第25話
吉野さんは続けた。「だけどな、ちょっと問題があるんだよ、この開発案には」
吉野さんは僕の開発案にえんぴつでコメントを記入しながら、問題となるところを説明してくれた。
僕の提案書には製作過程に技術上の問題があるだけでなく、たとえ試作してみたところで、従来製品を超える性能を期待できないものだった。僕は吉野さんの説明を聞き、そのことを充分に理解することができた。
その開発案が採用されることに大きな期待を抱いていたので、それが無価値なものとわかって僕はショックを受けた。心の中で僕は思った。もしかすると、野田課長も見抜いていたのではなかろうか、僕の開発案に問題があることを。
吉野さんは僕を慰めるように語りかけてきた。
「ちょっと問題はあるにしてもだ、会社に入ってすぐにこんなアイデアを出せるんだからな、たいしたもんだよ君は。本当に良いアイデアというのは、開発課なんていう組織じゃなくて、個人の中にひらめくものなんだ。いっしょうけんめいに努力していると、神様がアイデアを与えてくださるというわけだよ。がんばるんだな、松井君。僕も応援するから。これからは、君のような技術者が力を発揮すべき時代だからな」
吉野さんが低く語りかける声には、僕を鼓舞してくれる力があった。誉めてくれるその言葉を、僕は素直に受け取ることができた。吉野さんから受ける印象とその言動が、吉野さんに対する僕の信頼感を確たるものにした。提案書に技術的な問題があるとわかって落胆したが、吉野さんから励まされたことで自信を無くさずにすんだ。
吉野さんの職場を出たときは、すでに定時を1時間ほど過ぎていた。スピーカー部にもどって事務室に入ると、残業をしていた小宮さんが立ちあがり、僕をうながして実験室に向かった。
実験室に入るなり小宮さんが言った。「それで、どうだった、あの提案書」
僕は吉野さんから指摘された問題点を小宮さんに伝えた。
「おかしなやつだな松井は」と小宮さんが言った。「あれほど自信を持っていたアイデアがだめだとわかったのに、案外に元気じゃないか」
「小宮さんのおかげで吉野さんに会えたし、いろいろと教えてもらえたからですよ。すごい人ですね、吉野さんは」
「あんな人がここを出されたなんて信じられるか。よくわからんよな、会社の人事というのは」と小宮さんは言った。
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