エピローグ
「――り―ん」
声が聞こえる。
目を覚ます。だけど未だ微睡みの中に居るように視界はなんだかぼんやりしていて、焦点が合わない。
声はまるで水中みたいに形をもたず、なんて言っているのか聞き取れない。
そんな状態が数秒続いて、ふと、視界が鮮明になる。
「ちょっと、大丈夫? 悠莉くん」
月を背景に、一宮千乃が立っていた。視界に映った月光を浴びる彼女は、まるで御伽噺のワンシーンを抜き取ったように美しい。
さきほどのこともあって、身構えそうになるが、あの身の毛のよだつ凶悪な存在感が無い事から、さっきの千乃の姿をしたナニカではないことに、少年は安堵する。
「ここで何があったの? 急に電話してくるし、出てもすぐ切るし」
全く状況を呑み込めない様子の彼女は、珍しく慌てていた。深夜の校舎の屋上、GPSで少年の位置を追えたのは幸いだった。だが、辿り着いてみれば、貸した剣と共に倒れ伏している悠莉の姿。ひしゃげた屋上を守るフェンスは、何事かがあったのを察するのに充分だった。
「あんたと瓜二つの女と遭った」
身体を起こしながら、悠莉は千乃を直視する。
改めて本人の顔を見ても瓜二つだ。長い上質な絹糸のような黒髪も、白い柔肌も、その紅い瞳も、神様が贔屓したに違いないと思うくらい出来過ぎな、均整の取れた顔も。
全く同じにしか見えないのに、受ける印象はああも変わるものなのか。
「私と……?」
「そいつは妹の携帯を持っていて、オレに渡してきた。霧崎の隠れ家から持ってきたと言っていた」
あの少女の、フェイスレスあるいはアウトサイダーの台詞を思い出す。奴は自分は手を下していないと断じた。まるで、信用に足らない相手だが、なぜだかその言葉には妙に真実味があった。
「霧崎の……」
それを聞いた千乃は、顎に手をあてて、難しい表情をする。
「どうした?」
「いえ、言ってなかったんだけど実は、霧崎の隠れ家と思われる一室を捜査に向かった桜城会の組員が、爆破されて死亡してたの」
おそらく、悠莉が気を失っている間に手に居れたのであろう、発見現場の写真データを受け取って、彼は凍り付く。。
それは、彼にとってとても見覚えのある光景だった。
身体の内側か、爆破物を手に持っていたとしか考えられないそれ。吹き飛んだ原型を留めない肉塊。血が飛び散り、わずかに焼け跡が残る部屋の中心で、その人物自体が爆発物になったのではないかという、吐き気を催す想像をかきたてる現場。
それは彼の妹の殺害現場の状況と酷似していた。
機関は、CARDSの運営によって国家、民間の多くの組織と個人の能力者の情報を統制している。だが、その例に漏れる能力者や組織が存在しているのもまた事実。
悠莉の家族を殺した能力者の行方は、千乃の権限の範囲内で機関の情報網を利用してもいまだ掴めていない。
野良の能力者である可能性もあり、もしかしたら、どこかで人知れず死んでいるかもしれないという最悪の妄想を少年はしたことがある。
だから、少年は安堵した。
その未だ正体は掴めない顔の見えない犯人が生きていることを確信したことに。
全く追う手掛かりの無かった犯人がようやく、その尻尾を見せたことに。
なにより――この手で復讐を果たす機会が残されていることに。
感謝した、あの邪悪なる者の福音を。
それは、妄想でありながら確信だ。彼女は、妹の携帯を霧崎の隠れ家より持ってきたと言っていた。アレがつまらない嘘を吐くとは思えない。霧崎が、桜城会以外の者のバックアップを受けていたのは事実。
ならば、それに連なる正体不明の人物が、自身の仇敵である可能性は高い。
未だ、姿も名前も見せない何者かが、世界のどこかで生きて、混沌を齎している。
社会にとっての凶兆はしかし、彼にとっては一筋の光明となった。
「悠莉くん?」
千乃は、その現場の写真を見て固まった少年の表情を見る。
「やっぱり、この世界に来てよかった。はじめてよかったよ、ナイアーズゲームを」
それは、悲しい笑みだった。
事件を通して、少し変わった少年が時折見せる穏やかさとか幸福を望むものとは程遠い、復讐に狂った、獣の獰猛な笑みそのもの。
「オレは――能力者だ」
瞼を閉じて、自戒のように唱えて目を開く。
その表情に既に笑みはなく、無機質な表情と冷酷な瞳。
その瞳の奥には、消えることのない復讐の炎が燦爛と燃えていた。
ナイアーズゲーム @uqworker
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