第14話

――――見知った天井だ。昼白色の光を放つシーリングライト。六畳の部屋の間取り、勉強用の机に漫画や小説を並べた本棚とTVと併設したPC用のモニターに、様々なゲーム機。

 見渡すまでも無く分かる。

 オレの部屋だ。そのベッドの上で寝かされていた。

 事件以降リビングのソファをベッド代わりにして寝ているオレが、この部屋を利用することはあまりない。

「お、起きた起きた、」

 見上げた白い天井を遮って、少女の顔がひょこっと現れる。長い黒髪に赤い瞳、整い過ぎているほどに均整の取れた綺麗な顔。

 寝起きに見るには、少々心臓に悪い顔だ。

「……なんであんたがここに」

 身体を起こして聞く。

「それにはまず、伊達さんが、倒れたキミをジョーズに連れてきたところから説明しなくちゃね、全くもう大変だったんだから」

 答えながら、スポーツドリンクを手渡される。異様に喉が渇いていることに気づいて、一口含む。

 それから、千乃から事件のあらましを聞いた。

 オレの手によって、霧崎は今度こそ討伐されたこと。とどめを刺したオレは意識を失って倒れ、伊達に喫茶店まで運ばれ、治療を受けた後に、目を覚ます様子の無いオレを、家まで運んでくれたらしい。

 驚くべきことに、意識の無いまま丸一日と半日が経っていた。

 その間に、千乃とエリカが入れ替わりで様子を見に来てくれていたらしく、今オレが目を覚ましたこの時間は、千乃が来ていたというわけだ。

「大分無茶をしたわね。異能を限界を超えて行使するなんて、下手したら戻ってこれなかったわよ。多少の傷はどうとでもしてあげられるけど、精神的に死んだ廃人には手の施しようがない」

「……そんなにか」

「ええ、二度とやらないで。こんな仕事だもの、命を落とすリスクがあるのは承知してる、でも、自分から進んで命を捨てる特攻しかける馬鹿がどこにいるのよ」

 椅子に座りながら、足を組み腕を組み、窘めるような言い方をする千乃。

「捨てようとした訳じゃない、それに、あいつを倒すためだ」

「同じことよ、あの状況はそこまでする必要は無かった。あの場を最悪逃がしても、霧崎に後は無かった」

「それでも仕事はした。謝っただろ何がいけないんだ」

「やり方。それにその態度、口の利き方に物の考え方。全部よ」

 そんなめちゃくちゃな。元から面倒くさい彼女だが、今日は普段とは違って、その言葉の節々に怒気を含んでいる。

「……能力者なんて兵士や武器と同じ消耗品、そうだろ。裏社会の、反吐が出る事業に加担して、利用される、使い捨ての道具じゃないか」

 それはオレの偏見でなく、客観的にこの裏社会を見た時の意見だ。

 結局、トップの人間は権力や財力を持った普通の人間で、能力者を用心棒なり傭兵なりとして使って、こきつかう。

 命を削って戦うのは兵士である能力者。

 桜城会を見てもそうだ。抗争を制するために多数の能力者を戦闘要員として配置して、きっと少なくない数が犠牲になって、今のあの桜城会がある。

 繁栄の為に使われたそれが、消耗品でなくてなんという。

 一宮探偵事務所という、組織は違えどオレも役割は同じはずだ。

「少なくとも、私はキミを使い捨ての道具みたいに扱うつもりはない。そんなものが必要なら、時間をかけたりせず、別の傭兵稼業をやっている能力者でも金で雇っている」

「じゃあ……。じゃあオレはなんなんだ。オレにとってあんたや、あのメイド、喫茶店の武器ディーラーも、全部ただの道具だ。復讐の為に利用してるに過ぎない。オレにはてんで分からない。相田さんが言っていた。オレの聞いてくる質問に答えるのが要求された報酬だと、なぜそんなことを頼んだ。あんたらはオレが利用できるから拾ったんじゃないのか」

 もう分からなかった。

 エリカに言われたこと。相田の件。これまでの二年間。

 お互いが利害の一致で利用し合う関係。そのつもりで過ごしてきたのに、それでは説明のつかない、目の前の少女が回した気遣いらしき報酬や今の状況。

 エリカが仕事の前に言った言葉。

 それらがどうしようもなく恐ろしかった。

「……もう本当に面倒くさいなー。拗らせすぎ。そんなに家族以外の人間がキミを思って行動することがおかしい? 血がつながってない人はみんなキミに無関心で損得でしか動かないとでも? ならキミをわざわざ見舞いに来た私たちはなに? キミのその、自分は誰よりも不幸ですって顔、本当に嫌い」

 千乃のそんな表情は、はじめて見た。

 オレの境遇を知っても、眉一つ動かさなかった彼女が。

 常にどこか楽し気で、自由奔放な彼女が、今だけは心底オレを哀れんでいた。

「結局、あなたは臆病なのよ。それだけの力を手にしても、怖くて仕方ないの。誰かをほんの少しでも大切に想うことが、そう想った誰かが、また自分の手から零れ落ちて失うことが」

「あんたにオレの何が分かる」

「分かるわ。キミは自分が思っているより他人に対して依存心が強く、付き合いは広くないけどその分関わる人間は大切にする。昔の交友関係もそうだし、今も。喫茶店ジョーズに足繁く通うことがまさにそう、鍛錬の為もあるけれど、それだけじゃない。それに、復讐のための憎しみと同じくらいに、キミは義憤に燃えている。家族が、自分が遭ったような不幸を許せず、目の前で起きていたら見逃せない。必ずしも助ける必要も無かった日野燈花を救い、柳田篤には手を出さなかった。霧崎をあの場で無理に仕留めようとしたのもそういうことだと私は読んでいる」

「そんなの、あんたの都合の良い解釈だ」

 それ以上に返す言葉が見つからないでいると、彼女の方から、手を伸ばしてきた。

「手、貸して」

「は」

「いいから」

 強引に手を握られる。小さくてすべすべとして、自分と同じ人間の手なのか疑うくらい、柔らかかった。

「出会った頃のキミの手は男の子の手とは思えないくらい綺麗だったね、覚えてる? でも、今はボロボロ。潰れた肉刺や胼胝、傷だらけの指。キミの努力の跡だ」

 自分の手なんて、気にしたことも無かった。言われてみれば、随分と汚れてしまったものだ。

「言ったでしょう。キミが復讐の為に手に入れた力は、きっと人を救える。私はね、悠莉くん。その力を復讐だけでなく、他人の為にも振るってほしい。やっぱり、キミに非情や冷酷は似合わない」

「そんなこと――」

「なくない。だって、今回の事件でキミの働きは少なくない人間の命を救った、私に細かく指示されずとも、キミ自身がそうなるよう判断して動いてみせた。キミが能力者の世界に入ることを望んだとき、私はそんなキミだからこそ、他所じゃなく傍に置くことを決めたの。そもそも、こちらの世界に入って危ない橋を渡ることを嫌がった子もいるけどね」

「それって……」

 思い浮かんだのは一人、その名前を出そうとして、遮られる。

「さあ、誰でしょう。もし、そのことが気になるなら後から本人に聞くことね」

 悪戯な笑みを浮かべて、小指を絡めとられる。互いに小指を引っかけて、千乃は言う。

「これは約束。私は、キミを出来うる限り善い事の為に扱う。こんな世界だ、たまには汚れ仕事もあるかもしれないけど、努力する」

 とても裏社会の汚れた人間たちと仕事をする者の表情とは思えない。

 この裏社会に浸かって日の浅いオレでさえとっくの昔に失った世界や人間というものに対する希望のような何かを、それ以上の醜い部分を知りながら、それでもこの人はまだ抱いている。

「だから、どうか。――私と一緒に、人を助ける力添えをしてほしい」

 普段はおくびにも出さないその内側の一片が垣間見えた。

 正義を掲げて行動するどんな者よりも、その在り方が尊いように想えた。

 きっと、そこには等身大の一宮千乃がいて、その言葉には切なる願いがあった。

「そして今度こそ、キミは自分が大切だと感じる人たちを守ってみせてよ。代わりに、復讐だけが全てじゃないって思うような、そんな日々を送らせてみせるから」

 そうか。

 ――――宿願を遂げた時幸せになれるよう、わずかばかりでも手元に残ったものを愛せるよう、獣ではなく人として生きなさい。

 こんなすぐ近くにあったのか。血のつながりはないけれど、家族ほど親しいわけでもないけれど、それでも放っておけないし、放っておかない人達。

「――どう? 前と答えは一緒?」

 復讐を目指したからこそ出逢った奇妙な縁。

 全てを失ったオレが手にした小さなつながり。

「……オレには復讐が全てだ。人にどれだけ説得されて、律そうとしても、無理なんだ」

「そんなの、まだまだ分からないわ」

「あと、多分オレは大分面倒くさい」

「多分じゃなくてそうだよ。でも、そんなの今更よ、もう二年もその仏頂面に付き合ってきたんだし」

「いざという時、復讐の為ならオレはあんたらを見捨てるかもしれない」

「私たちはあなたを見捨てない、でも自分の命が危ういときはその限りじゃないかも。ほら、お互い様じゃない」

「あんたも物好きだな」

「ほかの二人ほどじゃないけど、まあそうね」

「……分かった、約束するよ」

「うん、約束」

 指切りげんまん。子供同士の約束や子と親で交わすような、互いの心にだけ残って、なんの記録にも残らない、児戯じみた約束だ。

 でも、だからこそ、ここには機関とか能力者とかそんな立場や境遇に左右されない温かな何かがあった。

 そうか。

 オレが強く頷くと、彼女は笑った。その笑顔が、少しだけ優し気で、彼女でもそんな風に笑うのかと、少し意外だった

 今はとても口に出して言えない。それでも、今のオレがあるのは千乃やエリカ、宇都宮、三人のおかげだから。

 彼女らだけは失いたくないと、そう感じるのだ。

 戻らない者たちの為に生き、それでも、傍にある者を失わないように戦う。

 多分、それを続けていくのが、あの人の言う人として生きるということだと思うから。

 それに、口に出さずとも察しの良い少女のことだから、多分気づいていた。オレが自覚するより、もうずっと前から。

「……どこに行く?」

 椅子からおもむろに立ち上がる千乃。

「帰るの。こんな面倒くさい男はウチの引くほど物好きなメイドに任せます。なに、いくら私が超・絶・美少女で、今ちょっといい雰囲気になって寝室だからって、そういうのはないよ」

 言いながら扉に手を掛ける。

 この女は本当に。

 一瞬言うのをやめようと思ったけど、ここで言わなければいけない気がしてやっぱり呼び止める。

「なあ、千乃」

「もう、なに? まだなにか」

「ありがとう。報酬の件もこれまでのことも色々と」

「……なにそれ」

 わずかに紅潮して顔をさっと背ける千乃。

 その反応が意外過ぎて、少し吹いてしまった。

「あー。今鼻で笑ったなーこの。自分でも柄にも無く照れたことは認める! けれど、断じて違うから。もしや、これがギャップ萌えというやつ。長年、ロクに言うことを聞かなかった飼い犬がようやく躾を覚えたような、得難いこの達成感のようななにかは――!」

「犬に例えるなよ」

「ごめんごめん、つい本音が……」

「おい」

「まあ、冗談はさておき。休んだ方が良いよ、悠莉くん。意識は回復したけど、一日二日でどうにかなる消耗じゃないから。今回の仕事なんて全然小さなものよ、次の仕事の為にもしっかり休みなさい。これは上司命令であーる」

 偉そうにぴしっと指さして千乃は部屋を去っていった。

 大人しく横になっていることにする。

 さきほどのやり取りを思い出して、今更むず痒い感覚に襲われる。

 普段なら絶対に口にしないことまで言ってしまったのは、彼女の人柄によるものか。それともオレが思っているより、精神的にも身体的にも衰弱しているのか。

 なんにも残らない口約束。

 それを、今まで交わされた何より大切にしようと思った。

 こんな時間、こんな関係は復讐には必要のないものかもしれない。

 だけどさ、ごめん。父さん母さん、雪菜、どうかそれを許してほしい。

 オレは、生きるよ。

 

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