第3話


 喫茶店ジョーズ店内に入る。入口から一番奥手のテーブル席に一人の客がいた。

 男だ。若くはない。

 コーヒーを飲みながら誰かを待っているようだ。察するにオレの前を歩く少女を待っているのだろう。

 整えられた身なりには清潔感がある。年齢は四十、五十代頃で顔には相応の老いは感じるが、居住まいにくたびれた様子はなく、むしろ精悍さを感じさせる。

 こちらの人間と言った雰囲気ではないが、只者ではなさそうだ。


「ごきげんようマスター。珍しくお客さんがいるみたいね」

「嬢ちゃんのおかげでな。といっても目的はこの喫茶店じゃなく本業のようだがな」


 その席へと迷わず進んでいく千乃は、その途中でカウンターにいる宇都宮に軽口をたたく。それに怒るでもなく、応えた宇都宮の様子は仕事の顔だ。

 喫茶店のマスターではなく、武器調達屋としての。


「コーヒー一つ、それと例の物も」

「あいよ」


 注文を承った宇都宮は、喫茶店奥へと姿を消す。千乃と共に男の座るテーブルの前に立つ。


「こんにちは、相田利家さん。お待たせしたようで申し訳ありません。こちら、私の助手の久良悠莉といいます、今回は彼も同席しますのでどうかよろしくお願いします」


 千乃が形式ばった挨拶をしながら席につく。

 オレは彼女の紹介に小さく黙礼する。彼もそれに対して、よろしく頼むよ、と応える。

 仕事、ということは相田利家という男が依頼主なのだろう。

 彼もまた、待たされたことに不満な態度を見せることも無く、恭しく応えた。


「いえいえ、私が少々早くに来てしまっただけのことです。お気になさらないでください、一宮探偵。この一年、長らく進展の無かった件に光明が見えたのです、居ても立ってもいられなくてね」

「そういうことでしたらさっそく、依頼の話に入りましょう。ほら、キミも座った座った」


 千乃に促されて席に座る。その際に宇都宮と入れ替わりにカウンターに入っていく、エリカと目が合った。

 声は出さずに一礼をされる。オレもそれに対して頷きで返す。

 一礼の直前、何かあったのか、彼女はどこか悲しそうに見えた。普段、表情の変化に乏しい彼女の感情を読み取るのは簡単ではない、だけどそんな風に見えた。

 この相田の事情を千乃を通して知ってるが故にそれを憂いての表情なのかもしれない。彼の雰囲気、それに宇都宮も巻き込んでのこの依頼がただ事でないのは確かだ。背景には相応のものがあるのだろう。


「相田千沙さん。娘さんの件ですが……犯人個人は確定していませんが、ある筋から、抱えている団体についてはおおよそ見当がつきました。あなたの安全のためにも明言は出来ませんが」

「本当ですか、それはありがたい。警察や私立探偵、どこを頼っても成果があがらなかったというのに」

「そうでしょうね。千沙さんの命を奪った事件は、表側の人間には手出しのできないものです。超常現象を起こす力、異能。それを扱う能力者。聞いたことはありませんか?」

「聞いたことはありますよ。六、七年ほど前でしょうか、ネットで随分話題になって、テレビでも報道されていた……しかし、あれは都市伝説の類では? すぐに話題からも立ち消えましたし」

「信じられないかもしれませんが、彼らは実在するんですよ」

「……」


 それは不味い。

 異能に関する情報の公への漏洩は、機関の規律に反する。全く異能に関する知識を持ち合わせていない彼へその実在性を訴えるのは十分にそれに抵触している。

 そんなことすら理解していないとは思えないが。

 小声で止めようとすると、通知が届いた。

 先ほど渡された端末にインストールされた専用のチャットアプリのものだ。既存のものとよく似ているが完全に別物らしい。

 そのメッセージには『心配ない』と書かれている。

 千乃は話を続けたまま、こちらにメッセージを送ってきたらしい。器用なものだ。


「七年前、システムが出来上がる前の能力者たちは、言ってしまえば暴走していました。身勝手に行動を起こし、世間にその存在を隠そうともしない者もいました。でも、システムが出来上がって、一年後には表舞台からは完全にその姿を消した。世間の、能力者に対する認知はおよそ相田さんと変わらないでしょう。熱心なファンにかぎればそうでもないかもしれませんが」


 ただし、と千乃は続ける。


「彼らは居なくなった訳ではないのです。多くの能力者が暗躍して、例えば千沙さんがあったような悲劇を生み出している。警察ですら容易くはその闇に踏み込めない」

「では、千沙は。私の娘は。その能力者に……っ!」

「おそらくは」


 歯噛みする彼の表情から、いろんな感情を読み取れる。それはオレのものと同様だ。だからこそ汲み取れる。

 悲しみ、無力感、虚無感、そして何より、憎しみ。

 娘の命を奪った犯人。名前も顔も分からぬその怨敵を憎しみ、いつか報いてみせるという強い意志。

 オレのように憎しみに猛けるわけではない。

 力を得て暴れるオレとは真反対だ。

 だが、その気丈な佇まいと、理性的な瞳の奥底に燃える炎がオレには分かる。

 千乃が事務所でオレの為にもなる案件といった意味が分かった。

 彼はオレと同じことを目的として生きているのだ。

 同じものに魘されながら生きているのだ。復讐という炎の熱に。


「……一宮探偵、貴女の手腕を疑うわけではないが、その犯人を特定することなど出来るのだろうか。今の話を聞いていると、能力者というのは我々のような者たちには到底手の届かない存在のように思える。警察の国家権力からすら逃れている連中など」

「ご安心ください、ミスター。その為に私はいるのです。貴方の探し求める人物を必ずや貴方の前へと連れてきてみせますとも」

「ああ、やはり、貴女に依頼をして良かった。娘を失ったときにこの世に神など居ないと思ったが、貴女と出会えたこと、これは神の思し召しに違いない」

「まだそう考えるには早いですよ、相田さん。それは、私があなたの前に犯人を連れてきた、その時に」

「ああ、そうだね……私では何の力にもなれないことが惜しいが、頼んだよ」


 宇都宮が、俺たちのテーブルへとやってくる。コーヒーカップが千乃の前に置かれる。


「あいよ、お待ちどうさん」

「遅いよマスター」

「そう言わんでくれ千乃ちゃん、コーヒーはともかく、こっちの扱いは慎重にやんねえとな」

「よっぽどあぶなーいものを造れるくせに?」

「あっちは俺の手足みてえなもんだが、コイツは違うんだよ。相田って言ったか、お客さん。精々慎重に扱ってくれよ。アンタみたいなのが軽々しく扱って足がつくと、売ったこっちの面子にも関わるんでね」


 言いながら、宇都宮は小包をテーブルに置く。

 一見するにただの小包でありながら、それは重々しい存在感を放っていた。

 中身は想像がついた。相田も、その中身を理解しているのだろう、その表情は硬い。


「ええ、分かっております。ありがとうございます、マスター」

「礼なら嬢ちゃんに言いな、千乃ちゃんの紹介じゃなきゃ、どんだけ金積まれても渡さねえ相手だ」

「分かっています。なにからなにまで本当に。感謝しています……しかし、本当にこんな物まで用意してしまうなんて、貴女がたは一体……」

「こういった案件を処理する人間ですよ、私たちは。あなたはあなたの目的を果たす、私たちはそれを支援する。ただそれだけです、多少の不信感も確かな成果で拭ってみせますとも。ですが、それ以上はあなた自身の引き際を見失うことになります」

「そうですな。聞くべきでないことを聞いてしまった。失礼を働いてしまったようだ」

「お気になさらず。……では、もう一つの依頼である物資の手配は完了ということで」

「ありがとう……本当に」


 頭を下げて、二人に感謝を示す相田利家。

 命のやり取りが行われる裏側の世界では、年上も年下も関係ないとはいえ、彼は表側の人間。千乃よりは二回り以上、宇都宮にしても一回りは年を重ねているだろう大人が、自身よりも遥か年下の人生の若輩に頭を下げる。

 そこにはどんな意味があるのだろう。

 彼の心内などオレには知りようもないが、少なくともオレには心からの感謝に見える。

 同類のはずの彼は、獣ではなく、立派な人間に見えた。

 復讐を果たすために生きる。

 その根底は同じでも、こうまでも違うものなのか。

 人生経験の差か、生来の気性のものか。 

 オレは復讐の為に、力を求めてナイアーズゲームを起動して、能力者になることで力を手に入れた。

 オレにとって、宇都宮もエリカも、千乃も、復讐を果たす為の道具でしかない。

 助けられていることは自覚している。おそらく幾許かの温情によってオレは生きてこれたのだ。

 ただ能力者になっただけでは、オレはここまでこれなかっただろう。

 エリカに鍛えられ、宇都宮から強力な武器を授かり、一宮千乃に導かれた。

 そうして、能力者としてのオレは出来上がった。

 だが。

 付き合いで礼を言う事はあったかもしれないが、心から感謝などしたことがなかった。

 オレの心を大部分を占める感情は、いつだって復讐心だ。

 他のものの一切は余計なものでしかない。

 だから、普通の人間の生活は捨てた。

 律儀に高校に通っているのも、生前の両親の、学校はちゃんと出なさいという言葉を覚えていたから何となく通っているだけだ。

 一人の高校生としてみた時のオレは破綻している。

 趣味も友人も過去も、全部捨てた。

 みんな、ぜんぶ、オレが復讐を果たすまで利用するだけの道具だ。

 使えるものは利用し、使えないものは関わらない。必要なら命だって奪ってみせる。

 そうやって生きた二年間のオレは、人としては歪だったに違いない。

 だから、目の前で頭を下げる男にオレは形容しがたい感情を覚えた。

 尊敬に近いなにか。復讐を目的として生きながら社交性を失わず、人のまま生きている、その頑健で高潔な精神に。

 なぜそんな風にいられるのかという疑問と驚きを、いまだ人を捨てずに生きている彼に対するわずかな嫉妬と羨望を。

 様々な感情がないまぜになった一言で表せない感情。

 こんな人がいるのかと、そう思った。

 それから間も無くして、喫茶店での会合は終了した。相田利家は、千乃から進展があれば連絡する旨を聞いて、帰っていった。


「帰る……か。虚しい言葉ね。きっと、彼が帰りたかった場所はもう、どこにもないんでしょうね」

「どうしてそう思う? 死んだのは娘だけじゃないのか」

「指輪をしてなかったからさ。きっと、娘を亡くしてから奥さんとも別れたんでしょうね。復讐に生きるということは、未来ではなく過去の為に生きるということ。生き残った二人の意識に齟齬があれば、そうなっても不思議なことではないわ。相田さんも随分とこの件に入れ込んでいるからね。最初に言われたのさ、自分の持つ命も含めてあらゆる資産全てを払っても構わないって」


 よく観察している。素直にそう感じた。


「あんたはどう答えたんだ?」

「ふふー、どう答えたと思う?」


 彼女の人を試すような物言い、いい加減に慣れたもので。オレは相手にしないことに決めた。


「茶化すならいい」

「つまんないなー。大丈夫だよ、命だとか身体だとか、そういうものは要求してないわ」

「ならいい」


 事件解決の折には、無茶な身売りをさせられるとかそういうことでないなら、それで。


「ふーん。……そういえば。忘れるところだったよ、キミには明日学校でやってもらいたいことがあるの。もちろん、今回の件に関わることでね」

「なんだ?」

「実は、相田千沙が殺される事件の以前に、女性の失踪事件が長期に渡って毎月、ほぼ等間隔で起きていたの。遺体が確認されたのは相田千沙だけだけど、以降、ピタリと事件は止んでいる」

「そいつは妙だな」

「でしょう? でもここ四ヶ月、似たような失踪が同じように四件、これもまた毎月ほぼ等間隔に起きてる。これに倣うなら、そろそろ次の失踪の起きる頃合いなの」

「それが学校でやってほしいこと関係あるのか?」

「ええ大いに。最近どうにもこの近辺で妙な動きがあってね。それに関係してそうな生徒が奇遇にもキミのクラスに一人いるから接触して欲しい。その人物と遊んでるワルイ大きなお友達とね」

「そうか。で、そのクラスメイトとは誰だ」

「この子だよ」


 端末にファイルが送られてくる。簡単にだがプロファイルされ、資料に纏められている。

 名前を柳田篤というらしい。家族構成や友人など人間関係。注釈には、夫婦間の仲が悪く家族との関係が良く無い事などが載っている。

 夜間に学校外の友人との付き合いあり。過去の相田千沙の事件と連続する失踪事件に関係アリ?とも書かれている。

 つまりは柳田を通じてその学校外の友人の情報を掴めということか。

 柳田の顔は、目つきが鋭いのが特徴で、顔立ちは中々に整っている。染めた金髪交じりに黒髪は虎のようでいかにも遊んでいそうな出で立ち。こういうのが好きな女にはとことんモテそうなタイプに見えた。


「……確かに見たことがある、気がする」

「いや、キミのクラスメイトだから。流石にひくよ。どれだけ周囲に関心ないの」

「学校の人間と関わりをもっても、オレに何の得もないからな。学校での立場なんて何の価値もない」

「ふふー、それはどうかな。まあ明日を楽しみにしておくよ」


一体、何が楽しみだというのか。

対面に座る千乃の口元は綺麗な弧を描いて、艶めかく笑った。

 

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