第12話
「執念を燃やしてこそ困難な目標を達成できる・・・・吉野さんの持論だったよな」
「吉野さんに伝えておくよ、お前が国際学会で発表するためにドイツへ行くことを。ついでに」と坂田は言った。「お前の執念がほんものだということもな」
坂田から僕のことを聞いたら、吉野さんは喜んでくれるに違いない。それはともかく、僕がいまでも吉野さんに感謝していると知ったら、吉野さんはどんな想いを抱くことだろう。
ビールのあき缶をテーブルに置き、窓の外に眼をやると、雲海はいつの間にかかげりを増している。だれが雲海と名づけたのだろうか、この茫漠とした白い拡がりに。はてしなく連なる雲の海には、いくつもの白く輝く雲の山がある。何者かの意志が作りあげたかのような雲の形は、山というよりも白い塔と呼んだほうが似つかわしい。
「これからだ、ほんとに執念を燃やすのは」
雲の塔を見ながらつぶやいた言葉が、いつになく強く胸に響いた。
これまでに幾たび自分に言い聞かせたことだろう、〈執念を燃やせば必ずこれを達成できる〉という言葉を。その言葉は僕を励まし、困難な課題に立ち向かう勇気を与えてくれた。その言葉を頼みに努めていると、自分の力が増大してくることを実感できた。そして実際に、困難な課題を克服するための知恵がわきだした。吉野さんに指導してもらった期間はわづか半年だったが、今もなお、僕は吉野さんに励まされている。
これまでに、多くの人とさまざまなことがらに出会った。それらを縁と呼ぶのであれば、16年前に出会った縁は、僕にとってどんな意味を持つのだろうか。坂田と絵里、吉野さんや野田課長、そして、あの会社で経験し、学んだこと。
機内放送が始まっている。どうやら放送は終わるところらしい。どんなことが伝えられたのだろうか。
隣の乗客は椅子をたおして、気持ちよさそうに眠っている。向こうのほうではふたりの乗務員が、笑いながら立話をしている。気にするほどの機内放送ではなかったらしい。
椅子を倒して眼をつむる。エンジンの音が聞こえる。無数の音源にとり囲まれているみたいだ。その音に意識をむけ続けていると、ぬるま湯に浮かんでいるかのように、気分がゆったりとしてきた。体のあらゆる感覚がうすれている。意識はむしろ鮮明だ。心だけの存在になったような感じだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます