第13話

 日が沈み、空は茜色から、藍色へと変わろうとしていた。

 港の大量のコンテナと倉庫群の区画。おそらく霧崎を追うために桜城会側から遣われてきたのだろう数名が、見るも無残な姿で転がっていた。

 身体が欠損している者、石の槍のようなものにその身体を貫かれた者、まるで大型車に轢かれたかのように身体が不自然に凹んだ者。

 そして、その屍たちの中央に佇む異形の人影。

 四肢が異様に伸び、骨ばった手からは獣の如き、かぎ爪じみた鋭利な爪、白いはずの眼は黒く、そのうちに収まる瞳は赤。血走った眼は黒目に赤い亀裂を描いていた。もはや元の造形を保ってはいない。ソレを見た目だけで奴だと判別するための材料はその髪と服装くらいのものだった。

 奴の異能か周囲には血が霧のようにいつまでも漂っていた。

 大量に浴びた返り血すら気にせず、自らが殺めた屍肉を嬉々とした様子で貪るその姿は、腐肉食の獣そのもので、到底人とは呼べまい。

 その恐ろしき獣は――霧崎泉はこちらを認識する。


「――来てやったぞ、化け物」

「アア? オマエはあのオヤジの隣にいたガキか。能力者だったのか。丁度いい、オマエも俺を嵌めた奴の連れだ、殺す。俺が生きるのを邪魔する奴はみんな殺して、食ってやる!」


 奴は自らの生存の為に、オレは自らの復讐の為に、その障害となる者は相手が何者だろうと斃す。眼に映るあらゆるものを憎む、その双眸。


「ああ、オレと今のお前はその点だけは一緒で、繋がっている」


 携帯端末からナイアーズゲームを起動させる。左手が熱を伴って、その甲に痕を残す。


「あんたが生きてちゃあの人の復讐が終わらない。死んでもらうぞ、もう一度」


 短剣を抜く。

 それを見た霧崎が咆哮と共に躍動した。

 それは、ゲームの起動と共に高い身体能力を獲得する能力者のそれすら凌駕する、超人的跳躍。

 十メートルはあろう彼我の距離をなんの助走も無く跳躍で詰めてきた奴は、血の霧を左腕に集約させて叩きつけた。

 後ろに下がって躱したものの、空を切った打撃は地面を叩き、爆ぜるように砕いた。そのまま地面に突き刺さった腕を支点に身体を捻っての蹴り。

 常人には到底不可能な身のこなしと速度、威力。

 躱せないことを悟る。咄嗟に左腕を盾にするも、トラックにでも跳ねられたのかという衝撃と共に、景色が自分の意図に反する形で後ろに流れる。


「がふっ……!?」


 追撃の蹴りを後ろに跳んだ勢いのまま吹き飛ばされた。背面をコンテナに強打したことでようやく、その勢いが止まったのだ。

 もはやその身体能力だけでも異能並み。仮に後ろに衝撃を逃していなければ、今ので終わっていた。

 化け物なのは見た目だけじゃないというわけだ。


「どうした? 口だけかよオイ!」


 霧崎を中心に待っていた血の霧が、返り血と周囲に飛び散った血液が意思を持ったように蠢き、槍の穂先のような形を成す。

 それは、血の槍。宙空で編まれた四つのそれが、独りでに動き、こちらに向かって放たれる。

 ふらつく足取りと景色の中、横に転がり込むようにして、辛うじて逃れる。的を外した槍は背にしていた鉄製のコンテナに深々と突き刺さる。外したことで役目を失った槍は、もとの血の霧となって、奴の元へ戻る。

 血を操る異能か。

 あの馬鹿げた運動性能、近距離でまともにやり合うのは不利、かといって中距離以遠も血液を凝固、操作した飛び道具。

 こちらの装備は自動拳銃と、宇都宮製の短剣二本。

 上等だ。

 左手で拳銃を引き抜き、霧崎を中心に大回りるように駆けながら三発発砲。頭部、胸部、腹部へそれぞれ狂いなく飛んでいく弾丸を、奴は回避するまでも無く血の盾を形成して防ぐ。

 銃弾が通用しないことなど想定済み。いちいち驚きはしない。

 能力を使わなくても奴なら無難に回避できるだろう。優れた能力者なら、正面からの一対一の銃撃くらいの対処は難なくこなして当然。

 撃ち終わると同時に、異能を発動した。

 オレの速度は音速を優に超える。血の盾を解除した霧崎の懐へと姿勢を低くして潜り込む。銃弾を防ぐために視界を遮った奴は、オレの詰めに気づかない。

 右手に持った短剣で左の腿を撫で切りする。


「テメエ、いつの間に!?」


 悲鳴をあげながら、振り払うように薙いだ右腕。かいくぐりながら、返しの太刀で斬りつけながら下がる。


「があっ!?……クソが!」


 腕の傷から吹き出る血と纏った霧が幾つもの鞭となって襲う。

 まるで触手だ。蠢く幾つもの血の腕が直撃こそ間逃れたものの、鋭利な刃物で斬りつけられたような傷を残す。

 面倒だな。

 伸びた血の腕を斬り落とす。

 元の血液となって飛散すると、まもなく霧散して奴に戻る。

 奴の動きは確かに人の域を超えたものだが、奴自身がそれに慣れず乗りこなせていない様子。

 圧倒的に不利に思われた接近戦も、細かい挙動、機敏、技術においてはこちらが上回っていた。

 だが、霧崎の攻撃はどれも即死級だ。

 鉄製のコンテナをも貫く血の槍や、恐るべき切れ味を誇る血の腕は言うに及ばず、拳一つ、蹴り一つですら命とり。

 野生の獣じみた機動と化け物じみた打撃を可能とする霧崎の埒外の膂力。むちゃくちゃな姿勢からでも強烈な一撃を放ってくる。

 だから、霧崎のペースには付き合わない。

 奴が間合いを詰めようとすれば、こちらは弧を描くようにして距離を取り、異能による高速移動で撹乱して視界の外からこちらのタイミングで攻め入る。

 攻撃は短く早く、一撃必殺ではなく、じわじわと相手の体力と動きを削っていく。

 短剣の刃が硬化によって届かなかった伊達よりも、まだ攻略しやすい。

 オレの集中力が先に切れるか、霧崎の体力が尽きるか、その勝負だった。

 斬って、避けて、斬って、下がって、移動して、斬った。

 異能によって瞬間的な機動力に勝るオレが傍目には優勢に映っただろう。オレ自身の手ごたえもそう感じていた。

 しかし。

 一体、どれほど時間が過ぎただろう。

 一切、動きを止めることなく、動き続けていたオレは限界を迎えようとしていた。

 特に体力や傷より問題だったのは、運動によって酷使したのとは別に身体を重くする疲労感。

 ゲーム風に例えるならMPのような概念。体力というより精神を消費して行使される異能には一度の使用に限度がある。

 霧崎との戦い。運動性能で大きく上回る相手と立ち回るには、近接での戦闘技術と、オレの持つ高速移動の異能を多用することでしか成し得なかった。

 だが、奴の体力と耐久力は想像を絶していた。

 もはや幾度与えたか分からない斬撃。いかな能力者といえども、あれだけの傷を負えばとうにその太刀傷や失血で死亡している。

 だというのに、霧崎の動きは衰えを見せることもなく、与えたはずの傷は浅いものから癒えていき、流れた大量の血は、奴の異能によって武器になる。

 無傷とは言わないが、健在。

 対してオレは、もはや幾度も異能を使えないと察している。短時間の過剰な連続行使は、オレの意識を奪いかけていた。

 目が霞む。身体が重く。意識が遠い。目の前の脅威すらどこか他人事のように映る。

 その敵は、まるで血に塗れた化け物だ。

 血液によって形成された四つの腕が、霧崎の身体から伸び、尾のように揺れていた。負った傷で血の霧はその濃さを増し、彼の周囲から一帯に広がっていた。

 幾度となく放ってきた血の槍。その大きさと一撃の威力を犠牲にして、幾百もの針を血の霧から作る。

 それが一斉にオレに向けて掃射されようとしていた。

 朦朧とする意識。回避は困難。

 コンテナに背中を預けたオレは、それを支えに立っているのがやっとだ。


「終わりだ、ガキ。死ぬ前に教えろ、一宮はどこにいる」

「――――」


 死ぬ。

 そうか、死ぬのか。ここで。

 まだ動けなくはない。けど、動けたところでこの化け物を前に異能抜きでは立ち回れない。

 おわりだ。ぜんぶ。

 奴の遥か背後に転がる屍。

 あれになるのだ。

 裏社会で活動する能力者の末路など、こんなもの。

 オレだけが特別な理由はない。

 どれだけ強くなろうと上には上がいる。

 どんな世界でも同じだ。地方、国内、世界、世の中は広く、果てしない。

 おそらく、目の前のこの化け物さえ手も足も出ない存在だっているのだろう。

 諦念によって、なんとかもっていた意識はいよいよあやふやに。視界は急激に距離感を失う。

 全部が遠く、黒く、深く、落ちていく。きっと、このまま落ちていけば楽になる。

――――。

 かつての母との会話をなぜか思い出す。あれは確か小学生も低学年の頃だ。

 当時のオレは死がとても恐ろしかった。

 死んでしまったら家族や友達と離れ離れになってしまう。誰にも死んでほしくないし、死にたくない。死んだらもうずっと一人きりなのか、とそう母に訊ねたのだ。


 それは違うよ。人は死ぬとね、天国っていう素敵な場所に行くの。そこでお母さんのお父さんやお母さん、お父さんのお母さん、死んじゃった人達が私たちを見守って、天国で楽しく暮らしながら、来るのを待ってるの。首をながーくしてね。もし、お父さんやお母さんが死んじゃったら、きっと同じ場所に行くわ。悠莉や雪菜もね。


 じゃあ、死んだらおじいちゃんたちに会えるの?


 そうね……きっとそう。でも、会う為に自分から死んじゃったりはダメよ、許しません。ちゃんと生きて、悠莉が大人になって、おじいちゃんくらいによぼよぼになってからじゃないと天国にはいけないんだから。


 じゃあ。僕が天国に行く頃には、みんなおじいちゃんおばあちゃんになっちゃうんじゃないの。


 え。それは……えーと。そう! 神様が昔の姿に戻してくれるのよ。みんながみんなだって分かるようにね。


 へー! 神様ってすごいね!


 そうよ。……だから死んだら一人きりなんてことは絶対にない。お父さんとお母さんは悠莉や雪菜より、ちょっと早くさよならしちゃうけど、ちゃんと生きるのよ。学校の友達と別れて家に帰る時みたいに、ちょっと長いまたねをする。それが死ぬっていうこと。ちょっとの間は悠莉の言う通り離れ離れになっちゃうけど、そんなに怖がらなくていいの。最期の日にみんなに会えるんだから、一人きりなんかじゃない、何も恐い事なんてないわ。


 ――――。

 もう疲れた。

 神様なんて信じちゃいない。もし神なんてものがこの世に居るとするならそれは、人の不幸を笑うだけの邪神だ。少なくとも、神様ってやつは人を助けなんかしない。

 でも、母の言葉は信じている。

 この暗闇の先に、みんなが待っているのなら。また会えるのなら、それで――――。

 深い海に沈んでいく、そんな感覚。

 その最中に。

 地獄を見た――――。

 窓から明かりが見えていたのに、寒気がするほど静かな玄関。

 返ってこない声に、室内に響くやかんの笛吹き音と、つけっぱなしのテレビの音。

 ピーと鳴くやかんの音は、嫌に不吉で不安を煽る。

 バラエティ番組から漏れる笑い声は、まるでオレを笑っているようだった。

 リビングで訳も分からないといった表情のまま命を落とした両親。

 自室で原型などとどめない姿で殺された妹。

 焦げた臭いと血濡れの妹の部屋、いつまでもそこに独り取り残される自分。

 ――――忘れようもないあの惨劇がフラッシュバックする。

 誰かが言った。

 お前は。

 家族を殺した何者かは今日もどこかで生きているかもしれないのに。

 あの苦痛を、あの怒りを、ぶつけるための相手すら知らずに死んでいくつもりか。

 そんなことを許せるのか。

 なんのために力を手に入れた。

 なんのために、生きている。

 なんの、ために――――。

「……るな」

「……アア?」

 決まっている。

 全ては、あの日の悲しみと怒りを忘れないため。

 そしていつの日か、自らの所業が生んだ男に殺される瞬間の何奴かの顔を拝むため。

 火が灯る。

 視界が定まり、斃すべき敵がはっきりと見えた。

 復讐という、果たされるまで決して消えることのない炎が、意識を覚醒させる。


「ふざけるな。こんなところでオレは死ねない! 死ぬのはお前だ霧崎泉。そして、死んでいくあんたに教えることなど何もない」


 そうだ、こんなところでは死ねない。オレにはやるべきことがある。

 ただ自らが生きる為に殺すこんな男には負けられない。

 それに――――、まだあの青い瞳に答えを返せていない。


「ああ、そう。じゃあ、消えろよオマエ」


 意識が覚醒したところで、自身が限界にあるのは変わりない。

 視界いっぱいに広がり、迫りくる血の千本針は、その圧倒的な物量で面を覆い、通常の移動では回避は出来ない。

 それでも握った短剣を強く握りしめ、一本でも多く叩き落そうとして――――。

 大きな背中がオレを護った。

 間に入った誰かが、オレの前に立ち塞がって、一身で受け止めた。

 霧崎の放ったそれは、鉄をも貫く貫通力を持つ。

 あんなものを全身に受けて無事でいられるはずがない。庇った人間もろとも貫通し、死体が一つ増えるだけだ。


「――よォ、待たせたな」


 しかし、ソイツはその血の針の全てを全身で弾き落としてみせた。鉄を断つ刃すら弾く要塞の如き防御力。その異能を、オレは知っている。

「あの場面で啖呵切るたァ、やっぱりテメエは大した奴だぜ、悠莉」

 硬化の異能を持つ燃えるような赤髪の男、伊達慎也は笑う。

 グラサンからのぞくニヤケ面が中々どうして頼もしい。

「伊達……何で」

「そいつを聞くのは野暮ってもんだぜ兄弟。ほらよ、こいつを使えって、あの一宮の嬢ちゃんからだ。それと、ちゃんと返せってよ」

 寄越されたのは伊達が肩に背負った竹刀袋。中を開けるのと、入っていたそれは普段扱う短剣より遥かに長い、直剣。鞘に納められたそれは確かな重みと、不思議な存在感をもっていた。


「そして金髪のねーちゃんから、どうか無事に帰ってきてくれってよ。こりゃ死ぬわけにはいかねェな、おい」

「……ああ。手を貸してくれ、伊達。あいつを葬るぞ」


 鞘から剣を引き抜く。

 白銀の刀身を持つその剣は、月明かりに濡れて、神秘的な光を放つ。

 剣について造詣が深いわけではなくとも分かる。

 宇都宮の異能が成した刀剣とも違う、異質の存在感。

 だが、もし、この世に聖剣というものが実在するのなら、こういったものがそう呼ばれるのだろう。

 確かにこのような剣こそ、あのような化け物を葬り去るのに相応しい。


「オウよ! いくぜ兄弟ィ」

「伊達……今、一宮っつたか。テメエを殺す理由が増えたぞオイ!」


 血の大槍が形成され放たれる。おそらく今までの戦いの中でも最高の威力と殺意を以て放たれた朱き槍。

 それを伊達は。


「その手は喰わねェ!」


 硬化した拳を襲う槍に正面から叩きつけた。わずかな助走をつけて、力強く踏み込む。全体重を乗せた拳が、凄まじい貫通力を持つ赤い槍を打ち砕いて、霧散させた。


「テメエはいつもいつも、目障りだったんだよ。同じように戦果をあげてんのに、俺は二次団体配下の能力者で、テメエは本家直轄の所属。気に食わねえ、気に食わねえ気に食わねえ!」

「ハ、そりゃあ霧崎。テメェがしょうもねェことに拘ってっからだよ! 女子供を狙ったりやってるとことが小物が過ぎんだよ!」


 中距離からの血を操る異能では、通用しないと感じたのだろう霧崎は伊達にインファイトを挑む。

 しかし、その接近戦こそ伊達の土俵。手を合わせたオレには分かる。あの硬化を操る異能の使い手としての奴の手腕と拳闘技術は、ぬるくはない。

 霧崎は持て余した身体能力を発揮できず、伊達にひらりひらりと攻撃を躱され、あるいは部分的な硬化で防がれていた。四つの血の腕が成す攻撃を紙一重に躱しながら、霧崎自身の本能的に繰り出す隙の大きい攻撃に、的確にカウンターを合わせていく。

 怯んで、超人的な跳躍で伊達の距離から逃げる霧崎。


「クソが、ハエかテメエは!」

「オイ、そっちに逃げんのは悪手だぜ、霧崎」


 休ませはしない。

 その着地先へ、オレが能力を発動して先回りする。

 瞬間、なにか超えてはいけない一線を越えた感覚がした。


「くっ……ソォォ!?」


 手にした白銀の剣で横一文字に斬り払う。いかに超人的な身体を誇ろうと、空中では避けるにも限界がある。咄嗟に纏った血の盾を断って、霧崎の腹部を裂いた。

 本来なら、胴を真っ二つに断つ深さで斬り込めたはずだった。

 それが出来なかったのは、おそらく、異能の行使が限界を迎えたからだ。高速移動の着地の精度が甘く、なにより、脳が過剰な労働に耐えかねたように頭痛が走り、全身の機能が著しく落ちている。

 だが、それでも今日一番の手ごたえ。

 なにより、今までどれだけ斬撃を与えようと、大した効果を得られなかった霧崎が苦痛に悶える。


「なんだそれ、なんだよそれはあッ!? 離れろッ!」


 血の霧が集約し、爆ぜる。

 威力は無い、単なる目くらましか。全身をぴしゃっと、粘度の高い血が濡らした。

 もはやなりふり構わず、後退しながら、全開で異能を行使する霧崎。能力発動時に左手の甲にのみ現れる青白い光を、全身に帯びる。

 裂けた腹部から垂れる血が新たに霧を生み、槍を針を形成し、掃射する。

 降り注ぐ致死の血の雨。

 距離を取る為に出鱈目に撃ってくる。時間稼ぎに異能を全力行使していた。

 ――――逃がしはしない。

 奴が全力でこの場から逃げれば追うことはできない。ここを逃がせば、また奴は他の人間を食い物にするだろう。意識せず、顔を思い浮かべてしまった人たちがいた。

 それはダメだ。

 倒し切るなら、今、この瞬間。

 オレの意思に反するように心臓が一際強く跳ねた。それは、身体からの警告だ。これ以上の能力の行使は身を滅ぼす。

 脳裏に刻まれた知識は、オレに語り掛けるように頭の中を警鐘を鳴らす。オレと言う器が消えることを恐れるようにレッドアラームを鳴らす。

 それらを振り切って。

 撃鉄を起こす。

 オレが選ぶのは後退ではなく前進。

 遠距離に放つ血の槍を斬り落とし、中距離に降り注ぐ血の針を掻い潜りながら、いなし損なった攻撃が自らに達する前に異能を発動する。

 瞬間、自らの精神を硝子に例えるなら、罅の入ったそれが粉々に砕けるのを感じた。


 ――――光に及ぶ疾走。


 加速して向かうべき距離をゼロにするその刹那の時間にオレの意識はない。

 分かっているのは超高速で移動していること。これは能力者となったときに、まるではじめから知っていたように知識として得たものだ。

 脳に書き綴られた知識とは別に、体験として知っているのは、異能発動のその瞬間に、世界が止まること。

 あらゆるものが動きを止める、体感で十分の一秒にも満たないその時間と空間。

 移動先の未来を幻視し現在と折り重なり、音が消え、色が消えあらゆるものが置き去りになったその世界を、きっと神様だって知りはしない。

 その静止した世界が終わったとき、オレは目指した座標へと着地している。

 残った光の軌跡がオレの移動の証だが、この最中の肉体への物理的な負担やどういう風に身体が動いているのかは全く不明だ。

 それでも、確かなことはただ一つ。


 ――――この瞬間に、オレより速いものなど存在しないということだ。


 そして、近距離。

 静止した世界を超えたこの身は、互いが必殺の間合いに躍り出る。

 霧崎の自らを守るように身体に束ねた四本の血の腕。


「迅……」

「――失せろ、ケダモノ」


 刺し違えることすら覚悟で深く踏み込んだオレと、最期の最期で生存の為、護りと逃げに徹した霧崎。

 それが共倒れでもおかしくない決着の、勝敗を分けた。

 奴の手に形成された血の剣は空を切り、対して、オレの剣は奴の血の腕ごと身体を深々と貫いていた。

 人とは思えぬ獣めいた断末魔を残して、今度こそ霧崎は絶命した。

 振り返ると、伊達がしてやったと言わんばかりのグラサン越しのニヤケ面で拳をこちらに向けていて、その表情が似合わない心配の様相に変わると共に視界はぐちゃぐちゃになって。

 そして――――。


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