第6話



 日野燈花という少女がいる。久良悠莉の通う高校のクラスメイトである彼女は、クラス内でもトップカーストに所属する人間だ。

 現在では、不良じみた派手目なグループの人間として日々を過ごしている彼女だが、その実、中学生まではカーストの中間に位置する人間だった。

 所謂、高校デビューが成功したのである。

 彼女の自宅から高校までの距離は遠い。わざわざ遠い高校に通うことにした理由は、学力からではなく、自分を知っている人の少ない学校に通うためだった。

 彼女は、元々はあまりコミュニケーション能力に長けた人物ではなかった。

 しかし、容姿には優れていたので、カースト上位陣には疎まれ、カースト下位からは嫉妬の対象と、女子の悪意の板挟みにある生徒だった。

 いじめとまではいかないものの、相応の嫌がらせを受けて、中学時代を肩身の狭い思いをして、少ない友人を頼りに生き延びてきた人種だった。

 例えば、彼女を気に入ったカースト上位の男子生徒が彼女に告白したとする。それを受け入れれば男を味方にするために媚を売っていると蔑まれ、かといって振れば生意気と中傷される。

 そんな苦い経験の数々は彼女を変えた。

 周りに何も口出しされないような、強力な立場を求めるため、彼女は自身を磨くことに全霊をかけた。

 みずからの容姿に磨きをかけるよう高いメイク技術を身に着け、周りに舐められないよう髪を染めたり制服の着こなしを変えて、ギャルっぽい見た目を取り繕った。

 行動や性格も、彼女の中学時代に知る、カースト上位の女子たちを倣った。

 そしてこれがハマった。

 高校一年、自らと同じように容姿の良い女子たちに接触し、見事カースト上位へと食い込んだ彼女は、学級内の女子たちの代表の立場にまでなりあがり、彼女のクラス内での発言権は非常に強いものとなった。

 中でも、柳田篤を含んだ三人組と月山澪と仲良くなることで、口出しする外野は消え、まさしく順風満帆の日々を送っていた。

 かつての彼女を知る者がいれば、現在の彼女にはさぞ驚くことだろう。

 高校当初、仮初でしかなかった仮面は一年以上の歳月を経て、すっかりと彼女自身の顔になっており、演じるといった感覚は彼女の中から消えていた。

 だが、現在。

 その仮面がまさに剥がされようとしていた。

 場所は、高校からいくつも駅を跨いだとある町の一区画。今は稼働していない廃棄された工場。

 彼女の眼前に群れる者たちのような人間には、格好の遊び場。

 彼らは、不気味で下品な笑みを浮かべて日野を囲んでいた。その中には、彼らのような笑みを浮かべてはいないものの、複雑な表情の柳田も含まれていた。

 現在、日野燈花は誘拐されていた。

 困惑する事態の中で日野は少し前の出来事を思い出す。

 いつものメンバーでボーリングを終えた帰りだった。柳田から、グループの集まりとは別に、メールアプリを通して誘いが来たのだ。

 目敏い日野はこれをチャンスと見た。

 グループが出来上がっているなかで、異性間で内密な呼び出しなど、およそ理由は限られている。その中の一つの可能性として、告白が頭の中に浮かんだのだ。

 もし考えた通りなら、この出来事は学校内での日野燈花のステータスを補強するイベントになりえる、彼女はそこまでを想定して柳田の誘いに乗った次第。

 事実、学年でも人気のある男子の柳田から好かれたとあれば、彼女の評価も相対的に鰻登りだ。

 今はかつてのようにそのことを、不当に恨みを受けて、嫌がらせを受ける立場でもない。やられたら倍返しに出来る自信がある。日野の立ち位置は盤石だった。

 だが、事は彼女の想定から大きくそれ、二人で電車に揺られ、学校からも自宅からも離れた駅で降りてしばらく歩いた道中で、車に乗せられ誘拐されたのであった。

 浮かれて疑問にも思わなかったが、考えてみれば柳田の様子がおかしかったことに日野は今更ながらに気づく。

 とはいえ、全ては過ぎた出来事。

 自身の通う高校の、柳田たちや自分のようなちょっと素行の悪い程度の生徒とは格の違う悪。

 非日常的な気配を放つ四人を目の前にして、布を口に噛まされ、拘束されたまま、ただ震えることしか日野には出来なかった。


「おいおい、写真で見るよりカワイイじゃねえかアツシくん」

「あー、もうたまんねえよ。早いとこ剥いちまおうぜ。コイツが連れてくんの遅いからよお溜まっちまってるんだから」

「名前何だっけこの子、なあ教えてくれよアツシ」

「……日野燈花ッス」

「へー。トーカちゃんっていうんだあ。いい名前だねえ。喋れないの可哀そうだし、外してあげるよ」


 ニタアと粘着質な言葉と笑みと共に猿轡を外される。

 男達から日野は目を逸らして、唯一の仲間であるはずの柳田に救いを求めて言葉を投げかける。


「ねえ、これなんなの、篤くん! どういうこと!ねえ!ねえってば」

「……」

「嘘でしょ……」


 その視線と言葉から逃れるように顔を逸らす柳田。

 この中で、チンピラたちの一員ではあるものの柳田の発言権が最も弱いことは部外者の日野から見ても明らかだった。

 付き合っていくうちに、どんどん手を切る機会を失い、引くに引けないと窺える。

 味方の居ない空間で苦境に陥り、日野の人生の価値観に罅が入っていく。

 なんと学校での立場や名誉の脆いことなのだろうと、感じてしまう。

 彼女にとっては、生来の気質や他人を捨ておいてまで、学校での立場とは重要なものだった。

 しかしどうだろう。

 学校では相手が上級生だろうが教師だろうが堂々としていて、ある程度の我儘も、自らの力と権力で通してみせて、容姿も良く学年で人気のある男子生徒の彼が、今この場ではなんと惨めで情けない事か。

 普段の勝気で強気な表情は見る影もなく、媚を売るような表情で、この場で圧倒的な力を持つチンピラ達に諂っている。

 まるでかつての自分のように。

 自分の培ってきたものが壊れる音。

 目の前に立つ者たちへの恐怖。

 ここに至るまでの様々な理不尽に怒りを覚える中で、日野には柳田が、彼女に向ける憐れみと同情を含んだ視線が最も許せなく、悔しかった。

 そのような視線をしながら、柳田は日野を助けには入らないのだ。

 一年から始まって、現在二年六月。都合一年近いグループでの付き合いになる。それを我が身可愛さに見捨てておいて、その表情はないだろうと、そう日野は感じた。

 この場に味方の居ないことを悟った日野。

 助けなど来ないであろうことを感じ取った彼女に、恐怖の陰が落ちる。

 恐怖は正常な思考を奪い、いよいよ、日野は追い込まれていた。


「しっかし、クラスメイトの女の子連れてくるなんてエゲツナイねえ、アツシくん」

「おいおい写真見てトーカちゃん連れてこいって指名したのオメーだろシマ」

「篤もよお、よく現役JK連れて来たわ。それもこんな上玉食えるならあの人も喜ぶな、たまにはいい仕事するじゃねえか」


 中でも一番屈強そうで、目つきの凶悪な男が柳田の頭を上から抑えつけて髪をくしゃくしゃと乱暴に撫でる。おそらく、彼がリーダー格なのだろう。


「つーかよお、アツシはもう食ってんの?この娘済ませてそうな見た目だけどサ。いややっぱ言うな、トーカちゃん本人に答えさせたいわ。ねえ、君って処女?」

「でたよ、マツキの処女趣味。キメー」

 少し太った男マツキを、先ほどシマと呼ばれた目の細い男がからかう。

「だってよおこの見た目で処女とかだったらさ、燃えるっしょ! でさ、処女なの?」

「あ……あの、ごめ……さい…」


 日野が勇気を振り絞って、ようやく彼らに答えられた言葉はそれだけだった。常に強い発言権を持っているクラス内での彼女とはかけ離れた姿だった。

 彼女の仮面は学校という場で、学生という立場を生き残るためのもの。学校生活においてその定着したメッキは、その中においてはそうそう剥がされることはない。

 だが、学校の外の脅威は別だ。

 真に恐ろしい体験をしたとき、そのような仮面は容易く剥がれ、本性がまろびでる。

 彼女の場合は、今がそうだ。


「ん?」

「ゆる……して、ください」


 涙目に許しを請う彼女にしかし、彼らは容赦などしない。そんな慈悲の心が彼らにあるのなら彼女はそもそもこの場に居なかっただろう。


「いやさ、マツキの質問に答えてくんない? 俺さ話聞かない女嫌いなんだわ、イエスかノー、どっちなの、そんなに難しい?」


 タンクトップを着た男が関節を鳴らしながら問う。目の前に座り込み、右手で日野の片耳を引っ張る。


「い、痛っ!?」

「アラタニこえー。またぶっちゃう? ぶっちゃうの? 顔はやめてよ、折角いい顔してんだからさあ」

「えーでもさー。俺こういう一見気強そうな女の子の顔腫らすのタマんねえだわ。今この娘の泣きそうな表情見てもうバッキバキよ」

「それマジで引くわー」

「でさ、どうな訳よ? 俺らだってはじめての娘に酷なことさせちゃったら気分悪ィじゃんかよ。こういうのはお互いキモチイイ方が健全っしょ」

「うはーシマくんマジ紳士」

「あ……」


 もはや、日野は恐怖で口が回らなかった。生来持つ彼女の性質は、内気で、どちらかといえば内向的。臆病なのだ。

 いくら見た目を取り繕い、普段の態度を変えたところで、結局本質的には弱いまま。彼女はここで、何かを抵抗するような口を利けるほどの度胸は無いし、質問に答えることすらままならなかった。


「いいからさーはよ答えろよ!」


 筋肉質な男、アラタニは日野の腹部を思いきり蹴る。

 日野はあまりの痛みに悶絶する。

 高校に入ってから暴力を振るわれることは無かったが、女生徒同士のやっかみなどで起きる些細な暴力など、どれだけ可愛いものかを知った。

 そうして彼女はこの立場を築いて久しく忘れていた感覚を思い出す。

 これが、痛い、ということだと。

 それなりに横暴を働く彼女だ。

 学校で声をあげて逆らう人間はいないものの、良く思わない者もいるのは確か。そんな者たちが今の彼女を見れば、さぞ愉快に感じるだろう。

 だが、こんな環境において、いつもの自分で居られるような強い精神を持った人間がこの世に一体どれだけいるというのか。


「……ゃ、ッ!!」

「叫ぶなよ。叫んだらもう一度蹴る」

「おいおい、はなから痣だらけの女抱くとか嫌だぜー俺」

「てゆーかさ、始めちゃったらどうせ分かるんだしさーさっさと言ってくんない?」

「……ぅ」


 さきほどの蹴りはみぞおちに入っていた。呼吸もろくに整わず、出せない声の代わりにこくこくと頷く。彼らは心底嬉しそうに嗤い、アラタニと入れ替わりでマツキが日野に近づく。


「いやーいいこと聞いたわ。もう辛抱できん。マツキいっきまーす」

「しゃーねー今回は一番譲ってやるよ。あんま汚すなよ、終わったら持ち帰んなきゃいけねーんだからよ」

「わーってるよ」


 ガチャガチャとベルトに手をかけて音を鳴らすマツキ。


「……あの!」


 ひときわ大きな声に、チンピラ達と日野の視線がそちらへ向く。声の主は柳田だった。


「流石に、持ち帰りはやめてやってくれませんかね。いつも何やってるかまでは知らないすけど、明日も……その、学校あるし事が済んだらそのまま……頼んます、キトウさん」

「あァ、おいおいアツシちゃんよお。今回は乗り気じゃねえしどうしちまったんだよ。俺たち仲間だろ?大して役に立たないオメーだけどよ、今まで仲間外れにしたことが一度でもあったか? どうなのよ?」


 キトウと呼ばれたリーダー格の男。深く頭を下げる柳田に詰め寄っていく、このチンピラ集団の中でも特に人相の悪い彼に威圧される顔をあげた柳田。


「いえ……ないです」

「だよなあ。じゃあよお、お前が連れてきた女だけ今回は例外ってのは筋が通らねえだろうが、あァ!?」


 拳が腹に深く突き刺さり、呻きながらその場で蹲る柳田。


「つーかここまで連れてきた時点で、今更ナシとかきかねーんだわ。あんまうるせーならよ、前見せてもらったもう一人の方もここに連れてくるか? あの黒髪の女、テメエの学校まで出向いてよ」

「そ、それだけはホントに勘弁してください!」


 地面に膝をついたまま手を伸ばして懇願する柳田。その様子を見て、日野は察する。

 ああ、だから自分が選ばれたのかと。

 柳田は月山雫をこの男達から庇うために、日野燈花を生贄として誘い出したのだ。


「じゃあ、このまま続けるけどいいよな」

「……はい」

「チクったりしても無駄だ、裏切ったってむしろお前が消されるだけだしよ。サツがこえーんなら気にすんなって、今までだって大丈夫だったじゃねーか。俺らは守られてんだよ、犯罪許可証でも持ってんじゃねえかっていうあの人にさ! おい、てめえら、おっぱじめんぞ」

「あの人……?」


 柳田はピンとこない顔で、キトウを見つめる。

 そんな柳田を無視して、彼らは日野へと歩み寄る。まさに性欲に溺れた獣そのもの。

 下品な笑みを隠そうともしない彼らへの恐怖から、現実から目を背けるように日野はきゅっと目を瞑る。

 彼らは、尋常ではない。日野にはとても正気の人間とは思えなかった。

 女性として受ける屈辱の日野が思い浮かぶ限りの嫌な想像が彼女の頭の中を過る。身構えて、覚悟して、自分がこの場で出来るあらゆる抵抗が無駄だと察して諦めた。

 大人しく耐えれば、もしかしたら命は助かるかもしれない、そういう考えからだった。

 ――――思えば、他人に左右されてばっかりの人生だ。

 ――――結局、努力して変わったつもりでもこうなるんだから、ホント、どうしようもない。

 しかし、いつまでたっても不快な感触が訪れることは無かった。


「ぐぎゃ!」


 代わりに起きたのは悲鳴。彼らの中の一人、まさに日野の胸へと手を伸ばそうとしていたマツキの声だった。


「どうやら間に合ったみたいだな」


 悪意のない、聞きなれない声が自分の前からして、日野は瞑った目を開ける。

 彼女の目の前に立っていたのは、マツキでもなければ、彼らの内の一人でもない。少し離れた場所でキトウに暴力を受け、蹲っていた柳田でもない。

 自分を守るように背中を向けてチンピラたちとの間に立つ、自身の通う高校の制服を着た少年。

 普段から付き合いのある人間ではない。当然、柳田の友人の大木や小林でもない。

 だが、彼女にはその姿に覚えがあった。

 長すぎないようにする以外に特に手入れをしたりして整えている様子の無い黒い髪に、平均より少し高いくらいの身長。

 その後ろ姿を彼女は今朝、まさに目にしていた。

 根暗の久良と呼ばれるクラスで陰口を叩かれている少年。

 彼女は、はて、少年の下の名前はなんだったかと考える。

 そして、まもなくして思い出す。

 そう、彼の名前は、久良悠莉。

 陰キャ。ぼっち。根暗。

 彼女が常日頃から、見下し、蔑む人間がそこには立っていた。

 ――――なんでこんなところに。

 半ば期待外れの救世主。

 とても彼がどうにか出来る状況だとは日野には思えなかった。

 クラスでの久良悠莉の姿を思うと、その評価は仕方のないものだ。

 だが、彼が発する雰囲気が違うことに日野は気付く。

 学校で見かける少年は、まるで頼りなく、うだつのあがらない、上の人間の顔色を窺って、隠れるように大人しく過ごす、冴えないカースト下位によくいるタイプの男子生徒なはずだ。

 日野は中学の経験から、そういう人間を哀れに想うと同時に、成り上がろうともしない負け犬たちと軽蔑していた。

 今朝、教室で柳田たちに馬鹿にされながらも愛想笑いを浮かべる彼は記憶に新しい。その姿を過去の自分と重ねてキモいと罵倒したことも。

 しかし、目の前に立つ少年はまるで違う。

 あの柳田すら怯える、明らかにイカれているチンピラを相手に堂々と立ち塞がる彼がほんの一瞬、こちらを窺ってみせた横顔は、強者に媚びる負け犬とは程遠く。

 その相貌は凍てついたように静かでありながら、そこに収まった眼はまるで―――獲物を狩る、恐ろしい獣のそれだった。



 

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