第2話

 オレは機関の、正確には『CARDS』の保護サービスの対象から外れた。保護対象者から外れる者は、該当行為から24時間の猶予時間を貰い、その時間を過ぎると失効され、以降はあらゆる無法な接触が許される。

 当然、オレも例外ではない。

 能力者を用いて人体実験を行う研究機関があったとしてオレを狙ったのなら、彼らの雇った能力者の傭兵などがオレを半殺しにしてでも攫いにくるだろう。

 国家が絡む組織がオレを必要とするならば、オレの社会的立場を楯にあらゆるデマをでっちあげ追い込む準備をして、従属、隷属させようとするだろう。

 ここはそういう世界だ。

 能力者となってなお、平穏に生活していきたいのなら、保護対象者であり続けるしかない。

 それは、正道で真っ当な道だ。

 それに難しい事でもないだろう。

 自身が能力者であることを示唆するあらゆる発信行為を公共にせず、異能を用いたあらゆる犯罪行為に関与せず、異能に関するあらゆる情報を外部に漏らさない。

 保護対象者であるために守るべきルールはそれだけ。

 ただただ異能を得る前と同じ生活を送ればいい。

 起動させることで人を異能を操る能力者へと変える『ナイアーズゲーム』というゲームアプリ。

 開発者などは一切不明。能力者となるメカニズムなども解明されていない。

 ナイアーズゲームの三眼の不気味なアイコンを、見てしまったが最後、暗示にかけられたように、あるいは導かれたように発見者は起動させてしまう。

 こうして誕生する能力者は、いわば不可抗力。事故のようなものだ。

 当人の意思でどうにかできるものではない。

 機関もそれを理解しているために、CARDSを運営しこの保護を行っているのだろう。

 それは世の中が混沌に陥ることを防ぐためにも適切な処置だとオレも思う。

 秩序維持組織とはよくぞ言ったものだ。

 だが、彼らは、正義や人道を謳う集団ではない。

 機関の運営するCARDSには能力者人口のほとんどの能力者が登録すると共に、世界中の、異能に関わる多くの組織もまた加盟し、機関という大きな団体の傘下にあるといえる。

 そこに集った者たちは日のもとに出るような表立った活動をしてはいない。国家民間問わず、非合法で非人道な犯罪にも関わる個人、集団だ。

 つまり、保護サービスを受けている非活動の能力者を除いた、ほぼ全ての活動する能力者ははっきり言って、世の中からすれば犯罪者といって差し支えない。

 それらを抱えながら、取り締まるわけでもなく、ただ機関の定めた規律に反するもののみには制裁を下す。

 そこに抵触しないのなら、あらゆる悪行、非道も看過されるのが能力者の世界だ。

 オレは、その能力者の世界へと足を踏み出す。

 心を蝕む炎が、偽りの平穏を過ごすことを許さないために。

 CARDSの会員な以上、保護から外れた無所属のオレは、連中からしたら格好の餌でしかない。

 オレもまた何らかの組織に所属し、その庇護下に身を置かなければ、何が起きてもおかしくない。

 ただしそれは、このままではの話だ。

 テナントビルの二階。喫茶店ジョーズの上階にある一宮探偵事務所。オレはその家主不在の探偵事務所で待ちぼうけをくらっていた。

 椅子に座ったまま待ちぼうけをくらい、いよいよ帰ろうかと考えたくもなる約束の刻限を一時間超えたという頃に、その家主はやってきた。


「ごきげんよう、悠莉くん」


 その声は女性のものだ。通った声を出すその人物に座ったまま、じろりと目を向ける。


「遅い」


 その少女は一見したものならば、まず間違いなく目を奪われるほどの美貌をしている。腰の辺りまで伸びた絹糸のような黒髪に、こちらの全てを見透かすような、知的な眼つきと赤い瞳。

 名前を、一宮千乃いちみやゆきの

 オレと同じ高校に通う千乃は、オレよりも一学年上だ。

 同じ高校生でありながら、しかし、彼女の雰囲気は未成年のそれとはとても思えない。

 オレの戦闘の師であるエリカの主人であることや、宇都宮とも旧知の仲であることから、相応の位置にいる人物なことは間違いがない。

 彼女はオレの文句に対して、全く悪びれた様子もなく、いけしゃあしゃあといってみせた。


「その一切年上を敬わない立ち振る舞い、相変わらずよねえ」

「敬われたいなら、約束の時間から一時間以上も遅れてくるのをやめろ」

「遅刻してこなくても、いつもそんな口の利き方じゃない。ジョーさんやエリカはこんなののどこが良いんだか……まあいい本題に入ろうか」


 応接用の黒革の椅子、オレの座るその向かい側へとどかっと座る。

 本題。

 つまりは、機関の保護対象から外れたオレの能力者としての今後の進退について話だ。

 昨日完遂した、宇都宮の言う“機関の公募ではない依頼”とは彼女がオレへと斡旋したものである。

 成果を示すことができれば、今後の能力者としての活動を支援するという条件で、オレは依頼を引き受けた。

 結果は言わずもがな。

 目標は殺害し、オレは生還し、彼女の前に立っている。

 無事、依頼は達成されたというわけだ。

 そんなオレに千乃は労いの言葉をかける。


「まずは仕事の達成とキミの無事をを祝福するわ。今回の案件でキミの力は十分に証明できた。私が保証する。実績は少ないものの、君は腕利きの能力者であると。もし君が『機関』の定めるルールを侵して『賞金首』になったとしたら、現時点でもレートはB以上の扱いになるだろう」


 この場合のレートとは、賞金首にかけられた機関の審査で定められた脅威度、捕縛、殺害の難度のようなもの。E~Sの等級からなり、Sに近いほど危険だが報酬も大きくなる。

 目安としては最低のEランクは非能力者及び、戦闘に使えない異能を保持する能力者。

 Dランクは殺傷能力を持った異能を保持する平均的な能力者。

 Cランクは複数の能力者で追うことを推奨される高い戦闘能力を有する能力者。

 Cランク以上は捕縛を必須とする条件で提示された案件でなければ、機関の承諾を通さず『即時執行』つまりは、当事者の判断でそのまま殺すことを許可されている。

 逆に言えば、Dランク以下は機関の許可なしにはその確保を優先される。

 Bランクは分隊以上の規模の能力者で追うことを推奨される。

 Aランク以上は、CARDS内で公には募られないため、推奨戦力は不明。実力ある能力者のみに情報が与えられるらしい。

 実際の公募にはレートの後ろに、数字を付けられ、D1、D2、D3のように三つの分類にさらに分けられる。

 1は機関のサービスを受けながら、規律に反した、追放者。

 2は機関のサービスは受けていないが、異能を用いて犯罪行為をする、無法者。

 3は上記が解決できず、長期化した案件、機関の手から逃れ続けている、逸脱者。

 仮に規約、規律に反し、異能に関する情報をメディアを通して公に発信したり、保護対象者に不用意な接触を侵したときには、オレの場合は、Bランク相当の案件として扱われ、『賞金首』として機関に関わる世界中の能力者に追われるわけだ。 


「苦節二年、花壇に土を敷いて、種を蒔き、水をあげ、栄養を与えようやく花開いたというわけね。プランターの名の通りに」

「馬鹿にしてるのか」

「馬鹿になんてしてないよ、むしろ感心してる。二年前まで何の変哲もない一介の学生でしかなかったキミが、復讐を掲げてただ能力者を憎む一心で己を鍛え、エリカの指導を受けて、宇都宮丈の業物を手に、今では『機関』がその実力を認める能力者よ。エリカもジョーさんもまさか君が大成するとは思ってなかったんじゃないかな。悠莉くんがこの段にまで来ることを予想していた人間はキミ以外では私くらいのものよ」

「あんたは予想してたのか」

「そうじゃなきゃ、こんな先行投資はしないわよ。二年近い時間と金がかかってるんだからね、ちゃんと。保護期間中のキミが降りたらそれまでにかけた手間が全部ぱあ。逃げだしそうな人間に何かを与えてやるほどお人好しじゃないわ」

「そうか、じゃあオレはオレ自身とあんたの期待に応えれたようだ」

「今のところはね。これがその証」


 千乃は携帯端末を一台、取り出してこちらに差し向ける。互いの椅子の間にあるテーブルに差し出された端末の画面には、生体認証、ユーザー登録と表示されている。


「私が扱う専用の端末よ。案内通りに指を五本かざす。それで認証は完了。キミは本当の意味で能力者の世界に身を置くことになる。ただし、もう後戻りは出来ないわ。今ならまだ、全部を忘れて逃げ出して、普通の人生に戻れるかもよ。私に土下座して女神に祈るがごとく許しを乞えば」


 おどけて言って見せる千乃はどこまで本気なのか分からない。オレは彼女が、はっきり言って苦手だった。

 それに保護が外れるのはもはや確定事項だ。それを覚悟で依頼を受けて、相手は裏社会で活動する能力者とはいえ人殺しまでした。もはや戻れる道なんてない。


「依頼を回してきた張本人のあんたがそれを言うのか。それにそんな権限、あんたにないだろ」

「ふふー、どうだろうね」

「いい。あったとしても必要ない。全てを忘れて日常を送るなんて出来ない」


 偶然でただ能力者になっただけならわざわざ『保護対象』から外れようとなんてしない。普通なら異能に関わるもの全部から逃げて、幸せに平穏に生きる日常を目指しただろう。

 だけど、その道は能力者になる以前からしてオレには無かった。

 なんの力も持たないただの人間だった時から、選択肢は一つだったのだ。

 オレに、幸せや平穏なんてものは一生涯訪れはしない。


「オレは――――」

 

 二年前の『声』が反芻する。

 二年前、悲嘆にくれ、怒りをぶつけることも出来ず、ただただ無力だったオレに天啓が如く降りてきた『声』が。

 ――――ナイアーズゲームを起動しろ、その渇きを満たしたいのなら。

 この身を焼き尽くさんばかりの内なる炎。

 胸を掻き毟らんばかりの渇きと怒りこそがオレのすべて。

 この世で最も大切な人達を失ったときに、久良悠莉という人間はきっと死んだのだ。

 友だとか、金だとか、地位だとか、名誉だとか、愛だとか。

 そんなものはオレには必要ない。

 そんなものはとうになくなっている。この二年オレにあったのは、十代の人間が過ごすような、友人との交流や趣味に打ち込んだりする青春らしい生活などではなく、人を殺すための技術と力を身に着け、研鑽する日々。

 日常になんて戻れなくていい。

 だって、もとよりこの身は―――。


「――――オレは、復讐を果たすために能力者になったのだから」


 躊躇なく指を五本、ディスプレイの指示通りにかざす。しばらくして、画面が立ち上がる。

 端末の画面に文字が流れる。


 ユーザー認証完了。

 ユーザー名、久良悠莉。

 『機関』の『構成員エージェント』として登録を開始します。

 『会員』としての情報の削除。規律、規約からの解放を許可します。

 『構成員』としての特権の付与。

 ・・・・・・・完了。

 以後、『調停者コーディーネーター』ナンバー01、一宮千乃の指示に従い、活動を行ってください。

 『機関』へようこそ。


 オレが持つ端末内の『CARDS』が立ち上がり、登録したプロフィールの幾つかが書き換えられていく。それを尻目に、千乃もまた画面表示にならって歓迎した。


「歓迎するよ、久良悠莉くん。これで君は『機関』の一員だ」

「CARDSに登録した時点で、機関の人間だったんじゃないのか? なんで今更」

「能力者の多くは機関に署名しただけのCARDSの会員。機関の運営するCARDSの会員も確かに機関所属と言えるけど、彼らは機関から指示や命令を受けて動いている訳じゃない。会員には彼らの所属する組織での任務や活動がある。じゃあ、この機関は? そんな能力者を有する組織とその個人を傘下とした、能力者たちとこの世界に秩序を齎すことを目的とするこの機関自身の活動を実際に行うのは一体誰なのかしらー、という話」

「それをこなすのが構成員。機関の一員というわけか」

「そういうこと。私たちの役目は調整役。能力者たちを有した組織の争いは苛烈なものになって、時には世間さえ巻き込みかねない。機関は規律に反しないなら、各組織の非合法な活動さえ看過している。けど、何もせず放置していては事が大きくなった時に、能力者の存在は再び明るみに、被害も一般人を巻き込んだものになる。そんな競争の落としどころを提供し、必要となれば武力をもって解決する。そうやって事件を解決するのが構成員きみ調停者わたし


 確かに、犯罪行為を行う組織のその活動を本当に止めるものがいなければ、もっと混沌とした世の中になっているだろう。組織同士の全面戦争でも勃発すれば、隠しきれないレベルの被害が発生して、とっくにその活動が明るみに出ていてもおかしくない。

 だが、現実として能力者の存在は一般にはオカルト程度の扱いにまで鎮静化し、これまでに能力者が原因だと公になった事件はオレの知る限りでは確認されていない。

 それが防がれているのが、機関の活動の成果というわけか。


「とは言っても機関の直属の人間なんて札を下げて歩いていては『会員』と『構成員』で分けられる意味がない。私たちの活動は秘密裏に行われるからこそ意味がある。普段は、数ある機関傘下の組織の一つ、一宮探偵事務所として活動しているわ。表の顔は超・絶美少女高校生探偵。しかし、その裏の顔は――――! なんてね」


 目の前の少女はウインクをする。この人の奔放さには正直ついていけない。不真面目なようで真剣で、今も重要な話をしながらも戯れる。


「様々な事件に介入するのに、探偵ってのはそれらしくていいと思わない? 今日からキミはこの一宮探偵の助手というわけだよ。私たちは今日まで、表舞台で能力者が好き勝手活動する事態や、各組織間の抗争で周囲の無辜の人間たちが受ける被害も可能な限り抑えて、秩序が乱れるのを防いできた。そして、これからも。キミもそれに加わってもらう。後出しの情報で悪いとは思うけど、拒否権は無いわ。この稼業から足を洗う時は死ぬ時よ。さっき警告した通りもう後戻りは出来ない」


「分かっている。そういう契約だ、二年前からのな」

「それは良かった。まあでも、裏社会の他の組織がやってることに比べれば、そんなに悪い仕事でもないわ。見方によってはヒロイックな仕事よ。わるーい能力者をやっつけたりね」

「能力者組織の犯罪活動を普段は見過ごしていおいて、とんだマッチポンプだろ」


 その言い分が気に入らなくて、つい毒を吐くが、千乃は特に動じることなく首肯してみせた。


「そうとも言うわね」

「ロクでもない組織の、ロクでもない仕事だ」

「必要なことよ。能力者という戦力的に価値ある存在がこの世に生まれた時点で、各国政府の国家組織から、民間の組織まで、彼らが能力者、情報、物資を巡って争うのは避けられない。どれだけ大きな力で押さえつけようとも、完全にその活動を止めることなんてできないもの、それは歴史が証明してきた」

「だから、相互監視の場を設けて管理できる範囲内での争いを許容する、その場となるのが機関という組合。その際に起きる、不幸な無関係の人間の犠牲は必要なもので、それで表向きの社会は幸福にってか……反吐が出る」

「でも、おかげで今の社会は能力者を抱えながらも秩序を保ってる」

「その裏でオレの家族が殺された」


 視線に熱が籠る。こんな言い合いがしたい訳ではないのに、どうにも止められない。


「そう睨まないでよ。確かに機関の活動はキミの家族を守らなかった。可哀想だとは想うけれど、それを機関のせいにするのはお門違いというものよ。もし、それを恨むなら、キミはこれからそうなるかもしれない人を救えるよう努力したら?」


 続けて告げられた言葉は妙に印象的だった。


「――キミが復讐の為に手に入れた力で、他人を助けることだってできるのよ」


 しかし、そんなものは何の慰めにもならない。オレをわずかでも慰めるのは、復讐に向けた行動を起こしたときのみ。


「そんなことをしても、両親と妹は戻ってこない」

「そんなの、復讐を果たしても同じでしょう?」

「……だけど、オレ自身が報われる。その為に生きている」

「本当に……本当にあなたには復讐しかないのね」

 

 呆れた表情の彼女に、わずかに失望に近い色がみえた。こちらに向ける視線は落胆を示し、痛ましそうなそれがなにより気に食わなかった。


「家族の仇を願って何が悪い。あんたの指示通り仕事はする、だがこれだけは譲れない、それだけだ」

「二年の歳月はキミの心を少しも癒さなかったというわけね。その復讐に懸ける鋼の精神には驚嘆するほかないわ。その心が、キミを非凡な能力者へと仕立て上げた、私もそれを買ったわけだけど―――けれど、あの子も報われないものね。……おっと、そろそろ丁度いい時間だ。ジョーズに行くよ」


 ふと、千乃が立ち上がって、扉の方へと歩き出す。


「ちょっと待て、何をしに」


 扉の取っ手に手をかけながらこちらを半身振り返る。


「仕事だよ、仕事。キミとの約束を時間通りにすると、依頼人との待ち合わせにはちょっと早くてね。一時間遅刻させてもらったわけ」


 おい。


「今回の仕事はきっとキミの為にもなる、ついてきたまえよ悠莉くん」


 呆気にとられながらも、言われるがまま、彼女の後を追い再度客の来ない喫茶店へ向かう。人を殺してまで飛び込んだ能力者の世界。その先に辿り着いたのが、先輩の女子高生の探偵が営む探偵事務所とは、とんだ就職先だ。

 

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