第22話

 職場の資料棚には多くの文献や資料があった。僕はそれらを自宅に持ち帰り、夜おそくまで読んだ。もともと朝寝坊の僕がそのようなことをしたので、母にたたき起こされてもバスに乗り遅れることになった。数日の間に2度目の遅刻をしたとき、上司の野田課長からきつい言葉で叱責された。小宮さんが忠告してくれた、自宅でいくら努力をしても、そのために遅刻をすれば、サラリーマンとしてはマイナスにしか評価されないのだ、と。

 そのような努力をつづけて、僕は多くの知識を身につけた。配属されてからひと月もたたないうちに、小宮さんの相棒として実験にとりくむようになっていた。

 先輩たちが提出したレポートの中に、とくに僕を惹きつけるものがあった。報告者は吉野となっていたが、その先輩はすでに他の職場に移っていた。

「面白いですね、このレポート」僕は小宮さんにレポートを見せながら言った。

「たいしたもんだな松井、吉野さんのそれがわかるのか。レポートというより提案だけどな、それは」

「ちょっと変わった形になりますよね、このアイデアで作ると」

「そうかも知れんけどさ、ほんとに音が良ければ売れるだろ、きっと」

「どんなふうに鳴るのか聴いてみたいですね、このスピーカー」

「いいアイデアだけど、どういうわけか試作もしなかったんだ」と小宮さんは言った。

 吉野という先輩の提出したレポートが、資料棚にはいくつもあった。いずれも考えかたが明快で説得力のあるものだった。会ったことのない吉野という先輩に僕は敬意を抱いた。小宮さんに聞いてわかったことは、吉野さんは第2開発課の係長だったが、前年の春に回路設計の部門に移っているということだった。

 小宮さんといっしょに振動板の材料を試作しては、高音領域用のスピーカーに適したものかどうかを調べ、その結果をもとにしてさらに実験をくりかえした。毎週月曜日の午前中に開かれる会議で、小宮さんが実験の進みぐあいを報告した。

 第1開発課には四つのグループがあり、それぞれのテーマにとりくんでいた。月曜日の定例会議で、各グループのリーダーが仕事の進捗状況を報告すると、野田課長がそれから先の進め方について指示を与えた。課長になって4ヶ月とのことだったが、野田課長は会議の席で部下をきびしく指導した。そのような野田課長の姿が、その頃の僕には頼もしく見えた。

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