第27話

 僕は佳子を家に連れてくることを母に伝えた。佳子のことを母に話したのは、それが初めてだった。佳子からの電話を取り次ぐことがあっても、母が佳子について問いただすようなことはなかったのだが、強い関心を抱いていたに違いなかった。

 母が言った。「急な話だけど、だいじょうぶ、明日の日曜日は、他に予定がないから」

「ごめん、勝手に決めてしまって。ケーキを作ってくれるとありがたいけどな」

「そう・・・・ケーキね。どんなのがいいだろうかね」母はうれしそうに言った。

 次の日の午後、車で佳子を迎えに行った。待ち合わせ場所は三鷹駅だった。

 助手席の佳子はどことなく心もとなさそうで、口数もいつになく少なめだった。佳子の気持をほぐしてやるために、僕は母のことを話した。母が佳子の訪問を喜んでいること。自慢のケーキで佳子を歓迎しようとしていること。僕がそのような努力をしても、佳子が冗舌になることはなかった。

 父と兄は午前中にでかけたので、家で待っていたのは母だけだった。

 居間に入るとすぐに僕はテレビをつけた。くつろいだ雰囲気を作るためにも、話題を見つけるためにも、テレビをつけておいた方が良さそうな気がした。

 緊張気味だった佳子がようやくうちとけてきた頃、母がケーキを運んできた。ふだんは緑茶しか飲まない母が、ケーキとともに出してきたのは紅茶だった。

 佳子の前にケーキを押しやりながら母が言った。

「こんなものを作ってみたけど、どうかしらね。滋郎が言うには、杉本さんにはこれがいいだろうって」

 ケーキのことが話題になった。母はそのケーキの作り方を佳子に教えはじめた。佳子の気持をほぐすための、母の気づかいに違いなかった。

 母をまじえて話し合ったあと、佳子の好きなショパンを聴くために、僕の部屋に佳子をつれて入った。

 僕たちは壁ぎわに敷いた座布団に腰をおろすと、スピーカーに向かって足を投げだした。

「もう少しで1年半ね、私たち」

 スピーカーに向ったままで佳子が言った。幻想即興曲が始まったところだった。

「おれは、あのときから何年も経ったような気がするよ。そんな気がしないか」

「そう言えばそうね、私もそんな気がする。どうしてかしら」

「いろんなことがあったからだろうな。しかも、大きなできごとが」

「ほんとにそうね。こうして滋郎さんの家に来ることもできたし」

 佳子がそっと僕の膝に手をおいた。その手をとって引きよせると、佳子は無言のまま軽く握りかえした。幻想即興曲はアレグロの部分が終わって、甘美なメロディに移ろうとしていた。

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