第31話

 そんな記事か論説を読んだことがある、と小宮さんは言った。企業は互いに競争し、良い製品を少しでもやすく作ろうと努力する。その競争にまき込まれた日本人が汗を流して作った製品を、アメリカやヨーロッパでは豊かな生活のために使っている。それにひきかえ、日本人は努力したほどには報われていない。勤勉に働くことは日本人の美徳であるにしろ、それが自分たちに還元されていないのであれば、それは奴隷の労働に似たものである。小宮さんによれば、日本人奴隷論というのはそのようなものであるらしかった。

 僕は小宮さんと議論した。実際のところ、今の日本人のおかれた状態はどのようなものなのか。確かに今の日本人には奴隷的な要素がある、と小宮さんは主張した。

「もしもそれがほんとなら、急いでリンカーンを見つけて来なきゃならないですね」と僕は言った。

「誰かがリンカーンにならなくちゃならないんだよ」

「労働組合ってリンカーンにはなれないのかな」

「いまの組合がやれるのは、せいぜい奴隷の待遇改善だろう」と小宮さんは言った。「やっぱりさ、おれたち日本人が変わらなきゃだめなんだよ、奴隷のような状態から脱却するには。どっかの誰かによって解放されるってもんじゃないだろ、そういうのは」

 たしかにその通りだと思った。日本を住みよい国にしたいというのであれば、自分たちが真剣に考えるほかはないだろう。政治について坂田と話し合ったことが思いだされた。


 昼食をとっている間に雨が強まっていた。社員食堂から僕の職場までは50メートルもなかったが、その距離を走ることすらあきらめさせる雨だった。食堂の出口付近にはたくさんの社員がたむろしていた。

「このようすだと、しばらく待つしかないだろう。中に入ってコーヒーでも飲みながら話さないか」

 いつのまにか坂田が横に立っていた。

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