第17話

 夏を前にして衣替えも始まる時期だというのに、今夜はとても冷えた。月は満ち、幾つもの星が夜空を彩っていた。オレは深夜の学校の屋上に居た。非通知で掛かってきた一宮千乃を名乗る連絡を受けて、ここで待ち合わせることになっている。手には、以前霧崎との戦闘時に預かった剣を納めた竹刀袋を引っ提げている。結局返し忘れたまま、回収もされておらず、オレの家に置いてあったので、話すついでに返そうと思った次第である。

 屋上の扉が開けられる。

「やあ、ごきげんよう悠莉くん」

 いつもと変わらぬ声、いつもと変わらぬ調子で、姿を現したその人物の名は一宮千乃。

「なんで非通知なんかで連絡を寄越した」 

「ちょっとした悪戯心だよ。ビックリさせようかなって」

「あんたは……なんというか相変わらずだな」

 言いながら、オレはポケットの中である操作をする。

「で、こんな時間に呼び出して、何の用だ」

「君にどうしても渡しておきたいものがあってね。事件後に、霧崎の隠れ家から見つかったものだよ、ちょっとだけ中を見ちゃったんだけど、おそらく君が持っていた方がいいと思ってね。回収しておいたのさ」

 言いながら千乃から差し出されたのは、スマホだった。その型番と色、待ち受け画面には覚えがある。

「これは……」

 連絡先の一覧から、持ち主の登録情報を見る。そこにはよく見知った名前とメールアドレス、電話番号が登録されていた。

 心臓が跳ねた。

 久良雪菜。

 顔を見上げる。オレの心境を察してか、千乃は何も言わず神妙な面持ちでこちらを見ていた。

 端末の画面に視線を戻し、そして、画面上に並ぶアプリの一群から、在り得ないものを視た。能力者なら見飽きているだろう三つ眼のアイコン。オレのものとはわずかに差異があり、そのアイコンはうす暗くなっている。

 ナイアーズゲーム。

「どうなっている……雪菜も能力者だったっていうのか」

 オレは受け取った携帯の画面をしばらく見つめて、ふと虫の報せ的に、メッセージアプリを開く。それはもしかしたらという希望的観測であったが、的中した。

「……ッ」

 アプリの立ち上げと共に、開かれる画面。画面左上には、メッセージのやり取りの相手の名前が表示されている。画面下のメッセージの入力欄は入力途中でアプリを閉じると、未送信でもそのまま欄に文字は残る仕様になっている。

 宛先名に表示されていたのは『お兄ちゃん』

 『いきて 大好き』

 そう短くメッセージは打たれたまま、送られないままに残っていた。

 二年も届かないままだった言葉が、ようやくオレのもとに届いたのだ。

 死を覚悟した少女が、ただ残された兄の生存のみを願ったそれ。

 気づけば、頬を熱く伝うものがあった。

 悔しいのか嬉しいのか悲しいのか、分からない。きっと全部だ。

 こんなもの、とっくに枯れたものだと思っていた。

「……ッ! なんだよこれ『いきて』って……」

 妹は、雪菜は優しい子だった。だから未送信のままアプリを閉じたのだ。オレが早く帰ってきて巻き込まれるといけないから。

 当時の現場の状況から、妹が最後に殺されたのは明確だった。

 辛かっただろう、悲しかっただろう、痛かっただろう、苦しかっただろう、怖かっただろう。

 父さんも母さんも殺され、自身も殺されかけようとしているその最中に、なんでこんなメッセージを書いてんだよあのバカは。

 妹なら、オレは兄貴なんだから。

「『助けてくれ』だろう……!」

 あの時にそんなメッセージが送られてきたら、きっとオレは駆けつけただろう。もし間に合っていたらオレも家族と一緒に死んでいたかもしれない。

 それで良かった。

 こうやって取り残されてこんな思いをするくらいなら、生き残りたくなんてなかった。

 でも。

 生きてと言われた。

 だから――――。




 少年は震える手で、妹の携帯の画面上にある三眼のアイコンをしたアプリ――ナイアーズゲームに触れる。

 薄暗くなったそれは、所有者の死亡を示すかのようだった。

 およそ二年前、同じように彼はナイアーズゲームを起動し能力者となった。

 それが全てを失い堕落し、無力を呪いながらも何も出来ないでいた少年を変えたのだ。『声』に導かれるように。

 確かな決意を持って、ナイアーズゲームを起動する。

 二年前と同じ、否、それ以上の衝撃と熱をもってそれは応える。

 少年、久良悠莉は感じる。自身の生体器官の持つ物理的な熱ではなく、感情や心、意思の強さ、そんな抽象的で精神的な、確かなカタチを持たぬものが身を焼き焦がすかと錯覚するほどの痛みと熱をもって全身を迸り、左腕に集約されていくことを。

 一度目の覚醒を遥かに超える負担に、少年は蹲る。

「があッ……!?」

 生きたまま火炙りにされるかのようなそれはまさに生き地獄。マグマが血管を巡り、筋肉が焼け、脳が熱を発して燃えている。そんな感想を覚えるほどの灼熱の只中に少年はいた。

 常人ならとうに精神を破壊され、廃人となっているだろう。

 身体は焼けつくような痛みを感じながらも、次第に、意識は遠大な宇宙へ放り投げられたかのように小さくなっていく。

 小さく小さく小さく小さく小さく。

 宇宙が如く広大な暗闇の中で、小さくなっていく自分を見失ったとき、少年は人として死ぬ。まるで星屑だ。

 肉体の制御がままならない。拳を握ることも、歯を食い縛る事さえできない。脳の信号を何も受け取らない。肉体の頸木から解放されたかのような錯覚の只中にあるのに、痛みだけは止むことはない。許されたのは、この深い闇を漂うことばかり。

 実時間としては十秒にも満たずそう長くはなかった。しかし、彼の体感にしてみればその何十倍もが経過したように感じていた。

 それでも少年は屈しない。

 復讐心から生まれた鋼の精神か、あらゆる痛みと、失いそうになる自我を堪えきる。

 そうして二度目の覚醒は果たされた。

 一度目と同じくある種の本能的な部分にまで、新たな異能と知識が刻まれる。まるで、自身は一冊の本で、何者かに見聞きしたこともない、身の毛もよだつような知識を書き綴られたような、得体の知れない感覚を覚える。

 案外、人に文字を書き綴られるノートやメモ帳はこんな気分を人によって味わされてるのかもしれないなど、狂人じみた考えが彼には浮かんだ。

 それに倣うならば、脳の一頁に新たに描かれたのは、電気を操る異能。

 少年は、一度目に獲得した異能と同様、アプリを起動させれば呼吸をするようにこの異能を扱えるだろう。

 それを誰に説明されるわけでもなく理解する。

 異能を二つ獲得したものの話など聞いたことはない。ナイアーズゲームを起動時に、異能は一人につき一つであること、その人物に最も合う規格、適正あるものを与えられることを強制的に知識として植え付けられていたからだ。

 携帯を違う端末に切り替えても、不思議とその端末には初期状態からナイズゲームが存在する。

 故にわざわざ他の能力者の携帯でゲームを起動した例を彼は聞いたことが無い。

 確かなのは、能力者以外には他人の携帯のナイアーズゲームを視認できないことだ。一宮千乃やエリカは非能力者だ。

 彼女らには、宇都宮や悠莉の携帯を見てもゲームを確認できず、非能力者から見ると、そこには何のアプリも存在しないように見えるらしい。

 だが、少年は誰に言われずとも察する。

 その異能は、かつて自分の妹が行使していたものなのだと。

 それはなにかしらの根拠があるわけでもなく、推測から可能性があるといった話でもない。

 理由は当の少年にすら全く分からないが、これは妹の異能であるに違いないと、そう確信した。

 彼の知る由もないが、二つ以上の異能を手に入れた能力者の前例はこの世にたった一人しかない。

 一人につき一つという知識から、他の能力者のナイアーズゲームを起動する世界中の能力者たちで数えてもその絶対数が少ないこともあるが、試した者はみな廃人となるか死亡している。

 いや、本来はそういう風になるよう設計されている。

 アプリを認識できる適正ある者でやっと、一つの異能をなんとかその身に刻む規格足りうるのだ。それがヒトという種族の限界値。二つも収めれば、その器が壊れるのは当然の事だった。

 意図したものかしないものかは別として、世の中には常として例外や異常というものが存在する。

 能力者の台頭によって、裏社会からもその姿を消した者たち。

 それは人智を超えた超常的存在であったり、彼らの寵愛を受け産み落とされた者、あるいは混血、あるいは同化する者、あるいは自覚無き化身。

 常人なら一冊読んだだけで狂人に至る可能性を孕む奇書、怪書を数多読み解きなお正気を保つ黄金の精神を持つ者。

 あるいは今回の事件の霧崎のように。

 そもそも能力者という存在からして、普通に日常を生きる者にとっては異常だろう。

 そして、異常の中の例外がこの夜、誕生した。

 ただ平穏を享受するだけだった平凡な少年が、悲劇によって能力者となり、復讐の一念で己を鍛え、亡き家族の想いを受け取って規格外へと至る。

 その一幕を識る傍らの少女はこの小さき命の編む物語に大いに喜んだ。

「『多重契約ワイルド』の素質……。もう生まれることは無いと思っていた二人目の『特殊能力者ジョーカー』の誕生だ! キミというヤツは……本当に面白い!」

「喜んでいるところ悪いけどさ、一つ聞いてもいいか?」

「……おや、なんだい悠莉くん」

 少女は、一宮千乃は静かに笑って彼の問いを待つ。

「あんた、誰だ?」

「一宮千乃だよ。何の冗談? 怪我のせい? この顔見て分からないかな、このスーパー美少女ぷりを見て、ほら」

 言いながら、ひらりひらりと、全身を見せるようにその場で回転したりしてみせる。

 確かに姿形、細かい仕草、言動、全てが千乃そのものだと、悠莉は感じる。最後のセリフなんかまさに自分に自信しかない一宮千乃が言いそうなことだ。

「そうだな、確かに一宮千乃そのものに見える。ところで、あんた携帯持ってるか?」

 言い出しながら取り出された、少年が持ち歩いている端末。見せられた画面上にはそこには現在目の前に居るはずの一宮千乃との確かな通話履歴が残っていた。出会い様の会話中に、一度千乃の携帯を鳴らし、そこにいたはずの千乃が電話に出ていたのだ。

「あーなるほどね、最初から疑われていたわけだ、なかなかどうして用心深いじゃないか」

「もう一度聞くぞ、あんたは誰だ?」

「誰だと思う?」

「……っ!」

 少年の左手から、青白い光が発せられる。

 異能の発動の兆候に発せられるそれは普段は見えず、感じることも出来ない精神力、あるいは魔力と呼ばれるものが、物理的な力を持ち可視化したもの。

 そうして引き出された能力は放電。

 少年は右手で少女の顔面を抑え込むように触れる。

 悠莉の左手が一際青白い発光をみせ、接触した手、腕を通して強烈な電流が少女に向けて放たれる。

 これを接触状態から躱すのは不可能。

「危ないなあ……危うくきれいな顔が台無しになるところだったよ」

 しかし、電撃は少女に届いてはいなかった。

 接触状態から電気を流すことで感電を狙ったが、そもそも悠莉は少女に触れていなかった。見えない壁が存在するように、薄皮一枚分を残して触れることが出来ないでいたのだ。

 悪寒を感じ取った悠莉は、すぐさま後退する。 

 距離を取って、一宮千乃の姿をした誰かを睨みつける。

 こちらの攻撃など微塵も脅威に感じていないようで、少女は警戒するそぶりすらなく感慨深そうに悠莉を見つめる。

 千乃と同じ赤い瞳は、しかし、彼女のものより妖しく夜闇に光ってみえた。

「私が誰かだって? 『一宮千乃』が気に入らないのなら、『外なるアウトサイダー』とかどう? あるいは『無貌のフェイスレス』なんて。気取りすぎかしら?」

 少女はお道化てみせる。その仕草や喋り方は悠莉の知る少女のそれによく似ていた。

 もし目の前の少女が、この瞬間以外の日常のどこかで千乃を名乗り己の前に姿を現していたのなら気づくことは出来なかっただろうと感じるほどに。

 得体の知れない存在に、悠莉も警戒状態から仕掛けられないままでいると、アウトサイダー、あるいはフェイスレスを名乗る少女の方から話しかける。

「種ってのはどこにでも蒔いてみるものだね」

「何を言っている?」

「君の事だよ久良悠莉くん。君は、この私が、気まぐれとはいえ特別に意図してナイアーズゲームに招待したのだから。感謝してくれよ、生きるための目的と力を君に与えてあげたんだ」

「あんたが、オレを……?」

「そうとも。家族を失い傷心の君にゲームを送ってやった。それを起動すれば君が君の家族の命を奪った者が異能に関わっているのに気づくのは自明だ。報復を望むならあの喫茶店を訊ねるよう暗示もかけた。『声』を聴いただろう。あとは君次第だったし、特に興味もなかったけど結果は期待以上。ほんの少し目をかけてやっただけの君が、今はこうして私の目の前に立っている」

 口が裂けんばかりに少女は不気味に嗤ってみせる。まるで欠けた月のようだ。

 悠莉は恐怖した。

 目の前の少女の、目も眩むような圧倒的存在感に。

 能力者となってから、己の命を顧みない節のあった彼でさえ足が竦んだ。

 これは人間の根源的、本能的恐怖。

 一線を越えた何かが目の前の少女にはあった。

「……あんたがオレの家族を殺したのか?」

 その視線には力が籠っていた。長らく失われた妹の携帯を持ってきたのは目の前の正体不明の人物だ。

「失礼だな。私はただの能力者如きに直接手を下したりしない。理由も無いしね」

 心底心外なように彼女は言う。悠莉の視線を不躾なものとして振り払うようにわざとらしくそっぽを向く。

「霧崎の家から見つかったと言っていたな。知っているのか。父さんの、母さんの、妹の仇を! 知っているなら話せ! 話さないないなら……」

 まるで自らの怨敵の正体を知っていると思わせぶりな少女の物言いに悠莉は食らいつかんばかりに問う。

 少女もまた少年が食って掛かるの待っていたように、試すように口元を歪める。

「話さないとどうなるって言うのかしら?」

 今回の事件を通して、獣ではなく人として生きたいと少年は想いました。

 けれど、目前の敵を見据える少年のその眼差しは。

「復讐の為だ、――あんたが例え、何者だろうと殺してみせる」

 やはり、どうしようもないくらいに、獲物を追う恐ろしい獣のそれなのでした。

「殺す……? 私を? は、ハハハハッ。ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 少女は笑った。笑って、哂って、嗤った。

 だって、可笑しくて仕方がなかった――――。

 常に新たな娯楽を探さなければ多少の事では些事に感じてしまう程度には飽きてきた人の世。

 そこに投じられた石が大きな波紋を起こし、彼のような平凡を絵に描いたような少年を豹変させ、覚醒させたこと。

 少年は腕利きだ。

 二年、確かな師のもと鍛錬を積んだ彼は、有象無象の能力者達には負けはしないだろう。必要とあらば躊躇なく人を殺める覚悟も出来ている。

 今宵、二つ目の異能を手に入れた彼は、能力者全体を見渡しても確かに特別な存在だ。

 全く意図せぬ突然変異。

 能力者の中でもたった一人の例外のため命名した『特殊能力者ジョーカー』の二人目。

 素直に驚嘆しよう、感心しよう、興味を示そうもの。

 それにしても。

 殺すときたか。

 ヒトの生む悲劇も喜劇も好きだ、愛している。今宵の出来事のおかげで、家族の仇という少年のありふれた復讐劇のその結末にも興味が出てきたところ。

 こんな平和な国の光のもとで暮らしてきたのだ。自身の身に降り注ぐ多少の不幸や悪意が世界に目を広げればまま起こりうることでも、一つの短い人生しか歩めぬ彼に、一人の人間に達観を求めるのは酷だろう。

 他人事の内は何とでも言える。関心が無ければそもそも知ることすらないし、憐われみ実益の伴わない口だけの慈悲を振りまく者もいれば、野次馬のように享楽娯楽の対象とする者もいる。

 国内の能力者だけを見ても、少年と似たような悲劇の例はあるのだ。

 彼と同じように能力者に家族を殺されたもの、または自身の能力によって家族を友人を殺めてしまったもの。大勢とまでは言わないが存在する。

 我が事となれば、途端に視野が狭くなる。

 それが人間というものだ。そこは理解している。

「やれると思うなら試してみるといい。私に指先一つ触れることが出来ない分際で、未だ怨敵の顔も名前も分からぬ無知蒙昧な君に出来るものなら」

 自身もまた能力者でありながら能力者を憎むその心中も、微笑ましく見ていてやろう。

 ――――しかし。

 無知にしても、あまりに身を弁えないその発言は、少女にとって滑稽が過ぎた。

「――――遊んでやるから、本気で来なよ」

 月光に濡れる少女は妖しく笑った。

「うおおおおおおッ!」

 少年にしては珍しく、吠えながらの突進。それは身を襲う原初の恐怖を抑え込み、自らを奮い立たせるためのもの。

 冷静さを欠いたからではない。

 竹刀袋を投げ飛ばし、鞘から引き抜いて手に持った武器は、千乃から譲り受けた銀の剣。彼がここへそれを持ってきた本来の目的とは違ったが、運が良かった。

 星の鉄を用いて鍛造され、特殊な呪いを受けたその剣は、ヒトならざるものを殺すためのもの。

 銘を『隕星』。

 一宮和尊が蒐集した神秘を宿した品々の一つ。

 目の前の千乃の姿をしたナニカは能力者ではない。左手の刻印が見受けられず、携帯を操作した素振りも無い。

 にも拘わらず、不可思議な異能じみた力を行使することから、今日の霧崎泉と同じ、人ではない化け物だと仮定したのだ。

 邪悪なる存在を殺すために鍛れた銀星の剣。

 振り下ろされるそれを受け止めるのは、少女の手により大地から造られた、土の剣。

 剣戟が繰り広げられる最中、少女は悠然と笑みを浮かべ、その身のこなしは水流の如く流麗に、対する少年は獣の如き猛々しく燃える炎のように熾烈。

 人の如く振る舞う超常の存在と、獣の如き有様の人。

 手が届きそうなほどに大きく満ちた月が、二人を照らした。

 月下で繰り広げられる剣戟は、まるで舞のよう。

 互いに命を奪うに足る斬撃を交換しながらも謡う少女。少年の姿を彼女は興味深く、楽しそうに窺っていた。

 一足に同じ一足をもって間合いを測り一刀に同じ一刀をもって迎え撃つ。

 埒のあかない斬り合いに痺れを切らして、弾いて、悠莉の方から一度距離を取る。それを少女はわざわざ追うことはしない。

 少女に遊ばれていることを、対峙する少年は感じ取っていた。

 単純な剣での斬り合い、技術では敵うべくもない。

 ならば、最大の攻撃を以て、その余裕ごと葬り去る他ない。

 互いの間合いから大きく離れた距離。

 少年は所謂、脇構えに近い形をとって、斬り合いの最中にあってはあまりに致命的な予備動作を伴って、ステップインする。

 それはボクシングで例えるならジョルトブローと呼ばれるものに近い。

 予備動作が大きいため相手に攻撃を読まれやすく、また攻撃後に大きな隙を見せることになるというデメリットの反面、相手を一撃にてノックアウトさせる可能性の高い威力ある拳を振るうというもの。

 全身の力と体重を乗せた斬撃を放つためのそれは、本来ならその一足にて届かぬ間合いでは意味を為さない。しかし、それを至近距離で、実力の同等以上の相手に対して実践の最中に行うのはあまりに無謀。

 かといって、二歩三歩と用してしまっては、その一撃の威力は大きく落ちてしまう。

 だが、少年には彼我の距離を無にする力がある。

 かくして、異能と捨身を以て一刀両断を為す、剣術を極めんとする者たちからすれば、およそ技とも言えぬ愚かな剣技が完成した。

 能力者としての超人的な身体能力を全力で稼働させた踏み込みと共に、異能を発動させたのだ。

 超高速移動の異能。

 それは暗闇に光の直線を残し、少女の懐へ少年の身体を運んだ。

 光芒一閃。光の穂先を闇に書く。

 蜃気楼の如く消え、少女の前に出現する少年。

 紫電一閃。捨身から生まれた、一刀に懸けた斬撃は稲妻の如く。

 もはや技術も駆け引きも何もない。

 しかし、刀身を背後に向けて構えた状態から車輪が回るように旋回させ勢いをつけての逆袈裟斬りは、威力と上段から振り下ろす剣速だけを考慮すれば最強のものだった。

 ただ速さと威力のみを追求した少年の斬撃の極致。

 星芒一閃。異能の発動時に放つ青白い光と共に為された超高速の移動と斬撃とが流星の如き軌道を描く。

 彼が出しうる全霊の力を込めての斬撃は、受けた彼女の、土で編んだ剣を断ち、振り切られる。

「――――やるじゃないか、ニンゲン。そしてこれは余興程度に楽しませてくれた餞別だ。その身で受けるといい」

 武器を折り、不可視の装甲を断った一撃はしかし、わずかに届かなかった。

「―――――。」

 とても人語とは思えぬ、聞くだけで背筋が凍るようなおぞましい理解不能な言葉が少女から漏れ出た。言葉の意味も発音もその一切を理解できなかったし、少年にはそれがとても人の口から発せられたものだと思えなかった。

 正気を揺さぶる声は身体を竦ませ、直後、悠莉は不可視の力によって薙ぎ払われる。

 神話に生きるような巨人が、大樹を棍棒のように振るったような出鱈目な衝撃を受けて、身体ごと吹き飛び、背中を、屋上を囲む柵に強打する。フェンスが受け止めていなければ屋上から落下して、受け身もとれずに死んでいただろう。

「ぐ……ッ!?」

「まあ、こんなものだろうね。力の差に落ち込むことはないよ。君が今しようとしたのはさ、ボードゲームの駒がプレイヤーに歯向かうようなものだ。私と君じゃ、そもそも競争にならない」

 圧倒的な力の差。まるで遊ばれているように感じる少年の感想は真だ。彼我の力量差は、人の努力や工夫でどうにかなる範疇を超えている。

 少女の力は、人智を逸している。

 この対決の勝敗を分かり切っていた少女は退屈そうに地を這う少年を見下ろす。

 悠莉からすれば、立ち上がろうにも立ち上がれず、床に膝をついたまま、彼女を崇めるように見上げる形となる。

「もっともっと足掻いてくれ。恨み憎んで争うといい。君のような存在こそ我が本懐だ」

「待……て……」

「期待してるよ『特殊能力者』」

「――――――。」

 背を向けて立ち去ろうとする少女を追おうとする悠莉、しかし、彼の意識は不可思議な力によって暗闇へと落とされる。

 倒れ伏す少年と、手をひらひらと振って背を向ける少女。

 少女の気まぐれによって果たされた月下の邂逅。

 その幕引き。

 少年には知る術を持たない。

 彼に起きた悲劇、あるいはこの世界中で起きる悲劇の、ある意味での元凶に一矢報いる機会に彼は敗北したことを。

 人の世を混沌に導き、その争いを肴に享楽にふける、その邪悪なる存在に。

 

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