第11話


 

 後始末を伊達と、その仲間達へと任せて、喫茶店ジョーズにてオレは相田利家と同席していた。復讐を果たした彼は、憑き物が落ちたようでありながらどこか冴えない表情だった。神妙な顔でコーヒーを飲む彼を横目に見る。

 店内にはオレと彼の二人しかいない。気を利かせてくれたのか宇都宮も席を外しており、完全に二人きりだ。

 壮大な演奏の余韻のように、あの銃声が残っている。

 一年、これを長いと言うか短いと言うかは、その人次第だろう。

 だが、それだけの時間、隣の男は顔すら分からぬ犯人に憎悪を募らせ、復讐のため、引き金を引くために生きてきたのだ。

 復讐を果たしたとしても、奪われたモノが返ってくることはない。

 そんなことは分かっている、彼も、オレも。

 それでも、いやだからこそ聞いておきたいことがあった。


「一つ、聞いてもいいですか」

「なんだい?」

「復讐を果たした気分はどうでしたか?」


 無礼は承知だった。ともすれば、彼を怒らせるかもしれない。

 隣の彼がその質問を受けて驚いたようにこちらに顔を向ける。こちらの眼差しに真剣なものを受け取ったのか彼は、機嫌を損ねるでもなく、静かにこちらを見つめ返した。

「きっと、しばらくは毎日毎日、失った人の顔が思い浮かんでいたはず。起きるとき、食事をとるとき、寝るとき、出かけるとき、帰ってきたとき、生活のあらゆるところに息づいていて、自分一人だけの家の中で感じるんです、もう、二度と話すことも触れることも出来ないんだって。まるで胸に大きな穴が空いたみたいで、何も手がつかず後悔と怒りばかりが募る」


 それは、彼の話というよりオレ自身の話だった。


「この一年、きっと復讐に全てを費やしてきたはずだ、その今日までの苦痛と苦悩、犠牲は報われた?」


 言いながら、自分の表情がどうなっているのか全く想像がつかなかった。

 一言重ねるごとに、この二年の様変わりした生活が思い出された。生活の節々に匂う家族の存在に苦しみ、その元凶を憎み、力を求め牙を研ぎ澄ました日々。

 かつての自分らしさなどとうに消え失せた。

 きっと同じものをこの男も感じて今日まで生き延び、かの仇敵に引き金を引いたはずだ。

 先の光景を見た相田利家に、かつての自分が居た場所に在る久良悠莉はどんなふうに映るのだろうか。


「そうか、君が……道理で」


 質問を受けて何かを納得したような彼は、少し黙りこむとカップに視線を落としてこう答えた。


「報われた、と言ってあげたいし言いたいけどね。実を言うと、そこまで晴れやかな気分ではないんだ。確かに銃の引き金を引き、斃れた奴を見て自分の中で何かが一瞬だけ解放されたのを感じたよ。でも、それきりだ。今こうして日常に戻ってみれば現実味のない現実の中にいる。復讐に躍起になった私の元から去った妻は戻ってこないし、殺された娘も生き返ることはない。私の手元にはもう何も残っていない。……本当は残された妻とだけでも支え合って前を向いて歩いていくべきだったのかもしれないな」


 告白する彼は抜け殻のようだった。悲願の達成に猛けるわけでも安堵するわけでもない。事を終え、生きていくための力を使い果たしてしまったような彼の背中は、以前よりも小さく見えた。

 理不尽を前にしても気丈に振る舞い、復讐の相手を前にしても強靭な精神で己を律し、精悍な相田利家の姿は見る影もなかった。

 これが復讐を果たした者の行き着く先なのだろうか。


「そう、ですか」

「だけど、後悔はしていないよ決して。あの男を前にして生かしておくことだけは私は許せなかった。他の誰かではなく私の手によってそれが果たせたという点では、ああ、確かに報われたよ」


 そうか。それは安心した。

 この人が言うのであれば、オレはこれからも。


「……君の場合は、少し違うのかもしれないね」

 自分の中で納得し、消化しようとしたそれを、相田利家は否定するようにつづけた。

「え?」

「私が復讐に身を費やしたとき、私についてくる人間は誰もいなかった、当時の同僚や友人、妻でさえね。でも君の場合は違う。君を案じ、君を支え、君を気に掛けてくれる人たちがいるじゃないか」

「それは、どういう」

「今回の件の報酬として要求されたんだよ、一宮探偵からね。『お金は必要ありません。ただこの件を終えた時、必ずある人物があなたに質問をしてくると思います、それに正直に答えてあげてください』と」


 なんだよ、それ。

 今朝の、エリカの言葉が反芻された。


 ――――覚えておいてください。世界のどこかにはあなたの亡くなった家族の他にも、あなたを大切に想う人がいるかもしれないということを。あなたが健やかに、幸せに生きることを願う人がいることを。


 訳も分からず、小さく歯ぎしりしていた。


「君程腕が立つなら必要のないものかもしれないが。これは君にあげよう」


 そう言って彼は小包をオレに差し出す。

 中身は聞くまでもなかった。


「私はもう生きているのかどうかすら分からない。人生にこれ以上の目的を見出せないし、一からやり直すような時間も気力もない。死んでいるも同然さ」


 相田は自嘲するように話す。けれど、続く言葉と口調はどこまでも誠実で真っ直ぐで。


「でも、君は違う。復讐を願うならその道を歩めばいい。それを止める権利は私にも、誰にも無い。だけど、どうか私のようにはなるんじゃないぞ。君は生きなさい、宿願を遂げた時幸せになれるよう、わずかばかりでも手元に残ったものを愛せるよう、人として生きなさい」


 それは復讐を叶えた者から、復讐を願う者への贈り物だった。


「――――はい」


 オレはこの日、生まれてはじめて心から感謝をしたのかもしれない。

 言わされたわけでも言わなくていけないわけでもない。常識やマナー、礼儀に則ったわけでもない。

 それでも尊敬と感謝の意を込めて、ただ頭を下げた。

 復讐を求めながらも人として生きる。

 それはとても両立しえないもののように思えたし、してはいけないと思っていた。

 だけど、今この胸に感じる温かみがあまりにも懐かしいものだったから。

 まるで想像もつかないけれど、彼が言ったように在れたらと、そんなことを想ってしまったのだから。

 あの時、とても形に出来なかった言葉を、心の中で問い返す。

 彼女はなんと答えるだろうか。

 少しだけ。

 その先が気になった。


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