第1章 新入社員

第14話

 父がオーディオ装置を買い替えたとき、古い装置は僕の部屋に置くことになった。音楽好きの父が使っていたものだから、その装置の性能はかなりのものだったに違いない。いずれにしても、そのことがきっかけになって、僕は音楽に親しむようになった。僕は小学校の6年生だった。

 最初のうちはラジオを聴くだけであったが、それもしだいにFM放送のクラシック音楽を聴くことが多くなった。中学生になったころには、父が集めたLPレコードのいくつかが僕の愛聴盤になっていた。

 音楽を聴く楽しみが深まるにつれ、僕はオーディオ装置そのものに対して強い関心を抱くようになった。オーディオマニアの従兄に相談しながら、アンプやテープデッキの内部を観察したり、従兄がゆずってくれた真空管アンプを使ってスピーカーを鳴らしてみたりした。そのうちに、それだけではあきたりなくなって、従兄と同じようにアンプなどを自分で作りたくなった。そのためには電子回路に関する知識を身につける必要があった。

 中学1年生の2学期がおわるころ、従兄が選んでくれた参考書を頼りにして、電気についての勉強を始めた。電気に関する入門書だと聞かされていたけれども、僕には随分むつかしかった。苦労しながらの勉強であったが、つらいとは少しも思わず、むしろそれを楽しんでいた。そのような僕の姿が、父と母はむろん兄をも驚かせ、それにもまして喜ばせることになった。その頃の僕は勉強ができず、家族に不安を与えていたからだ。

 僕は興味のあることには熱中できたけれども、そうではない対象に対しては、集中力の維持がむつかしかった。おそらくそのために、まともな成績は一部の科目だけだった。まだ小学生の頃、僕はすでに自覚していた、自分は能力的に劣っているらしい、と。そのような僕が電子回路を学ぼうという気持になれたのは、まともな成績の科目が少しはあったからだろう。幸いにもと言うべきか、僕は小学生の頃から電気に対して強い興味を抱いていた。テレビは番組を楽しむためのものであるだけでなく、それ自体が好奇心の対象でもあった。遠くのできごとが眼前に映しだされるのはどうしてだろう。テレビを発明したひとは、どのようにしてそれを発明したのだろうか。そのような僕の好奇心は、理系の多くの事物や事象に対して向けられたのだが、なかでも電気は特別な対象だった。オーディオ装置を作りたかったのは、自作の装置で音楽を聴いてみたかったからだが、電気で動作するオーディオ装置に対する関心が、強く背中を押してくれたからでもあった。

 電気の勉強を始めてから数か月を経た頃、電気に関する僕の知識は中学生のレベルを越えていた。僕はいつのまにか、能力的に劣っているとの思いこみから抜けだし、むしろ自分の能力に自信を抱くようになった。中学2年生の1学期には学習塾に通うことをやめたが、僕の成績は急速に向上していった。成績が良くなるにつれて、高校への進学に対する意欲が高まった。それだけでなく、将来の大学進学をも意識しはじめた。3年生になってからは、電子回路の勉強を中断して、受験勉強に全力をそそいだ。そのような努力をした結果、中学校を卒業するころには、成績優秀者のひとりになっていた。

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