第33話
その日の演奏会に、僕はめずらしく早めに出かけた。会場の入口で絵里を待たせるようなことをしたくなかった。
待つほどもなく、白いブラウスを着た絵里の姿が見えた。壁にもたれていた僕のまわりには、知人を待っているらしい人が立ち並んでいたから、絵里には僕の姿が見えなかったのだろう。僕に見られていることに気づかないまま、絵里は軽快な足どりで近づいてきた。白いハンドバッグを手にした絵里がとても清楚に見えた。
絵里が近くまできてから、僕はもたれていた壁をはなれた。僕に気づいて、絵里はおどろいたような表情を見せたが、すぐににこやかな笑顔をうかべた。
「ごめんなさい、待ちましたか」
「いや、ちょっとだけ」と僕は答えた。「たまには早く来て、どんなだか試してみようと思ったんだ」
「試すって・・・・」絵里はとまどいを見せたが、すぐに笑顔で続けた。「それで、どうでしたか、早く来てみたら」
「待つことも案外に楽しいということがわかったよ。絵里さんがどんな風に現われるのか想像したりしてさ」
「期待にそえましたか、こんな現れ方で」
絵里は両うでを左右に開きながら言って、そんな自分のしぐさをはにかむみたいにほほ笑んだ。いきなり、絵里がそれまでよりも身近で親密な存在になった。笑顔のなかのきれいな眼が、それほど眩しくはなくなった。
「絵里さんを見ていたら、演奏会に期待していることがよくわかったよ。ここへ向かって一所懸命に歩いてくるみたいだった」
「わー、はずかしい」本当にはずかしそうな表情を見せて絵里は笑った。「この次は松井さんよりも先に来なくっちゃ」
うちとけたもの言いをしながらも、絵里の笑顔にはまだ堅さが残っていた。そんな絵里を見ていると、いたわってやりたいような気持ちになった。
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