第8話
僕たちは場所を見つけて、ロビーのベンチに腰をおろした。
眼の前を人々が行きかう騒々しいロビーで、時間に追われながら絵里と語り合った。乗り継ぎの手続きに時間をとられたために、そこで過ごせるのは1時間たらずだった。
絵里は東京や横浜と比較しながら、ロンドンの特徴などを語った。僕は初めて訪れたヨーロッパの感想を、そして、10年前から暮らしている名古屋のことや、そこで取り組んでいる仕事について話した。
ぐずる子供をあやしていた絵里が、顔をあげると前を見ながら言った。
「おぼえてるでしょ、松井さん。出雲の砂浜で星を見たこと」
幾つもの想いが胸の底をよぎった。ときめきに似た想い、悔恨の情、そして懐かしさ。
僕は答えた。「おぼえているよ」
そのひと言を口にしている束の間に、情景が鮮やかに蘇った。夜の砂浜。満天の星と天の川。砂にねそべっている僕の横には絵里がいる。
絵里は膝に乗せていた子供を抱きなおした。
「私って、引っ込み思案だったのに、松井さんとは随分おしゃべりになれたし、思いきっていろんなこともできたのよね」
絵里は何を話すつもりだろうかと思いながら、僕は絵里が続けるのを待った。
「松井さんと出会えてとてもよかったわ。短い期間だったけど、ほんとに楽しかったし、それに・・・・」と絵里が言った。「松井さんのおかげで、私にも勇気があるということがわかったから。なんだか大げさな言い方みたいだけど」
絵里に対する想いの記憶がよみがえり、16年まえに引き戻されたかのように、絵里がいとおしく思われた。
「だからね、松井さんに感謝してるのよ、わたしは」
僕は気はずかしいような気持になった。絵里から感謝される資格があるとは思えない。それどころか、絵里は僕を責めてもよいはずではないか。
絵里が言葉を止めているので、僕はうながされているような気持ちになった。
「絵里さんには勇気が似合っているよ」
「わたしに?」と言って絵里は僕を見た。
絵里は膝に乗せた子供に向きなおり、「そうかも知れないわね、引っ込み思案の私には」と言った。
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