第8話


 場は混乱に満ち満ちていた。

 人気の無い場所に連れてこられ、強姦されかけた日野。彼女をおびき出した柳田。彼女らは目まぐるしく変わる状況についていけていない様子で、かといって何か口を挟めるような状況でもなく、隅に追いやられている。

 柳田と日野、同じ場所で固まってはいるが加害者と被害者の二人の間には明確な距離がある。

 お互いの身の安全を喜ぶでもなく、視線すら合わせていない。

 あんなことがあっては当然か。

 柳田は自業自得だが、巻き込まれた日野は流石に気の毒に思う。

 オレにナイフを突き立てられそうになり、泡を吹いて倒れた不良集団のリーダー格らしき男、キトウ。

 オレが倒した、マツキ、アラタニ、シマという取り巻き。彼らを庇った能力者、伊達慎也。

 オレと伊達との対決に割って入った、一宮エリカと、一宮千乃。 


「オイオイ女ァ、男と男の勝負に水差すたあいい度胸じゃねえか」

「度胸が無ければこんな仕事できないんでね」


 伊達に、エリカにパラソルの先端を向けられた状態でも怖気た様子は無い。オレとて折角の能力者を狩る機会を止められたのだ。伊達と同じく、身体中の熱が急速に冷えていく不完全燃焼感に、少なからず苛立ちを感じていた。

 なぜ止めた、と視線でエリカに問いただす。

 それに対して返事は無く、万力のようにな力で捕まれた手首を締め付けられる。

 いつもながらに疑問だが、能力者でもないのに、一体その細腕のどこからこんな力が出てくるのか。


「俺とこの坊主の間に割って入った姉ちゃんの腕とアンタの面に免じて訳を聞いてやる! 美人が身を投げ出してまで止めに来たってんだ、聞いてやらなきゃ男が廃るってもんだ! だが納得がいかなきゃ……」

「いかなきゃ?」

「暴れる!」


 伊達はその場に胡坐をかいてぴょんと勢いよく座り込む。


「ほら、あなたも」


 伊達が戦闘態勢を解いたのを見て、オレにも引き下がるよう、エリカが静かに促す。意識を切り替えるように、能力者からただの人間へ。戻る際には、端末側の操作は必要としない。

 全身を巡る熱が引き、左手から刻印が消え失せる。


「分かったから、放してくれ」

「よくできました」


 聞き分けのない子供に向けるような言葉だ。


「よしてくれ、馬鹿にしてるのか」

「当然です。相手が能力者と見るやいなや、加減も仕事も忘れて闘いに走るのを馬鹿と言わずなんと呼ぶんですか。彼が相応の腕の持ち主でなければ、絶命していたところですよ」

「その通りだよ悠莉くん。折角の手掛かりの一つを失うところだったじゃない。向こうからわざわざ出向いてくれたのに」


 二人に畳みかけられ、反論も許されない。


「あァ、そりゃどういうこった? 俺はここら辺で悪さしてるっつー野郎共を探して心当たりある悪ガキのたまり場回ってただけだぜ。ここは俺が昔、阿呆共集めて使ってた場所だから来ただけだ。わざわざ出向いてやったつもりはねーよ」

「その悪さってのは、最近発生してる失踪事件のことであってる?」

「ほう?」

「私たちもその犯人を捜しているの。それにしても我々はツイてるね」


 千乃は倒れる不良達から都合四つの携帯を抜き取り、操作する。そして、キトウの携帯の画面を見て手を止める。


「伊達さん。あなたも運がいい、あなたが追っている相手はこのチンピラ達よ」


 千乃から座り込む伊達へ、空いた三つの内、携帯が一つ手渡される。渡された端末を確認する伊達。その表情にはこちらでも窺える静かな怒り。命を賭けた戦闘でさえ獰猛な笑みを浮かべてどこか楽しんでいるようだった伊達。それとは打って変わって真剣な表情で画面上に指を滑らせる。


「クソが! 胸糞悪いことしやがって」


 一通り確認し終えると、端末をこちらに放り投げる。

 受け取り、画面を見ると大量の画像が入った写真のフォルダが開かれていた。

 中に入っていたのは、今回オレが介入したことで未遂で終わった事件。おそらく今日、日野が遭うはずだったものを体験させられた被害者たちの画像だった。

 フローラル系の香りがかすかに匂う。肩の後ろエリカがひょっこり顔を出して画面を覗いていた。


「あんたは見ない方がいい」


 とてもじゃないが、女性が見て気分のいいものではない。

 いや、ここまで酷いとオレでもキツイものがある。

 日野を除いた四ヶ月分の被害者達の画像。最初の比較的健康な状態から、暴行などにより衰弱していく様子が何枚にも分けられて撮影されている。

 おそらく、彼女たちが毎月失踪しているという女性たちなのだろう。

 相田千沙のように遺体が発見されたという情報は無いらしいが、同じ顛末を辿っている可能性の方が高そうだ。

 こんなものを保存して持ち歩くとは、その行動の馬鹿さ加減にも呆れるが、趣味が悪いにもほどがある。

 咄嗟に視界にいれないようにしたオレの行動も虚しく彼女は画面を直視する。


「大丈夫です。こういうのには、慣れていますので」


 仕事柄、ということだろうか。千乃の従者であり、相棒でもある彼女はオレ以上に修羅場を潜ってきているのは間違いない。

 画面を見つめる彼女の表情は、冷静そのものに見える。

 無機質で、無表情。エリカは普段から表情の変化に乏しく、感情が読み取りにくい。

「相田千沙の件から一度は鳴りを潜めていたようだけど、懲りずにまた始めたってところね。証拠に、この端末には他の三人の端末には無い相田千沙が殺害される以前の記録がある。あとは……彼らを使っている人間が誰かってとこだけど……」


 千乃が持つキトウの携帯。そこには、相田千沙の生前の記録も残されているのだろう。


「このご時世に不用心よねえ、パスコードすらかけてないとか頭が弱すぎる……霧崎泉って知ってるかしら? 通話記録に残ってる」

「霧崎泉だと!? ……そうかそうかい、あの野郎かい。上に拾ってもらった恩も忘れやがって過去のオタノシミをまたおっぱじめやがったて訳か。昔については問い質さねえのがウチのキマリだが、こんな事やってやがったとはな。顔を合わせた回数は多くはねえが、道理でウマが合わねえわけだ」

「では、この霧崎は、あなたと同じ桜城会の人間ということかしら?」

「……ちょっと待て。俺が桜城会の人間とは言ってねえぞ」

「一目瞭然よ。その目立ちすぎる出で立ちに、能力者。そんな恰好で活動しているのはあなた方くらいよ、本家の人間か、傘下の団体の者かまでは分からないけれど、こうしてこの現場に単独で来ているのを見るに、本家側に近い人間の指示下にあるのは確かね」

「は。なるほど目端が利く姉ちゃんだ。しかし、つまりよお、これじゃあ俺が日中からせこせこ歩き回ってやろうとしてたのは、街の治安維持どころか……」

「霧崎のやらかした不始末の処理、揉み消しって言ったところかしら。あくまで調査という体をとって、以前のように事件が表面化する前にあなたを使って発覚、止めさせようとしたんでしょう。把握してないにしては遣いを送るタイミングが良すぎるわ。おそらく上の、少なくともトップの人間はこの所業を把握してるわね」


 伊達が立ち上がる。


「こりゃ一度報告に戻らねェとな。このクソ野郎どもにも話があるしよ。悪かったな、因縁つけちまってよ」

「その点に関してはこの不出来な助手も悪いよ。口より先に剣が出る未熟者よ、話し合う気配すら見せないで戦いおってこのー」

「ハ、どうやら似たモン同士らしいな、大人しそうな面しやがって。だが、体張って無関係の女を守るたァ任侠だ、俺は気に入ったぜガキ。名乗りやがれ」

「……久良悠莉」

「良い名前だ、しかと覚えたぜ。……それにしても変わっちまったもんだ。俺らの頃もこんなところを縄張りにするようなのは悪ガキの集団に変わりはなかったが、少なくとも下種野郎じゃあなかった」


 倒れる不良達と、寂れた建物を見渡して伊達は言う。憐れみと無念、そして寂しさの入り混じった目は、どこまでも真っ直ぐだった。


「周りの人間からすればどっちも大差ない。それはあんたらの都合だ」

「まあ、そうかもな」

「本来ならそちらの内輪の出来事だからお任せしたい霧崎泉の処遇なんだけど、今回はそうはいかないわ、こちらにも依頼がある。そこで伊達さん、一つお願いがあるんだけどいいかしら」

「俺にか?」

「“一宮”が貸しを返してもらいたいって。そちらの『桜城会』会長さんに伝えてもらえるかしら?」

 千乃の言葉を受けて、伊達の表情が驚愕に変わる。


「オイオイ別嬪さんよお、あんたナニモンなんだよ」


 伊達の言葉に、用意していたように彼女は不敵な笑みを浮かべて、どこかで聞いたような台詞を切り返す。


「一宮千乃。異能専門の諮問探偵よ」

 




 

 太陽は完全にその姿を隠し、空には月が見えている。 

 千乃達と柳田を残してオレは一足先に帰路につくことになった。もう新手はいないとは思うが、夜道ということもあり、念のため日野を駅まで送ることになった。

 建物内の日常から隔離された空気から解放され、いくらか元気の戻ったように見える日野に対して、思い浮かぶのは、伊達との話の後にあの不良集団の残した画像を見て血の気の失せた柳田。

 柳田の方はだいぶショックを受けているようだった。

 この五か月間、日野に対しては未遂として、計四人の被害者に対して、その場での多少の暴力行為と強引な性交渉は彼らと共に行っていたようだが、その後の被害者の状況までは知らなかったようだ。

 彼らが言っていた、持ち帰りのその後までは。

 あの凄惨な画像を見て、彼がどう感じたかは表情からも察せられるところ。

 おそらく嘘は言ってはいない。

 それに、あれだけの事をして何食わぬ顔で日常を過ごす度胸は柳田にはない。さっきの現場で、仮にも仲間がやられているのに、オレに拳を向けることすら出来なかったあいつには。

 とはいえ、加害者側の人間ではある。

 やった内容は十分に犯罪だし、罪に問われるべきものだ。

 警察に突き出すのか、あるいは見逃してやるのか、どういう対処を下すのかは、千乃次第と言ったところだろうか。

 おそらく、探偵ではなく機関の人間として、何らかの動きを起こすはずだ。

 日野もまた、本人には忠告のみで詳しく伝えてはいないが、機関の監視下に置かれることになる。

 今日見た情報の漏洩を起こせば、今までのような生活を送れなくなるだろう。完全な被害者だが、知ってしまった以上は仕方ない。

 彼女の口の堅さを祈るのみだ。

 他の四人については許されるはずもなく、伊達と強面の仲間達に連れていかれたが。

 オレと日野の間柄を思えば当然だが、互いに言葉を交わすことも無く、駅までの道も半ばあたりまで来たところ。

 沈黙に耐えられなかったのか、なにか思うところがあったのか、日野が口を開く。


「今日は、その……ありがと。助けてくれて」

「仕事のついでだ。気にしなくていい」

「気にするっての! あんたが来なきゃ私もう少しで……ッ。あーもう嫌なこと思い出したじゃん」


 嫌なこと、というのは件の画像の事だろう。ともすれば、彼女もまた、あの被害者達と同じ目に遭っていたのかもしれないかったのだ。

 悪いことをしたとは思うが、不可抗力だ。思い出させようとした訳ではない。

 その嫌な想像を振り払うように、日野は顔を左右に振る。


「てゆーか、女の子があんな目に遭ったの後なのに、もう少しなんか無いワケ?」

「なんかって?」

「もっとこう……慰めたり、優しくしてくれてもいいじゃん。自分で言うのもあれだけど私クラスじゃ可愛いほうだと思うし」


 日野の言う通り自分で言うことではないが、彼女は確かにクラス内では上位に位置する容姿だとは思う。伊達にカースト上位グループに所属してはいない。不良、ギャルっぽい雰囲気が合うかどうかだと思う。

 教室では取り巻きの連中含めて近寄りがたさが、というより近寄りたくなさがある。色んな意味で一般生徒には言い寄りにくい女子と言えるだろう。


「黙らないで何かコメントちょうだいよ、滑ったみたいじゃん……ってゆーか、久良は一宮先輩やあのキレーな人といるんだもんね……クラスじゃぼっちの陰キャの癖に」

「……」


 陰キャにぼっち。

 自覚はあるが、他人から直接言われると中々に苛立つな。

 オレは、無言で足早に歩く。


「あ、怒った? ゴメンって。てゆーか歩くの速っ!? ちょっと待ってよー。……痛ッ」


 怪我をした箇所が痛むのか、小さな悲鳴と共に、追いかけようとする足音が小さくなる。

 そういうのをされると立ち去りづらい。演技なら大したものだ。

 仕方なくため息をついて歩く速度を落とす。日野が隣に来るまでゆっくり歩きながら待つ。


「……怒ってない」

「それ怒ってる人が言うやつじゃん」


 じゃあ、なんと言えばいいんだ。

 弁解するのも馬鹿らしく、日野に合わせた速度で歩いてはやるものの、オレは口を閉ざす。

 その行動に気分を良くしたのか、日野は話し続ける。


「……異能力ってヤツ? けっこー昔だけど、一時ネットでも話題になってたよね。小学生のころ、その手の動画見るの流行ってたなあ。皆CGだー合成だーとか言って信じてなかったし、すぐに聞かなくなったしデマだと思ってたけどホントにいるんだね。この目で見たのに信じられない」

「忠告されたと思うが、周りに言い触らすなよ。……お前の為にもな」

「言い触らさないし、てゆーか言っても信じてもらえないでしょきっと。一宮先輩や久良があんな事に関わってるのとか、ちょーのうりょくがホントにあって、久良がそれを使えるとか。そんなこと言ったら、変人扱いされちゃうよ」

「まあ、そうだな」

「それに、恩人に仇で返すみたいなことはしたくないし」

「そうか」

「……久良ってめっちゃ強いよね。四人もあっという間に倒しちゃって、あきらかヤバそうな人にも負けてなかったし。きっとクラスで喧嘩したら久良が一番だ」


 その場で拳を作って振るってみせる。お世辞にもサマになってるとは言えないシャドーだ。


「かもな」

「なんか学校と雰囲気違うよね。喋り方もさ。こっちが本当の久良?」

「……どうだろうな」


 その疑問は日野にとってはおそらく何気ないものだったのだろうが、オレにとっても答えのない質問だった。

 本当のオレとはどれを指す。

 今の、能力者として復讐に生きる久良悠莉。以前の、ごく普通の生活を送っていたころの久良悠莉。両者では人との接し方からものの考え方まで、まるで違う。

 一体どちらがが本当のオレなのだろうか。

 仮に家族が生き返ったとしたら、とてもじゃないが今のオレは見せられない。

 厭世的で社交性もなくただ暴力を振るうことが得意なオレを、それでも両親は、妹はかつてと変わらぬ愛情を注いでくれるのだろうか。

 少し間をおいて、あり得ない仮定だと切り捨てる。

 失ったからこそ、もういないからこそ、今のオレが必要なのだ。


「ごめんね。今日学校で酷いこと言って。ううん、今日だけじゃなくいつも。皆に混じって久良の悪口言ったこと、何度もある。ホントごめん」


 それは夜道を歩く中、日野の中でずっと引っかかっていた感情なのだろう。

 普段のオレの学校での立場を考えれば、オレは何を言われたって仕方のない人間だ。クラスのカースト上位の人間が陰口を叩けば、それに乗っかるのが常道。

 教室内の空気に逆らってまでオレを庇うような動機を日野は、というよりクラス内の誰も持ち合わせてはいなかったし、動機もなく守るような聖人も、少なくともあのクラスにはいない。

 カースト上位の人間と、最底辺の人間。本来ならこうして並んで歩いて会話をすることさえあり得ない関係だ。

 今日の件で、学校でオレを無碍に扱いにくいと感じるかもしれない。そうしないことで彼女の今の立場も危ぶまれるかもしれない。

 日野の中で、消化しにくい感情が渦巻いているのだろう。

 クラスメイトの悪意ある言動で彼女が懸念するような思いをオレが抱くことはない。今回のことを恩着せがましくするつもりもない。


「いいよ、別に気にしてない」

「でも……」

「今日あったことは忘れれば良いよ。柳田と日野の関係はオレにはどうにもできないけど、オレと日野の間には何も無かった、それでいいんだ。明日からもいつも通り、根暗の久良として扱ってくれていい。その方が日野の為だ。今日のことを恩に感じて変に庇ったり、気を遣わなくていいんだ」


 学校での口調に戻す。なるべく彼女の気分を害さないよう、柔らかい口調を意識して伝える。


「気を遣うって……そういうことじゃないじゃん。それに……その喋り方……」


 ずっと前を見て歩いていたが、ふと横目に日野を見ると彼女は少し不貞腐れたような表情だった。

 彼女も考え込むように黙りこみ、オレから話すことも無くそれきりで会話は止まる。

 しばらく歩くと、駅に着いた。

 ぽつぽつと人のいるホームで待っていると、間も無くして彼女の待つ列車が来た。

 これでオレの役目も御免だ。


「じゃあ、気をつけてな」


 今日一日を通して、どこかで日野を心配する気持ちが働いたのか、背を向けて車両に向かう彼女に自然と声をかけていた。

 それを受けた日野は短く返事をして車両に乗り込もうとして足を止める。こちらに振り返り、ジト目で怒ったようなむすっとした表情でこちらに指さした。


「てゆーか、忘れるとかムリだから! また学校で! じゃね」


 ぴょんと跳ねるようにして日野は車両の中に消えていく。

 日野はどこか吹っ切れたようだった。

 彼女を乗せた列車を見送ってからオレは一つミスを犯したことに気づく。

 帰り道、日野の乗った列車と同じだった。

 ため息を吐いて、中空を見つめる。

 日野風に言うと、こんな感じだろうか。

 てゆーか、乗り損ねた。


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