第7話

「どうやら間に合ったみたいだな」


 マツキとやらを昏倒させ、背後の日野を一瞥する。

 怯えているが酷な暴力や行為の形跡はほぼ無い。日野の衣服や目に見える部分に目立った傷などはないように見えた。少し汚れた衣服の腹部の辺りを見るに、数度蹴られるくらいはしたかもしれないが大事は無さそうだ。

 二人の尾行中、車によって連れ去られたのを見たときは失踪事件や相田千沙の件も考えると最悪の場合も考えたが、それに比べたら無事といっても差し支えない状態だろう。

 一宮千乃の予想は見事に的中していたといわけだ。

 信じられないものを見るような目でオレを力なく見上げる日野。

「なんで……」

 彼女の疑問は当然だろう。だが、説明してやる義理は無い。


「立てるか?」

「……うん」

「ならいい、歩けるなら下がっていろ」


 クラス内でカースト下位のオレに言われたのが気にくわないのか、少しむっとした表情になる日野。

 先ほどまでの生気の失せた表情に比べれば、今の方がいくらかマシに見える。プライドというのは人を気丈にさせるものだ。

 普段下に見ている人間に無碍に扱われて奮起する元気があるなら上々。

 この様子なら、怖くて動けないなど面倒なことは言わないだろう。そんなことを考えていると背後の彼女から意外な言葉が飛び出した。


「三対一だよ、大丈夫なの?」

「安心しろ、このくらいの相手には負けない」


 彼女から見れば大言を吐いているように見えるのだろうか。えー、と半目で訝しむような表情をする日野。

 だが、自分に出来ることは何も無い事を理解しているのか、オレ達から大人しく距離を取る。


「マツキの糞が。こんなガキに一撃でのされやがって。つうかどっから来やがったんだコイツ」

「ていうか、こいつの制服、アツシのところのじゃねえか! アツシ、テメエ場所吐いたんじゃねえだろうなあ!」

「誰にも吐いてませんよ! 勘弁してくださいって! なんでお前がここに……」

「まあいい、見られちまったからには帰すわけにはいかねえ。女の子を助けてヒーローにでもなったつもりなんだろうが、後悔するぜ兄ちゃん」

「じゃあ、後悔させてみろよ」

「舐めやがってこのクソガキが!」


 柳田を除く三人の男のうち、最も体格の良い男、キトウを残して二人がオレへと向かってくる。シマとアラタニだったか。

 動きを見るに、何か武術を齧ってるような雰囲気はない。だが、暴力に対して一切の躊躇は無く人を殴り慣れていることは分かる。

 この男達は、相手がどんな状態になろうとも平気で殴る蹴るが出来る者たちだ。

 他人を傷つける行為を、一切の手加減なくやるのは以外に難しいものだ。特に自分たちの行為が相手を死に至らしめる可能性を孕むような場合には。

 彼らは、その段階は超えている。無意識の力のセーブが働かなくなる程度には慣れている。

 だが、それだけだ。

 多少喧嘩慣れはしているだろうが、それは自分と対等以上の技術を持つ者とではなく、多くは格下、日野のような女だったり、体格や数で劣る者たちを痛めつけるのがほとんどなのだろう。

 そんな奴に負けるほど、オレの二年はヤワじゃない。

 先頭を走るアラタニが突き出す拳をオレは絡めとり、懐に寄せて拳を裏返す。その腕を膝蹴りで逆側に圧し折った。ありえない方向に折れた男は壮絶な悲鳴をあげてその場でうずくまろうとする。膝を折って蹲る彼の頭が丁度良い高さに降りてきたところを蹴りでなぎ倒す。

 横なって派手な音をたてて倒れる一人目の男、アラタニから間髪入れずに、シマが迫る。細目の彼の手にはナイフが握られていた。

 それを振り下ろすより先にこちらから踏み込み、右手首を両腕で絡ませて抑え、相手の背中側へと強引に捻じる。ナイフを握る力が緩んだところですかさず奪い取り、その柄で後頭部を裏拳の要領で叩きつける。

 時間としては十秒にも満たない。

 それで二人倒れた。最初に倒したマツキも合わせればこれで三人。

 特に向かってくる様子の無い柳田を数から外せば、残りは一人だ。


「何者だよこいつ!」


 そして三人目。柳田の前に立つ、瞬く間に倒される仲間を見て悲鳴じみた声をあげるキトウの喉首に向けて、奪い取ったナイフを寸止めを狙って突く。

 しかし、その刃が届くことはなく、第三者の介入によって防がれた。


「ヒィ!」


 キトウと俺の間に割って入ったソレは、右の手の平でナイフを防ぎ、その上、刃を欠けさせた。


「おいガキ、急所に刃物突き立てようなんざあ危ねェじゃあねえか!」

 威勢よく飛び込んで来たその男の頭髪は燃えるような赤。口調からもその気性の粗さが垣間見えるグラサン男は、こちらを睨みつける。わずかな隙間から覗いた瞳を見ただけで、さきほどまでの不良達とは勝手が違うことを瞬時に把握する。


「久々に古巣に様子を見に来てみりゃ四人がかりで負けてる情けねえ野郎共に、目の前にはそれを独りで転がしたガキ。面白ェガキだ。この伊達慎也がこいつらに代わって相手になってやろうじゃあねェか」


 派手な見た目の男は、芝居がかった名乗りをあげる。先ほどまでと毛色の違う相手を前に正直困惑する。

 だが、油断は出来ない。

 突き立てたナイフの刃が逆に欠け折れるほど異様に硬質化した男の右手。

 空いた手には携帯端末が握られ、その手の甲には異様な文様が刻印されて青白い輝きを放っている。

 起動したのか。

 つまり、伊達慎也と名乗る目の前の男は――――。


「能力者か」


 即座に距離を取り、携帯を取り出す。

 そしてゲームアプリを起動させる。その名はナイアーズゲーム。

 もはや手慣れた起動はわざわざ画面を目視するまでも無い。

 起動と同時に端末の画面は暗転し、左の手の甲に、熱量を伴って目前の男と同様のものが発生する。

 能力者と呼ばれる者たちは、平時にはただの人間でしかない。彼らが能力者となるためにはこのアプリの起動が前提となる。

 その起動をもってして、異能を操る能力者へと変化、あるいは進化する。

 自身が能力者へと成った感覚を受けて、携帯を仕舞い、有事の為にとベルトに下げてきた短剣を引き抜く。


「そういうオメエもなァ! どこの犬か知らねえが、能力者そういうことなら遠慮しねェぞオイ!」


 叫びととも猪突猛進する伊達の走行速度は、陸上のオリンピック選手をも超えている。能力者化に伴って極度に増強された運動能力は、常人の比ではない。

 ロケットスタートを切った彼は瞬く間に彼我の距離を詰める。

 ただ真っ直ぐに突っ込み、単調に打ち込む右ストレート。しかし、その拳はプロボクサーのハンドスピードを大きく上回っている。常人には到底見切ることが不可能な拳撃。だが、運動能力が引き上げられているのはこちらも同じ。

 奴の鋭い右拳を紙一重で躱す。


「今のを躱すか。良い動きじゃねえか! ほら、いくぞオラオラァ!」


 単発で攻撃が止まることはない。

 左右、右左とテンポよく放たれる強烈なワンツー。こちらの回避を読むように置かれる左ジャブとフック。

 その練度は素人が少し練習した程度のものには思えない。

 躱した空間を切り裂く風切り音から察する人外のハンドスピードと先ほど目の当たりにした異様な硬度の手。組み合わさった威力はもはやなんの比喩でもなく大砲そのもの。

 もし体重の乗った一撃をクリーンヒットで貰えば、身体に大きな風穴が空くであろうことが容易に想像できる。

 だが、拳の届く範囲のみが奴の射程。

 威力と精度を併せ持ち脅威ではあるが、所詮は拳だ。距離をとってしまえば怖くはない。

 つかず離れずの距離感で、ギリギリ拳を躱していたオレは、一度、バックステップで大きく後退する。


「くっ」


 その安易な一手を敵は見逃さない。


「馬鹿野郎が、日和りやがったな!」


 こちらの能力が分からないうちに、自身の射程から逃れられるのを避けたがったのであろう伊達は、その動きに追従し、右拳を構える。


「ハ、その首貰ったァ!」


 敵の前進はオレの後退の速度を上回り、離すどころか、逆に距離を詰められる。苦し紛れの後退この一手のミスを見逃すほど敵は甘くはない。

 この踏み込み、距離感、体勢から回避は困難。拳の届く限界地点の間合いを取っていた先と違いこのクロスレンジは必中距離。

 ボディを狙えば間違いなく奴の拳はこちらに届くだろう。伊達の顔も、それを確信していた。

 だが――――狙い通り。

 本来なら、後ろに跳んだオレとそれを追う奴なら追いつかれるのは必然だ。安易な後退はそのまま死を意味する。プレッシャーによってオレはそれを選ばされたように奴には見えただろう。

 迫る巨砲が如き、一打。貫かれれば無事では済まない。


「あ?」


 しかし。

 伊達の拳は虚空を切り裂き、オレを捉えることはない。

 何故か。

 単純に、奴の背後に回り込んだからだ。

 それを許した奴の目が節穴なわけでも、ましてノロマというわけではない。

 強いて言うなら――――オレが速すぎるだけだ。 

 能力を発動した。視界内かつ射程内の任意の位置に瞬間移動と見紛うほどの超高速移動を可能とする異能。それがオレの能力者として行使する異能だ。

 奴の目には、オレの姿など幻が如く消え去ったように映ったはずだ。どれだけ身体能力や反射神経が優れようが関係ない。その迅さは人の目で追える類のものではない。

 だが、敵もまた兵だった。

 おそらく一度は完全に見失ったはずだ。

 伊達はしかし、背後のオレの存在を察知してみせた。


「な――――にィ……ッ!?」

「オレの勝ちだ」


 見失いながらも地面に映る影にすぐさま反応したのか。

 大したものだ。

 だが、気づいたところでもう遅い。

 伊達は渾身の一撃を空ぶったことによるわずかな硬直。反してこちらは完全に背後をとっており、攻撃態勢。

 お前が何か行動を起こすより先にこちらの短剣で首を掻き切る。オレを、最後に視界に捉えることすら出来ない。身を翻して振り切った短剣はうなじから奴の首を容易く切断し、この対決は終着。

 慈悲無く振り下ろす刃。

 それで終わり――――のはずだった。

 しかし肉を断つ感覚はなく、ギン、とけたたましい金属音が響く。

 同時に短剣を握っていた手に痺れが襲う。


「――――ッ!?」

「あァ――――?」


 まさか。

 奴の首は未だ繋がっており、その首はさきほどの奴の手と同じように硬質化していた。

 黒い短剣はその刃をわずかに綻ばせ、硬化した首に受け止められ、斬断するには至らず。

 硬質化が間に合ったのまでは理解が届く。

 立場が逆ならば同じように背後に回りこまれ、不意をうたれたとしてもオレもまた能力発動を間に合わせるだけの猶予はあっただろう。

 奴の腕ならそれくらいのことをやってのけるのは想定内だ。

 異能の範囲が手だけではなく、他の部位に及ぶ可能性があることも当然考えていた。

 しかし。

 驚くべきは奴の異能――おそらく、自身の身体を硬化させる能力――のその人智を超えた硬度。

 この短剣は異能で編まれたもの。

 さきほど奴が受け止め刀身ごと折って見せた安物ナイフとは比にならない逸品。世に出回る名刀名剣など凌駕している言っても過言ではない。

 斬鉄剣の名を欲しいままとした、現存するこの世のいかなる加工物、鉱物を使っても再現不可能とされる、宇都宮丈の異能によって鍛造された刀剣だ。

 そんな宇都宮製の中でも指折りに力を込められて造られたオレの短剣は、おそらく、一般的なサラリーマンが生涯かけてようやく稼げる総額に等しい値段で取引される程の作品。

 人の一生にすら届く価値の一太刀。

 文字通り鉄すら両断し、斬れぬものなどないとされたそれ。

 よもや防げるはずもないというのがオレの考えで、信用していた。

 故にオレは不可避の一撃を放つだけ。

 一撃のもとに葬り去る。 

 狙い通り、硬化は間に合っても、回避は不可能な状況を生み出した。

 しかし、伊達はその致死の一撃を防いでみせた。

 つまりヤツは斬鉄の称号を冠するこの剣を凌駕する硬度をもっているのか。


「聞こえねえなあ、誰の勝ちだってェ!? 食らいやがれやオラァ、天上破りィ!!」

「くっ」


 振り返りざまに放たれる出鱈目なアッパーカット。

 唸りを上げる拳。

 天高く突き上げられるそれをなんとか身体を逸らして避ける。もし今のがオレの顔面を捉えていたらどうなっていたのやら。

 その威力を想像するにおぞましいレベルの轟音。

 凄まじい一撃に、背筋が冷たくなるのを感じながら後退する。さきほどのように罠を仕掛けたわけではなく、仕切り直しを余儀なくされた形だ。

 流石に振り返りながらの全霊のアッパーの後に、逃げるオレを追うことは伊達も出来ないようで、お互いの攻撃範囲から一旦出ることとなる。


「おもしれェ能力だな、超高速の移動か。だが今ので確信したぜ、オメエにこの俺様の装甲をぶち抜く火力はねェってなあ!」


 奴の言う通りこちらの攻撃も正攻法では通らない。現状オレから出せる最強の一撃は、宇都宮の短剣による斬撃だ。これ以上のものは無い。

 フェイントを駆使して奴の硬化した部位を避けて斬るか。

 全身の硬化も可能かもしれないが、今までにやってきていないということはおそらく何らかの制限やデメリットがあるはず。

 あるいは、燃料切れを狙う。

 瞬きほどの時間の思考を終え、短剣を構える。

 ヤツもまた、両腕、両拳を硬質化させ、フットワークの軽やかなステップを刻んで、アウトボクサーのスタイルで構える。

 奴はオレが対峙した能力者の中で最も強い。

 能力者となって、四人。

 四人オレは殺めた。いずれもオレと同じ能力者だ。桜城会という暴力団組織に所属する、紛れもない悪人どもだったが、その実力は正直拍子抜けだった。

 以前の依頼で始末した四人は異能を手にしていただけだ。それに頼り切りの彼らは驚くほどあっさりと始末できた。

 思えば、俺が手を下した四人はその組織、桜城会から見捨てられるような程度の低い奴らだったんじゃないだろうか。

 まさか世間の裏で暗躍する能力者がみなあの程度ではあるまいと思っていたが、現在、対峙する男を見て確信に変わった。

 そして、そのことに少し安堵する自分がいるのだ。

 オレの人生を懸けて果たす復讐の相手が今まで相手してきたような雑魚ではこの怒りの収まりがつかない。

 目前に立ち塞がる強敵を前に、口元がわずかに緩んだような気がする。

 もうオレは過去のオレではない。

 ただ、漠然と周囲に流されて生きているだけの弱いままの自分ではない。力を手に入れて、強くなる。

 全てを失ったからこそ、憎しみを糧に力を得た。全てを奪われてはじめて、怠惰でいて温かく穏やかな、そんな小さくて弱い世界の殻を破ることが出来た。

 正体不明のゲームアプリを起動し、能力者へとなれたのだから。

 ――――能力者なんてものを生み出すイカれた遊戯。このナイアーズゲームは、まだ始まったばかりだ。


「なんだよその笑みは。ずいぶんと楽しそうじゃねェか! えェ! そんな顔見ちまうとよォ、こっちも血がぐつぐつと沸騰しちまうじゃあねェか!」」

「ほざけ。笑ってなんかいるものか」


 目の前の強者を倒すことで、オレはまた一つ自身の強さを証明する。

 いずれ、この手から大切なモノを奪った奴に復讐する。

 名前も顔も知らないクソ野郎。あんたには憎しみしか感じないが、復讐の機会をオレに寄越してくれた、その点だけは感謝をくれてやろう。

 刃を振り下ろすその時に、あの場に居なかったオレだけを残したことを後悔させてやる。

 そうすることでのみ、オレは報われるのだから。

 この復讐の彼方に、報われるに違いないのだから。

 そう生きなければ、なんで自分だけが生き残ってしまったのか分からないから。

 その為にも、まずは目の前の兵であるこの男を斃す。

 血液が沸騰するような熱を帯び、意識は加速する。

 両者飛び出し、お互いの剣と拳がぶつかる間合いに入る、その刹那――――。


「はいストーップ! 止まらないとウチのメイドが容赦しないよ」


 ――――またしても第三者の介入にて、闘いは中断される。

 向かい合っていた伊達との間に、一人の女性が降り立った。片手でオレの短剣をもった手首を押さえ、対峙していた伊達には改造された特殊パラソルの先端を顔面へと向けて。

 喫茶店ジョーズの従業員であり、オレの師であり、一宮千乃の従者でもある、一宮エリカが立っていた。

 そしてその傍らには声の主たる、一宮千乃が不敵な笑みを浮かべて、改めて宣言した。


「この勝負は私、一宮千乃が預かるわ!」



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