第3話 影


 退院自体は翌日だった。まあ、意識を失ったくらいで大怪我はしていないし、傍から見れば、残る不安は、襲撃されたときのショックで脳に異常をきたしてないかくらいだろうが、検査の結果は、異常なしだった。

 ただ、これは、俺が『鱗の男』のことを結局ガービーにしか話していないからだ。だから、正直に言うと、どさくさに紛れて血液検査もしてもらえばよかったとばかり思っていた。

 

 何故かって?俺は既に『鱗病』に感染したかもしれないからだ。


 『鱗の男』が鱗病患者なのかは不確かなのは知っていても、あの時に首を絞められた感触がまだ残っている。『鱗病』は“感染経路が不明”だが、ウイルスが体内に入れば問答無用で感染するのは分かっている。

 では、仮に感染経路が“濃厚接触”なら?“空気感染”?いや、俺が気が付いて無いだけ、首に傷がついて入れば、そこから“血液感染”だって有りえるわけだ。

 つまり、こうして職場に向かっている間にも、顔の、手の、背中の皮膚が急に変化して、あの忌々しい鱗模様になる可能性だってあるのだ。

 全身が鱗状になった自分を想像して、俺は身震いした。自分が自分ではないナニカになる恐怖だ。かつてのキンググラントの住人達も、この恐怖に毎日怯えていたのだろう……当事者でないとわからないものだ。少なくとも、病が終息してからこの街に来た俺はわかっていなかったのだ……自分の周りに感染者がでたら、こうやってビクビクするしかなかったのだ。この不安が……杞憂だと信じたい……


 フューリー・A・ムーア警部。このキンググラント市警の中のトップの一人だ。田舎の警察署とはいえ、彼が配属されてからのキンググラントの治安向上の貢献者とも言われている。なんでも、都会でのキャリアをわざわざ捨て、鱗病患者への差別やそれに伴う犯罪、暴動で治安が悪化していたキンググラントへの配属を希望したという。そして、今では市民から英雄視されるレベルの存在となった。

 まあ、絵にかいたような聖人だ。完全無欠という言葉だって似合うだろう。こうして対面しても、外見から品性が溢れている。外見で人を判断する趣味はないが、黒髪を小綺麗なオールバックで整えており、淡白い肌も適度な化粧水で潤いも保たせてる顔を見れば、女性どころが男性からも人気のあるのは俺でも分かる。服装だってそうだ。日々、署内で最も働いているのに、シャツに皺が付いていたのを見たことがない。

 尤も、人間としてのクセがない人物かというと……


「『百件は一見にしかずSeeing is Believing』という言葉が大事なのだよ。分かるかね?ベルモット君よ」

「はい」


 ムーア警部の部屋に入って早々これだ。まあ、これ自体はいつものことだが。ガービー曰く本人に蘊蓄を自慢している自覚はないらしいので、ツッコむのは野暮だと言われているので、ここは素直に続きを待つ。


「先日の人質事件で、君が身体を張って追跡してくれた犯人についてだが、彼のオイタはどうやらこれが初めてではないようだ……これを見たまえ」


 ムーア警部はそう言うと、机の上にクリアファイルを広げる。


「ここ数か月のキンググラント、及びその周辺で起きた窃盗、強盗事件のデータだ。その中でとある共通点があるものだけをピックアップしたが、わかるかい?」

「ええっと……?」


 キンググラントとその周りの地区を描いた地図だ。そして、地域ごとに発生した主な犯罪がリストアップされている。そのリストを見ると、発生した事例に不規則にマーカーで赤い線が引かれている。ムーア警部が付け足したのだろうか?被害にあったのは、主に、新聞社、週刊誌などの出版社、それに加え、職業名の記載がない個人宅などもあった。


「……すみません、俺にはなんとも……」

「ああ、私も最初はわからなかった。情けない話だが、小規模な犯罪であるならこの国は日常茶飯事だからね。だから、最初は誰も“同一犯”の可能性を考えもしなかった」

「同一犯?」

「共通点その一、犯人がどれも未逮捕。勿論、それだけで同一犯と考えるのは早計だ」

「もう一点あるんですね?」

「ああ、共通点その二、盗難されたものだ。主にCDだったが……問題はその内容だ」

「……誰かを脅迫するためのものとか?」


 新聞社、週刊誌なら、キナ臭い情報の一つや二つは所持しているだろう。個人宅というのも、今やSNSで誰でも手軽にネット記事を作れる時代だ。

「うん、近いね。ただ、正確にはその逆だ。彼らが盗まれたのは“自分が脅迫される証拠”だよ」

「え?」

「……君は“鱗病”についてはどこまで知っている?」


 不意に問われて、背筋を氷の刃で撫でられたような悪寒を感じた。鱗病?知っているさ。ここに来る前にだってそのことを考えていたんだ。

 問題は、ムーア警部がなんで俺に鱗病のことを聞いてきたかだ。


「どうして鱗病のことを?俺がここに来る前にずっと流行っていた病だと聞いていますが……」

「流行っていた、か……まあ、最後の症例から何年も経っているから、そう思うのも無理はないか……」


 少々落胆した表情を見せたムーア警部を見て、俺は自分が失言をしたのだと気がついた。


「あ……も、勿論、元患者への差別は未だに根強いですね」


 慌てて俺は言う。


「鱗病が移るのを恐れられて、多くの患者が迫害を受けたのは知っています。そして、今もなお、鱗状の肌を見られただけで、大なり小なり、人から差別されることも……」


 勿論、その差別していた一人が、昨日までの俺だ。


「それだよ、ベルモット君!」

「はい?」

「先ほど言った。先ほど言った盗難の被害者の共通点はね、その鱗病患者へ不当な扱いをしていた輩なんだ。鱗病患者を取り巻く環境は今も改善しているとは言い難い。そういう弱い立場の人たちを、ある者は政権批判に利用して、ある者は搾取の対象としていた……胸糞悪い話だがね」

「……ワーナー保険会社だ……」


 俺は昨日読んだ記事を思い出した。


「あそこも確か、不当な契約を鱗病患者に結ばせていた疑惑がありましたが……まさか」

「君は頭の回転が早いね。話が簡単になって助かるよ」

「あの人質事件の犯人が連続盗難事件の犯人ってことですか?」

「人質事件……そもそも犯人が何故ワーナー保険会社に侵入したと思う?雑誌や新聞では人質事件のことばかり注目しているが、事件当時は店舗をかなり荒らされていた様だ」

「もしかして、紛失しているものの中に……」

「まあ、ワーナー側もそんな証拠を盗まれましたと正直には言わないだろうけども……存在を認めるのも時間の問題だろうね」

「やっぱり……」


 あの鱗の男は、やはり鱗病とは無関係ではないってことか……


「……ここまで言えば、君にやってもらいたいこともわかるはずだ」

「一連の窃盗事件の手掛かりを使って、人質事件の犯人を追う……ですね」


 なるほど、それで、俺が任されることになったのか。現状、犯人に一番近づいたのは俺だからだ。


「まあ、余り無茶はしてくれるなよ?」


 ムーア警部は俺の肩をポンと叩きながら、はにかむ。


「君は時にその場で考えた行動をとってしまいがちだ。それが危険だという人だっているだろう。だけど、少なくとも私は君を評価するよ。頼んだぞ」




 ~キンググラント郊外、産業廃棄物処理場跡~


 そこは、キンググラントで生まれた市民ですら滅多に訪れない場所であった。かつては民間の産業廃棄物処理場があったらしいが、何年も前……それこそ鱗病が流行するよりも更に前に、老朽化と運営会社の倒産で棄てられ、それっきりとなっている。

 産業廃棄物処理場跡地となっているが、現代では企業による“不法投棄場”と化していた。そのため、大量の土砂や瓦礫、用途不明の電化製品の山、直ぐにでも破裂しそうなほど錆びだらけのドラム缶などが不規則に散らばっており、強烈な悪臭を放っていた。


「ひええ、やっぱここは臭うぜ……」


 そのような場所にわざわざ来たのか、一人の男がぐちぐちと文句を垂れながら、廃棄物の間を歩いていた。フード付きのコートとマスク、サングラスで頭を保護しているのは、必ずしもこの危険地帯を歩くためではない。彼はなるべくなら身分を隠しながら、この後来るであろう人物と会いたいからだ。

 比較的清潔そうな場所を見つけると、腰を下ろす。こうやって待ち合わせるのは今回が初めてではないので、どうすれば待機中の苦痛を和らげることができるのか、既に男は分かっていた。


「えっと、十分前か……」


 待ち人は時間にうるさい人物だ。少しでも遅刻したら取引には応じる気はないと再三言われいたので、男は常に時間を把握してなければならなかった。


 尤も、厳密に“人”なのかすら怪しいが。


「全く、いい加減もうちょいマシな場所を指定して欲しいぜ、鱗の旦那よぉ」

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