第21話
その日は佳子の車でホテルに入った。大学を卒業した直後にはじめて入って以来すでに幾度か経験していたものの、かんたんな手続きをするにも多少の緊張をおぼえた。佳子はすでに慣れたのか、僕よりも落ちついているように見えた。
とくに約束したわけではなかったが、僕たちは結婚を前提にしたつき合いをしていた。とはいえ、大学を卒業したばかりであって、しかも日常の慣れの中に浸っていたので、僕は結婚を近い将来のこととは考えていなかった。
佳子とは武蔵野線の沿線で待ち合わせることが多く、駅まで僕が車ででかけ、そこで佳子とおち合うのがいつものやり方だった。僕が電車を利用したその日は、佳子が駅まで送ってくれた。
電車に揺すられながら、レストランで佳子と話したことを思いかえした。佳子は見合いのことを話したとき、自分たちの結婚のことを話題にしたかったのだろうか。佳子に結婚を急ぎたい気持ちがあれば黙っているはずはないから、見合いの話はたんなる話題にすぎなかったのかもしれない。それはともかく、と僕は思った、もしも佳子が望むなら、早めに結婚するのも悪くはない。
新入社員研修が終わろうとするころ、職場配属の辞令を渡された。僕の配属先は希望がかなってスピーカー部だったが、ビデオ機器の開発を希望していた坂田は、アンプを製造する部門に配属された。
新入社員研修が終わるとすぐに、僕たちはそれぞれの職場に別れていった。僕はスピーカー部の第1開発課に配属され、5年ほど先輩の小宮さんについて、スピーカーの振動板を開発することになった。CVDという技術を使うその仕事に、小宮さんは1年前から取り組んでいるとのことだった。
最初の1週間は、あたえられた資料を読みつづける毎日だった。小宮さんが渡してくれた資料は、仕事に必要な知識を修得するための参考書や、文献をコピーしたものだった。スピーカーについては豊富な知識を持っているつもりだったが、それらの資料を理解するためには努力を必要とした。僕ははりきって、そして夢中でそれに取り組んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます