第9話
住宅街を歩く。建ち並ぶ家々の中からようやく自分の家が見えてくる。
オレは友達の家に遊びに行っていた。その日は、オレの誕生日で、友人宅でもささやかながら前祝をしてもらったのを覚えている。
季節は秋。友人達と別れ、茜色の空の下を歩きながらオレはメッセージアプリを開き、家族のチャットグループに、『今から帰る』と送信する。
メッセージの履歴には『好きな物用意してるから早く帰ってきなさい』、『あんまり遅いなら全部食べちゃうよ』からはじまり、友人と遊ぶのに夢中になって通知に気づかぬ内に母と妹から好き勝手言われていた。
家族仲は、良好な方だと自分でも思う。
家の前まで来ると、おそらく仕事を早めにあがってきたのだろう。この時間には普段はない、父の車が既に駐車されていた。
もうオレも中学三年になるのだ。一年と少し経てば高校生。そんな無理に祝わなくても、と思う。それでもやはり嬉しいもので、顔は自然と綻ぶ。
少し前はべったりだった癖に急に距離を置き始めた年の近い妹に、家族大好き過ぎるだろってくらい頻繁にグループチャットに好き勝手メッセージを呟く母さん、休日は何かと自分の趣味に付き合わせたがる父さん。
時々、面倒臭いと思う時もあるし、友達にからかわれて恥ずかしい想いもするけど、いい家族だ。
玄関を開ける。
ただいまと言っても返事はない。
不思議に思ってリビングに入ると、ソファにもたれかかったまま父が、キッチンで母が、物言わぬ状態となって倒れていた。ヤカンが蒸気を立てる音が、止められることなくいつまでも不穏に鳴り続いている。
嫌な予感がして、ふらふらとした足取りで二階の妹の部屋へと向かう。
いつもはノックをしなければ怒る妹。そんなものは忘れて扉を開ける。
あったのは、常軌を逸した光景。
父や母とは違う。まだマシだ。まだ、人として死ねている。
だが、妹は。雪菜は。
――――なんで。
部屋中に血がまき散らされていた。目に入ったのは、一面を不均一に染める血。
――――誰が。
まるで、この部屋の中で人体が内側から破裂したような。
――――こんな。
肉片と内臓が、妹の部屋とあらゆるものを紅く飾り付けて。
――――なんで
人らしい原型なんてとどめない肉塊が部屋の中央に一つ。
――――なんで。
遺された肉の塊が妹であるのを理解するのに時間はそうかからなかった。
――――。
――――。
――――――――。
泣いて吐いて狂ったように声をあげた。
そこから後の事は、はっきり言って覚えていない。
結果として、警察の捜査も虚しく手掛かりらしい手掛かりも目撃証言も無く事件は未解決のまま。
特に、妹の雪菜の遺体は奇妙なもので、体内に爆発物でも埋められていたのでなければああはならない、そんなことを誰かが話していたのを覚えている。
しばらくは遠方に住むろくに会ったことのない祖父のもとで暮らすことになっていたが、ほどなくしてオレ自身の希望でこちらに戻ることになった。
その日、オレは全てを失った。オレの疑問に答えてくれる人間は誰も居なかった。
名前も顔も知らないどこかの誰かの手によって、オレの平凡は破壊されたのだ。
現実味の無い日常を送るオレがそれが能力者の手のよるものだと確信するのは、それからもう少しあと。オレが携帯にナイアーズゲームを見つけ『声』を聞いてから、オレの復讐は始まる。
「――――夢か」
二人掛けのソファから身を起こす。
度々見る悪夢だ。慣れているとはいえ、気分のいいものではない。
いや、目が覚めてなおオレは悪夢を見ているのだ。終わらない悪夢を。覚めるためにはこの復讐を果たすほかない。
住宅街の一軒家。家族を亡くしてからも、オレはそこに住んでいた。居を移すことは考えられなかった。ここに残る、わずかな両親と妹の生活の残り香のみが、唯一家族の存在を感じられるものだった。
そして何より、この憎しみを忘れないためにも。
一人で住むには、あまりに広すぎる家。
かつては、家族全員で集まり、賑やかだったリビングも今では静まり返っている。
両親が存命だったころの近所付き合いも無くなった。
事情を知る周囲が気を遣ったのもあるし、オレの豹変ぶりもあって、すれ違えば一言挨拶くらいはあるものの、変に干渉してきたりといった面倒はない。町内会の面倒なイベントなどにも顔は一切出していない。
リビングのテーブル脇に置いた両親の携帯。携帯会社との契約は当然切ってあるが、端末とデータははそのままにして取っておいてある。妹のものだけは、どこを探しても見つからなかった。
携帯が鳴る。
千乃からのメッセージだ。
『喫茶店ジョーズ十時に集合、学校は休んでよし』
一体どの立場からの発言だと思わなくもないが、冷静に考えれば上司だった。まあ学校くらい休んでも今更構いはしないからいいんだが。
やることもないオレは、指定の時間より随分早いが、喫茶店ジョーズに向かうことにした。
喫茶店ジョーズの地下。
何層かに分かれたフロアの一つは、彼の手配した武器を試すためのスペースになっている。時には射撃練習も行うため、防音加工の施されたそこをオレは二年、エリカの指導の下、修練場として利用していた。
千乃の指定した時間までに、二時間以上早くにジョーズに到着したオレは客も来ないのに甲斐甲斐しく早朝から開店準備を始める途中の宇都宮の許可をとり、エリカに鍛錬を付き合ってもらっていたのだ。
実践的な模擬戦。無手と、訓練用ナイフを用いたスパーリングを交互に行って、一時間ほど経過していた。
本日、何度目かの転倒。二年前から比べれば随分と腕をあげたはずなのに、師匠にあたるこの人にはまだ及ばないらしい。
「もういい時間です。シャワーでも浴びて、少し休憩にしましょう」
トレーニングウェアを着たエリカがそう提案する。気づけば、約束の時間である十時にだいぶ近づいていた。
オレはそれに同意した。オレはタオルで汗を拭くだけでもかまわなかったが、この後、喫茶店で接客にはいる彼女はそうはいかないだろう。実際に客が来るかはどうかとして。
互いに分かれてしばらくして、オレはエリカを地下フロアで待っていた。利用者などそうはいないだろうこの場所にも宇都宮によって、十分過ぎるほどに金をかけられており、シャワールーム、更衣室からなにまで、ちょっとしたトレーニングジムのよう。
「相変わらず早いですね。烏の行水ですか」
身体からうっすらと湯気をのぼらせて、エリカが戻ってくる。甘い香りが、こちらにまで匂う。
「汗を流すだけだしな、むしろそっちこそ、湯船もないのによく時間がかかるな」
「そういうデリカシーのないところ、本当に改善した方が良いですよ。大体、今朝だって何の連絡もなしに直前に呼びに来て。……こちらにも準備というものがあるのに」
珍しくわかりやすい不満顔で語る彼女。
「いや、だってあんたの家はここの上だろう。あんたなら起きてるだろうと思って。直接声をかけた方が早いし」
エリカの住処は、ジョーズと一宮探偵事務所の上階にある。
元々は千乃と同居する別宅があるらしいが今は、空いた時間の喫茶店での仕事と、千乃の仕事の補佐の兼ね合いで、いろいろと活動の融通の利くこのビルの一室を借りているとのこと。
「そういうところですよ、本当に」
「……悪かったよ」
「ええ、大いに反省してください。……それにしても、まともな拳の振り方も分からなかった頃から、随分と成長しましたね。もう、能力を使った戦闘になれば、私では相手にならないかもしれません」
「そんなことはないだろう、現にあんたは昨日のオレたちの戦闘を止めてみせた。能力者でも並みの奴じゃ出来ないことだ」
「千乃はあなたを育てて、側に雇うことにした、それが答えですよ。能力者の跋扈するこの時代に、私は少々時代遅れなんです。膂力に優れようと、銃すら霞む異能の前では。私たちの仕事にはどうしたって荒事が付き纏うので。だから、今日手合わせできたことで少し安心しました。きっと、あなたならこの世界で生きていける」
「それはあんたのおかげだ。あんたの鍛錬と教えのおかげだ」
およそ二年前、同じくこのトレーニングルームで、彼女に教えを受けるところからオレの能力者としての生活が始まった。
――――異能に頼ってはいけません。異能という強力な武器を持っているからこそ、それを操る者はもっと強靭でなくてはいけないのです。その為には異能が無くても戦える必要があります。そしてそれが出来るようになった時にはきっと、あなたは並みの能力者よりずっと強くなっている。
それが彼女の最初の教えだった。
言われた通り、オレには能力者と戦って勝ちを拾うまでの力が身に付いた。
「ええ、ですが私個人としては、あなたにはどうか引き返してほしかった、と言ったら、悠莉さんはどう思いますか?」
その問いに、空白が生まれた。
なぜそんなことを言うのか、オレにはまるで理解できなかったからだ。
その、切なくて、優しくて、儚げで、今にも壊れそうな表情の意味を理解できないからだ。
オレたちの関係なんて利用し、利用されるそれだけのものだ。
最初から決まっていたこと。
オレは復讐を果たすのに力が必要だった。彼女らは優秀な能力者を欲した。
こうした付き合いも、オレは強くなる為に、彼女らはオレという能力者を利用するために、ただそれだけのもののはず。
理解の出来ない言葉に、オレの返す言葉は一つしかなく。
「どういう意味だ?」
それを聞いたエリカは、目を瞑って仕方のないと表情で一度目を瞑り、目を開くとかすかに笑ってみせた。
「ええ。そう言うと思いました。きっと、今のあなたには想像も出来ないのでしょうね。ですが、覚えておいてください。世界のどこかにはあなたの亡くなった家族の他にも、あなたを大切に想う人がいるかもしれないということを。あなたが健やかに、幸せに生きることを願う人がいることを」
こんなにも綺麗な表情をオレははじめて見た。
そこまで言われれば、慈しみの込められたそれの意味が、全く理解できないわけじゃない。
二年も面倒をかけた人だ。
宇都宮、エリカ、千乃。三人の中でも、鍛錬を共にしたエリカとの時間は一番長く、濃密だったといっても良いだろう。別にプライベートな付き合いがあったわけでも、友人であるという訳でもないが、互いに、それなりに思うところがあってもおかしくない時間を過ごしてきた。
気を遣ってくれているのだ。彼女なりに。
でも、オレにはそれを受け取る権利がない。きっとオレは、復讐の為なら師にあたり、恩人とも言えるこの人さえ見捨てるだろう。
だから何にも答えることが出来なかった。
「さて、行きましょうか」
言葉を発せずにいたオレにエリカが促す。
「え?」
「早いですが、ジョーズに戻りましょう、朝食でも用意しましょうか。きっと、今日が山場でしょう。腹が減ってはなんとやらです」
「オレはありがたいけど、よく面倒ごとをやりたがるな」
「これくらい、大したことじゃありませんよ。余程手間のかかる主と十年はいましたので。寝起きは悪いし、食事は偏食家で、家事は未だに人任せだし、口も性格も悪いし、けれど容姿だけは超一級品の大物が」
「本当に、とんでもない探偵だ」
「ええ、手のかかるお嬢様です。あれで外見と能力は優秀なのだから手が付けられません」
普段の雰囲気に戻ったエリカを見て、内心安堵したのを感じる。一体全体、何にそんな安堵を覚えたのか分からないまま、オレは上階の喫茶店ジョーズへと向かった。
ジョーズに戻ってから十分ほど。エリカから朝食にとサンドイッチなど軽食を提供され、それを食べながら千乃の到着をオレは待っていた。すると、隣から声をかけられた。
「隣、大丈夫かな?」
声の主は、相田利家だった。人の良さそうな表情でこちらを見ている。
「ええ、大丈夫です」
探偵事務所の人間として見れば、彼は依頼主、顧客だ。千乃が言ったからという訳ではないが、相応の言葉遣いを選んで対応する。
「ありがとう。一宮探偵から進展があったと聞いてどうにも気が逸ってね、約束の時間より随分早く着いてしまったよ。働いていた頃も、大きな商談の前は落ち着かなくて、まあ、小心者なのさ」
自嘲気味に笑う彼。しかしその居住まいはとてもそんな風には見受けられず、落ち着いたものだ。
「仕事は辞めてしまったんですね」
「ああ、恥ずかしい話だけどね。元より、家庭を支える為にやっていたことだ。その支えるべきものが無くなってなお続ける理由もないよ。それになにより、やるべきことがある」
その、やるべきことについて、深く言及はしなかった。
以前話したときにも彼自身はその単語を一度も口にしなかったように思う。しかし、着こなしたジャケットの左側の内ポケットのわずかな膨らみが、彼が今日何を為すつもりなのかを雄弁に物語っていた。
「マスター、コーヒーを一ついただけるかな」
カウンターの向こうで、宇都宮が相田の注文に返事をする。
「見たところ、君も、そういう性質なのかな」
「ええ、まあ。あまり眠れないのもあります」
「そうか、私も娘を亡くしてからというものよく眠れなくてね。魘されて起きるのさ、まあ起きた先も悪夢みたいなものだがね」
痛いほど理解できた。しかし、あえて同意はしなかった。
他人に大切なものを失くしたこの気持ちを分かられたくなんかない。オレはそうだし、きっと彼もそうに違いなかった。
「おい、悠莉の奴、まともに敬語喋れんだな」
「丈さん、黙って仕事してください」
こそこそと話す宇都宮を尻目に、オレはカップに目をやって押し黙る。相田にかけてやる言葉は到底見つからなかった。
「だが、ようやく今日、悪夢から覚めることが出来るかもしれない。君たちには感謝をしてもし足りないくらいだよ。仕事も生活もあらゆる犠牲を払って、一年と半ば。ようやくここまでこれたのだから」
「もし――――」
あることを訊ねようとして、しかし、喫茶店内の扉の開いたことでそれは遮られた。
「ごきげんよう、彼らが今日の協力者だ」
入ってきたのは一宮千乃だ。その後ろには伊達と、黒髪をオールバックにしたその筋の人間らしくスーツを着こなした男。
「よお、悠莉。昨日ぶりだな」
伊達の気軽な挨拶に頷きで返す。
「相田さん。こちら今回の件で協力していただく、新塚義徳さん。新塚さん、こっちが私の依頼主の相田さん」
「よろしくお願いします」
相田は、筋者の新塚や伊達に怖気づくことなく挨拶を交わす。伊達は、相田の度胸に感心した表情を見せ、新塚もまた、変に取り繕わない彼に好印象を抱いた様子。
「こちらこそよろしくお願いしますよ、相田さん。話は聞いてる、それに、俺達にビビった様子もねえ、大した男だあんたは」
「じゃあ、ここからは二手に分かれましょう。悠莉くんと相田さん、伊達さんは、霧崎泉のもとへ。案内お願いできるんですよね?」
「ああ、今頃、向こうの事務所の連中にとっ捕まえられてるところだろうよ」
「そして私とエリカ、新塚さんは桜城会長のもとへ」
黙っていれば中々キマっている新塚がさきほどまでと打って変わって頭を抱えて頼りない声をあげる。
「あーマジおっかねえ。慎也、俺とお前担当変えねえ? 俺が霧崎の方に連れてくからよ、お前、屋敷の方案内頼むよー。俺昨日のお前の報告から胃が痛いの」
「あくまで戦闘要員の俺じゃ、会長は話を聞きもしねえよ」
「だよなあクッソー。だから能力者部門の目付役なんて嫌だったんだよ。分担してるとはいえ、どんだけウチに能力者居ると思ってんだよ」
「そんなこと言いながら、なんだかんだ上手い事やってきたのがあんたじゃねェか」
「確かに……チクショウ、やってやる、やってやるぞ俺は。そして成り上がる」
内輪で異様なテンションで盛り上がる彼に、流石の千乃も顔が固まっている。彼の言動に一抹の不安を覚えたようだ。
「伊達、あんたの上司は大丈夫なのか?」
「まあなんだ、追い込まれた時の発作みたいなもんだこれは。放っといてやってくれ」
千乃は咳ばらいをして、場の雰囲気を変える。
「相田さん。おそらくこれから貴方が会う相手が貴方の求めていた仇敵です。覚悟を。どうするかは相田さん次第です」
「……ええ」
相田の身に纏ったフォーマルなジャケットの、おそらく内ポケットに視線を向けて千乃は言った。右と左とでわずかな膨らみに違いがある。
「悠莉くん、よく見ておくのよ」
色んな意味を含んだ言葉と視線に、頷きで返す。きっと、この配置はその為なのだ。彼の行く末を見届けるさせるために、オレはこちらに回されたに違いない。
「じゃあ、状況開始と行きましょうか」
千乃の言葉と共に、喫茶店から二手に分かれる。店を出る直前、エリカから声をかけられた。
「お気をつけて」
「あんたもな。場合によってはそっちの方が危ない」
なにせ、彼女らが向かおうとしているのは暴力団組織の総本山。桜城会のその会長のもとだ。といっても、こちらもこちらで凶悪犯が相手だ。本当に一筋縄でいくかどうか。
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