな寂しい場所で食べるの止めたら?」

「えー……ここお気に入りなのー。直海ちゃんは、そう思わないのー?」


 震える子犬のような目で、直海の目を見つめる。そんな目で見つめられると、直海は弱い。


「メグがいいなら、いいけど。ほら、さっさとご飯食べるよ」

「うんー。えへへー、直海ちゃんのご飯大好きー」


 恵美が用意していた、向日葵柄のレジャーシートの上にくつろぎ、お弁当を広げる。

 直海のお弁当はシンプルだった。ゆかりとひじきの混ぜご飯、玉子焼き、ウインナー、ブロッコリー、鮭の塩焼き、ミニトマト。全部、直海が今朝、早起きして作ったものだった。


「んんーっ、美味しいぃー」


 恵美は玉子焼きを頬張りながら、ニコニコとしていた。


「……メグって本当に美味しそうに食べるね」

「んー? 本当に美味しいからだよー」


 恵美は、鮭の塩焼きを皮ごと頬張り、ニコニコと直海に微笑む。そんな恵美を見て、直海も自分のお弁当に箸をつける。


「ちなみに、今日はメグの嫌いなミニトマトがあるわけですが、そこんとこどうでしょうか」

「えー……メグのお弁当には、入ってないけどー……」

「こら、おかずカップで隠さないの」


 恵美は、黄色のおかずカップをひっくり返して、ミニトマトの上に乗せようとしている。しかし、すぐに直海に見透かされてしまう。しぶしぶと恵美はミニトマトと見つめ直す。


「コイツ……嫌いー……」

「コイツとか言わない。好き嫌いは、いけないからね」


 直海にジッと見られてしまい、後には引けない状態だ。しかし、勇気を出せない。すると、恵美は涙目で直海をジッと見つめ返す。


「直海ちゃんが……食べさせて-。そうしたら食べれる―」


 アーンと口を大きく開けて、直海に食べさせてもらおうとしている。


「……ったく、仕方ないなぁ」


 ぷるぷると震えている、恵美の小さな口の中にコロンとミニトマトを放り込む。スルッと入ってきたミニトマトを、なるべく咀嚼せずに、ゴクンと飲み込むことができた。


「オェー……まじぃー……」

「ふふっ、ほら、スープ持ってきたから飲みなよ」


 ピンク色のスープジャーを恵美に渡す。中身は、ニンジンとキャベツをみじん切りにした具が入ったコンソメスープである。


「ほぁぁー……美味しいー……スープが熱くてー、体も暑いけどー、それがまたいいー……」

「ふふっ、よくミニトマト食べれたね、偉い偉い」

「頭、撫でてくれてもいいんだよー」

「ばーか。調子に乗らないの」



 昼休憩が二十分過ぎた頃、直海と恵美はお弁当をちょうど食べ終わっていた。

 直海はお弁当を片付けていて、恵美はレジャーシートの上でゴロゴロしている。


「あ、メグー、お菓子食べる?」


 巾着袋の中から、グミと溶けにくいチョコレート菓子が出てきた。


「食べるー!」

「あ、こら!」


 ゴロゴロしていた恵美が、寝転がったまま直海に転がって行き、正座していた直海の膝の上によじ登った。


「ふふふー。直海ちゃんの膝の上はー、メグちゃんの特等席なのだー」

「ドヤ顔でそんなこと言われても……」


 慣れている直海は、構わずお弁当を片付ける作業に戻る。すると……。


「……っちゅん……っちゅん……」


 恵美の体が震えて、可愛らしいくしゃみが聞こえてきた。


「あれ、メグもしかして風邪ひいた?」

「ううんー。ただのくしゃみでござるよー」

「本当に? またお腹出して寝てたとかじゃないでしょうね」

「ちーがーうー」


 バタバタと手と足をバタつかせ、頬を膨らませる。


「クーラーをつけっぱなしにしてー、裸で寝てたでしたー」

「はぁぁあぁああ!?」


 直海は、片付け終わったお弁当の入った巾着袋を、恵美のドヤ顔の上に落してしまう。


「ぐぅぬぅぅー、痛いー。なにすんのー!」

「アンタ……よくそれで風邪ひいてないって言えるのね……」

「んー? 本当にひいてないよー?」


 直海は恵美の額に手を当てるが、いつもの恵美の体温が感じられる。


「……うーん、食欲もあるし、本当にひいてないのね」

「当たり前だよー、だって皆勤賞狙ってるからねー」

「え、メグそうだったの?」

「えへへー。だって好きだからー」

「そっか、でも無理しちゃいけないからね。ってか、クーラーつけて裸で寝てたって何なの!?」

「そんなことでメグちゃんを風邪にすることなどできないよー」


 いつの間にか、直海に膝枕してもらい、直海の手を握っている恵美。幸せそうにニコニコと笑っている。


「ぜったい風邪になるわこの子」

「無い無いー」

「はいはい。もし風邪ひいても、お見舞いに行ってあげないからねー」

「えー……悲しい」


 二人の頬を生温い風が通り過ぎていき、平和な昼休憩が過ぎてゆく。




……………………………………………………………………



 目覚まし時計の音が鳴り響き、目が覚めた瞬間、頭が誰かに締め付けられているような感覚に襲われる。声を出そうにも、喉の奥に紙やすりが、へばりついているように痛くて、声がかすれる。起き上がろうとしても、体が鉛みたいに重い。


「……ぁー……風邪ひいた……」


 直海は薄暗い天井を見上げて、そう呟いた。

 風邪の怠さと同時に、悔しさもこみ上げてくる。恵美にあれだけ言っておいて、風邪をひいてしまった自分が情けなくて、恥ずかしい。


 こんな弱った姿を見せたくない直海は、一刻も早く風邪を治さなければと、重たい体を動かす。

 直海は、実家から離れ、華百合高校へ通うために一人暮らしをしている。華百合高校の近くにあるアパートを借り、親からの仕送りで生活をしている。直海の借りている部屋は1Kで、一人暮らしにはちょうどいい広さである。


 直海は常備してある風邪薬を飲み、一息ついて時計を見る。時刻は6時半。そして、ちょうど炊飯器のご飯が炊ける音が鳴る。


「私が休んだら……メグ、ご飯どうするのかな……」


 心がチックっと痛み、恵美の悲しそうな顔がよぎる。だが、こんな体で学校など行けるはずもない。どうすることもできない事実に、ため息をついて直海は再び布団に戻る。


「ごめんね……メグ……」


 少ない体力を振り絞って、スマートフォンを操作して、恵美にメッセージを送る。


『ごめん、風邪ひいた。今日は一緒にご飯食べれないです』


 送信されたことを確認した直海は、そのまま意識を手放した。直海の目からは、一筋の涙が零れ落ちた。





…………………………………………………………



 ジャーっと、キッチンで水が流れる音と、誰かが鼻歌を歌ってる。その歌はどこかで聞いたような歌。とても心地いい。

 ボーっとした意識が、だんだんとハッキリしてくる。枕がいつの間にか氷枕に変わっていて、頭痛が和らいでいる。


「あー、目が覚めたー」


 直海は目を開け、声の主を見上げる。そこには、優しく笑う恵美がいた。


「あれ……メグ? 何で……」

「何でってー、直海ちゃんのお見舞いだよー」


 恵美はピンク色のエプロンを着ていて、直海の側に座る。そして、直海の頭を優しく撫でる。


「えへへー、しつこくお願いしてー、直海ちゃんの部屋のスペアキー貰っててよかったー」

「……メグ、学校は……?」

「いいからー直海ちゃんは寝てなきゃー。あー、お粥作ったんだ―、食べれるー?」

「メグが……お粥を?」

「あー、その顔は疑ってますなー。むふふふー」


 恵美はニヤニヤと笑いながら、お粥が入ったお鍋を持ってくる。そこには、美味しそうな匂いのするお粥があった。


「直海ちゃん起きれるー?」

「う、うん……ありがとう」


 直海は恵美に支えられながら、テーブルの前に座る。美味しそうな匂いに、お腹がクゥーっと小さく鳴った。


「食べて―食べてー」

「う、うん……いただきます」


 パクっと口の中に入れると、最初にカツオの風味が広がり、少ししょっぱい梅肉が、カツオの出汁を吸った米と一緒にやってくる。


「……美味しい」

「えへへー、でしょー。メグちゃんスペシャルお粥だよー」

「ふふっ、なにそれ」


 ご飯を食べれたおかげで、直海の元気が少し戻ってきたようだ。


「さーて、メグも早いけどー、お昼ご飯食べよー」


 恵美はお粥を作った余りの米で、おにぎりを作っていた。


「お昼ご飯……あ、今何時!?」


 直海は部屋の時計を見る。そこには11時半と表示されていた。


「ちょっとメグ! 学校はどうしたの?」

「んー? 休んだよー」

「えぇぇ……なんで……」


 罪悪感が直海の心にじわっと湧き出る。


「だってメグ、皆勤賞狙ってたって……私なんかのために……」


 お粥を食べる手が止まり、直海の目が恵美から目を逸らしてしまった。


「んん? 皆勤賞はー、まだ終わってないよー?」

「え? でも学校休んで……」

「メグちゃんはー、直海ちゃんとお昼ご飯食べる皆勤賞をー、狙ってるんだよー?」

「……へ?」


 直海は、頭痛が一瞬、痛くなくなったような気がした。


「言ったでしょー、好きだからーってー」

「っ……」

「メグちゃんはー、直海ちゃんが好きだからー、毎日一緒に過ごしたいんだよー」

「ば、バカじゃないの……! メグが好きなのは、私のご飯でしょ」


 顔を赤くして、お粥をパクパクと食べ始めた直海。そんな姿を見て恵美はニコッと笑い、直海の真横まで近寄った。


「ご飯粒ついてるよー」


 ペロッと、恵美は直海の上唇を舐めた。


「へ……」

「直海ちゃんの風邪が治ったらー、今度は直海ちゃんを食べてみたいなー……なんて、ねー」

「っっっ……!?」


 この後、直海は風邪が長引き、三日間治らなかった。

 直海が完治するまで、恵美が付きっきりで看病したという。



恵美と直海~皆勤賞と風邪~ END

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