第5話 恵里花と愛梨~カラッポと先輩~

恵里花と愛梨~カラッポと先輩~

 華百合はなゆり高校の図書室。

 時刻は夕方の5時。外は雪が降り、道や花壇などに薄っすらと積もっていた。

 図書室では暖房が入れられていて、比較的過ごしやすい環境になっている。静かに読書をするのもよし、勉強するのもよしである。


「……ん……すぅ……すぅ……ん」


 しかし、そんな静かな図書室で、可愛らしい寝息が聞こえた。

 華百合高校の図書室には、四人が座れるソファーが四つ置いてある。ゆったりと読書をしたい生徒に人気であるのだが、使い方を間違えている生徒が一人いる。

 奥沢おくさわ 恵里花えりか、一年生で、目つきが悪く、皆からは不良だと言われている。言葉遣いも悪く、一部の教師は恵里花を良く思っていない。

 恵里花はソファーの一つを占領し、仰向けに寝転がって、夢の中へと行っている。かれこれ二時間は寝ている。

 幸いに、今日は図書室を利用する生徒がいないようで、図書室には恵里花と図書委員の生徒が一人の、計二人しかいない。


「さてと……そろそろ閉めるかな」


 そう呟き、パタンっと、読んでいた文庫本を閉じて、時計をチラッと見る。図書委員で、図書委員長を務めている、二年生の近藤こんどう 愛梨あいりだった。

 愛梨は、ピンク色の縁をした眼鏡を、眼鏡拭きで綺麗にし、ニコッと笑う。


「うん。綺麗。さて、とっとと早くアイツを起こして、新刊買いに行かなきゃ」


 愛梨の目線の先には、幸せそうな寝顔をしている恵里花がいた。


「ぐっすり寝てるとこを起こすのは気が引けるけど、仕方ないよね」


 愛梨の手には、30センチの竹尺が握られていた。




………………………………………………



 その日は雨が降っていた。

 じっとりとした雨で、気温も高く、それだけでイライラしているのが分かる。

 入学早々に先輩に目をつけられ、突っかかってくる輩も少なからずいた。

 悩みを言える友達もいなければ、守ってくれる大人もいない。

 いいんだ、どうせ私は一人だ……と、強がりを言っても、虚しいだけ。

 カラッポ……そうだ、カラッポなんだ。どれだけ強がっても、どれだけ悪ぶっても、何もない。

 私には、何もない。……カラッポ。


「貴女ちょっと待ちなさい。そんな濡れた体でどうしたのよ? ほら、こっち来なさい。ここ? 図書室よ。そんなことも知らないの? 待って。タオル貸したげるから。ほら、拭いてあげるから暴れないの。もう、どうやったらそんな恰好でいれるのよ」

 

 優しい手だった。優しい声だった。優しい匂いだった。


「あら、貴女昨日の子ね。ふふっ、本嫌いじゃなかったの? まぁいいわ。ゆっくり休んでいくといいわ。なんだか貴女、疲れているみたいだし」


 カラッポだった自分の世界が、何かに満たされるような感覚。


「怖くないのかって? 何言ってるのよ。貴女の目は綺麗じゃない。そんな綺麗な目をした子に、悪い子なんていないのよ。あら? 照れてるの? ふふっ、可愛いとこあるじゃない」


 この人といると……胸が熱くなる。痛くなる。とても心地いい……。


「早く起きないと。その可愛いデコに雷が落ちますよー。3、2、1……」


 そう……デコに……デコ?




…………………………………………


 パチィィンっと、図書室に乾いた良い音が響く。


「……痛いんだけど」


 デコを竹尺で叩かれた恵里花は、少しムスッとした顔で起きた。


「おはよう。恵里花」

「……優しい起こし方無いの?」

「んー、貴女が私に敬語使ってくれるなら、考えてあげてもいいかなー」


 ニコッと愛梨は笑い、竹尺でペシペシと恵里花の頭を叩いている。


「何で今さら……」

「今さらだからなの。もぉ、私は先輩だよ。先輩には敬語、これ基本」

「……嫌だ」

「でしょうね。ふふっ、早く帰るよ、恵里花」


 愛梨は恵里花の手を握り、恵里花を立たせる。


「ちょっ……ガキじゃないから」


 少し顔を赤くして、恵里花は愛梨の手を解こうとする。しかし、愛梨の手はなかなか離れない。


「あら? 手を繋ぐのは嫌だったかしら?」

「い、嫌とは……言ってない」

「だったらいいじゃない。ふふっ、もしかして照れてる?」

「なっ、何言って……そんなわけないから」


 恵里花は愛梨の目をまともに見れず、すぐに目をそらす。そんな態度の恵里花に、愛梨はすぐに察し、ニヤッと笑う。


「ふふっ、可愛い可愛い。お姉さんが撫でてあげましょうね」


 右手で恵里花の手を握りながら、左手で恵里花の頭を撫でる。突然の出来事に、頭の処理が追い付かない恵里花。口を開けてポカンとしてしまっている。


「これでもうちょっと言葉遣いがちゃんとしていたら、完璧なのにねー」

「……っストップ!」


 やっと今の状況を理解した恵里花は、撫でられている愛梨の手を掴んで、撫でる行為を制止させた。


「あら? 撫でられるのも嫌いかしら?」

「だから……! そうじゃなくて!」


 いつもいつも愛梨に調子を狂わされ、いつの間にか愛梨のペースに乗せられている事に、このままではマズいと思っていた。しかし、なかなか思うようにいかない現実に、恵里花は悩み続けていた。そして今も、いつものペースに乗せられようとしている。


「私……愛梨と一年しか変わらないんだけど」

「そうね。どうかしたの?」

「……いい加減、ガキ扱いは止めて。そんな歳じゃない」

「そう言われてもね……可愛い後輩は可愛いじゃない?」


 握っていた手を離し、その手で再び恵里花の頭を撫でた。愛梨はニコニコとした笑顔である。愛梨には、恵里花の気持ちが、いまいち伝わっていないようだ。


「だから……それを止めろって!!」


 恵里花はとうとう我慢が出来なくなり、愛梨の肩を掴んで、無理矢理引きはがそうとした。しかし……。


「あっ……ちょっ……」


 愛梨はバランスを崩し、後ろに倒れそうになる。


「やべっ……!」


 その事を素早く気づいた恵里花は、愛梨を抱きかかえ、支えようとしたが……恵里花もバランスを崩してしまい、そのまま二人は仲良く同時に倒れてしまう。

 幸運にも、倒れた先にソファーがあり、愛梨の上に恵里花が覆い被さるような形になって倒れた。


「いっつ……」

「あの、恵里花……重いんだけど」

「あ、悪っ……い」


 恵里花はすぐさま、苦しそうにしている愛梨の上から離れようとしたのだが……。


「……っ」

「恵里花? どうしたの? どっか痛いの?」


 本当に目と鼻の先に愛梨の顔があり、愛梨の制服は倒れた拍子に乱れ、体全体には愛梨の体温が感じられる。

 いつも近い距離にいた愛梨だが、今は少し、いつもと違う。胸の奥からこみ上げてくる、喉が震えるような気持ち悪い感情。だが、何故だか体は言う事を聞く気配が無い。


「私は……愛梨が欲しい……」

「……え?」

「愛梨の心に、私はどう映ってるの? 私の心は……愛梨でいっぱい……」


 恵里花は今にも泣きだしそうな表情を浮かべ、愛梨の目を見つめる。


「恵里花……っん……んんっぅ!?」


 愛梨が恵里花に答えを言おうとした時だった……愛梨の唇が、恵里花の唇で塞がれる。

 体が恵里花に覆い被されているせいで身動きがとれず、突然のキスに何も反応することが出来なかった。

 ただ恵里花の、少し冷たくて柔らかい唇の感触と、頬に零れ落ちてくる恵里花の涙の感触が、愛梨の思考を麻痺させていた。


「ん……っん……っは……」

「はぁ……っは……」


 キスをしていた時間は短かったが、二人には長い時間に感じた。

 恵里花は、呼吸が乱れた愛梨を見つめ、ボソッと呟く。


「好きです」


 そして、恵里花は顔を真っ赤にし、混乱している愛梨を置いて、図書室から逃げ出すように走り去っていく。


「ま……まって……」


 愛梨の制止する声など聞こえていない。図書室には、愛梨だけが残された。


「え……えぇ……どうしよう。この場合って……えっと……あぁ……」


 制服の乱れを整えつつ、混乱している頭も必死に整理しようとするものの、どうすればいいのかまったく分からない。


「そういうことだよね……これって」


 改めて思い出すと、急激に顔が熱くなる。そして、唇には先ほどの感触が残っている。


「私、キスするの……初めて……」


 ソファーにうつ伏せになり、誰もいないのだが無性に顔を隠したくなる。


「……恵里花のバカ。なにも逃げることないじゃん。もぉ……どうするのよこれ……」


 うつ伏せのまま、一向に動こうとはしない……いや、動けない愛梨。

 外では雪が本格的に降り続け、道には雪が先ほどよりも積もっている。

 このまま愛梨は三十分うつ伏せのまま図書室にいて、見回りの先生、木下きのした あや、に発見されるのだった。




恵里花と愛梨~カラッポと先輩~ END

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