第1話
「やりやがったのか、悠莉」
責めるような口調でオレ、
高校二年の俺より一回りくらい上の彼は、カウンターを挟んだ向こう側で嘆息する。
ここは雑居ビルの一階のジョーズと言う名の喫茶店で、宇都宮丈はそのオーナーだ。
すごく短絡的なネーミングだと思う。
「ああ」
「ああ、じゃねえよ。ったくよお、これで『CARDS』の公募にはねえ殺しの依頼をこなしたんだ。『機関』に入らず事件を起こして好き勝手暴れたり、規律違反を犯した『賞金首』を殺しちまうのとは訳が違う。もう後戻りは出来ねえ。こっからのテメエは能力者の世界っつう底なし沼に真っ逆さまだ。本当に分かってんのか」
機関。
能力者人口の半数以上が所属しているとされている組織だ。
およそ七年前から発生した能力者たちの中では新参者のオレは詳しくはないが、能力者発生後、荒れた世界情勢の中で間も無く出来た組織らしい。
秩序維持を謳う――機関。
合法、非合法、公式、非公式、無関係に世界中の能力者を登用する8割以上の組織とつながりをもつ、この能力者たちの社会におけるギルドのような存在だ。
現在では異能に覚醒した者の多くは、機関の手引きによって、彼らが展開する会員制サービス『CARDS』に登録することになる。
能力者たちは個人情報の登録と引き換えに、晴れて機関に所属し、CARDSの『
『会員』となる恩恵として、身柄の安全を保障する『保護サービス』の享受と、依頼や雇用、自身を商品としての売買などの取引を行う『組合サービス』の参加権がある。
多くの異能を抱えてしまっただけの無辜の能力者は、この保護を受けて過ごしている。
異能を用いての犯罪行為をしない限りは、国家、民間問わずあらゆる異能に関わる組織からの強引な勧誘や暴力、社会活動や身内を人質にした不平等取引から保護されることになっている。
『CARDS』に登録し機関に所属するメリットの大部分はこの『保護サービス』だ。
その対価に何らかの労働や金銭を求められることもなく、無辜の能力者たちはいくつかの決まり事を守ることで、世間から能力者と認知されることも無く、普通の生活を送っている。
仮に異能を用いて、何かをしようと思うならば『組合サービス』を受け、仕事を受注したり、能力者を運用する組織に雇われたりも出来る。要は裏社会版の求職求人サービス、クラウドソーシングサービスのようなものになっている。
とはいっても、仕事は非合法なものも多く、真っ当な人間が進んでやる類のものではない。
宇都宮の言う、『賞金首』とは簡単に言うと、機関の定めたルールから外れた者たちである。その一例が保護サービスを受ける、機関の保護対象の能力者への不当な接触、勧誘を犯した者たちだ。
彼らは能力者世界のはみ出し者だ。
賞金首の名の通り、その身柄には賞金がかけられ、異能を用いて稼ごうという多くの人間、組織から狙われる。
機関から追われるということは、この世界のほとんどの能力者、各国政府の運営組織から非合法な民間企業まで、世界中を敵に回すと同義。
故にその抑止力は強力で、真っ当に生きているなら能力者というだけで違法な仕事に加担させられるような事はほぼ起きないといっていい。
賞金首の確保、あるいは殺害を目的とした、機関の運営するCARDS公募の賞金首を狩る依頼は、保護サービスを享受する『保護対象者』であっても、その受注、実行を許されることとなっている。
逆に言えば、基本的にはどこかの組織に雇われたり、仕事を受けた時点で保護対象から外れることになる。
オレは昨夜、機関公募の賞金首関連ではない、外部の依頼を受けて仕事をした。
機関の保護対象者から外れたのだ。
つまりは、どこかしらの組織に所属することを決め、その庇護下になければ、怨恨からの暴力や、戦力として利用するためにオレの立場を追い詰めたり、家族、友人を人質に取引を持ち掛けられても自身で対処しなければならない。
能力者としての力を活かして、単身で傭兵稼業など、フリーランスのように活動する者もいるが茨の道である。
わずかな猶予時間が与えられてはいるが、高校二年の夏の衣替えも前の時期に、少し早い就活というわけだ。
「分かってる。それに“オレには他人を巻き込んでの脅しは通用しない”。あんただって知ってるだろう」
「そりゃあまあ……そうだろうが。だがよお」
オレの能力者に至るまでの背景を知っている宇都宮は、言葉を淀ませる。
自分自身を除いて、オレからこれ以上奪えるものなんてないのだ。
「はあ、まあいい。……ところで、俺の鍛った武器の調子はどうよ? まあ使い物にならなかったとは言わせねえけどな、比喩抜きに力込めて造った力作だ」
表向きにはただの喫茶店のマスターである宇都宮の本業は裏社会における武器の調達屋だ。
宇都宮もまた俺と同じく能力者である。と言っても、彼の場合は荒事は専門外だ。
彼の異能は器物を製造するというもの。
その異能によって作られた武器は現存する普通の工程で作製されるものを大きく上回る切れ味や強度を保ち、それを欲しがるものは多い。
非常に高値ではあるが。
喫茶店の日頃の閑散具合から見るに素人目でも赤字で、喫茶店経営は危ぶまれるレベルだが、彼の造る武器は高値で売れるため、生活に特に困っているわけではないらしい。
その宇都宮から貰った武器で昨夜、四人の能力者を始末した。
脳裏に浮かべるのは黒い短剣。彼の異能によって編まれたオレ専用の武器だ。周囲に怪しまれずに携行しやすいサイズながら、短すぎない刀身。そして常軌を逸した切れ味を誇るそれは文句のつけようがない。
「あれ以上の武器を作れる人間をオレはあんたのほかに知らない」
「そりゃどうも。まあ、こんな能力持っちまったせいで一生涯、武器の
宇都宮の取引する武器は、彼が異能で作製したもの以外も含まれる。
日本国内では入手の難しい、足のついてない銃と銃弾などは、現金の代わりに非常に高値のつく彼の武器と物々で交換されることがある。
そのことから宇都宮の元には金と武器とが多く集う。国内では、おそらく指折りの武器商人とも言えるだろう。様々な組織に武器を売る彼が、生きている内に足を洗える日は、まあ訪れないだろう。
「なんにせよ、よく無事で戻ってきた。鉄火場を無事潜り抜けてきたんだ、とりあえずは能力者として一人前ってところだな。……“初仕事”を終えた気分はどうだ?」
オレはその不躾な質問に、視線を返す。
「脅すんじゃねえ。二年もその死んだ魚みてえな目に付き合ってきてやったんだ。今更ビビるかよ。いいから言ってみろ。テメエが殺しに使った武器は俺の造ったもんだ。聞く権利くらいあるはずだが」
宇都宮なりの言い分、か。武器を造る者にも矜持があるということだろうか。その真剣な眼差しに、今回はオレが譲る形で話す。
昨夜の人を殺めたその瞬間の感覚を思い出す。この手に受けた感触は、衝撃は、思いの外あっさりとしたものだった。
「オレは、オレの目的の為ならなんだってする。殺しだって厭わない。だが、人を本当に殺したその時は、それが悪人だろうと犯罪者だろうと多少は心が痛むものだと思っていた」
オレは能力者を憎んでいる。
機関の保護対象者たちや、目の前の宇都宮のような人間ならともかく犯罪行為に手を染める能力者に容赦など必要ない。そも、奴らを相手に躊躇や迷いが生じれば倒れるのはこちらだ。
それでも、少しばかり願ってもいたのだ。
人を殺すとき、それがどんな悪鬼羅刹であろうとも、わずかばかりの良心の呵責に襲われる程度には、自身はまだ正常であると。それが人間らしさだろうと。
けれど。
「何も感じないし何も変わらない。心も痛むこともなければ、オレの能力者を憎む気持ちも変わらない。かわらないんだ、なにも」
何かが変わる気がしていたのだ。
募った怨嗟が少なからず晴れたり、オレ自身の実力が確かめられたことに多少なりとも達成感を覚えたり、あるいは命を奪ったことに心を痛ませ、虚しくなったり。
そういう変化を。
わずかながらに期待していたのかもしれない。
「そうかい。だがよ、忘れるなよ。そのギャップをよ。相手がどんな悪人だろうが、犯罪者だろうが、人を殺せば心が痛む、そう考えていたお前を忘れるな。そうすりゃ、テメエはテメエが憎む能力者の中じゃあちっとは上等さ」
「丈さん、悠莉さん。そんな話ばかりしてると、少ない客足がさらに遠のきますよ。するなら“下”でお願いします。ただでさえこのお店、喫茶店としては万年閑古鳥が鳴いている状態なんですから」
奥の方から、金髪をサイドで束ねた、青い瞳の女性が姿を見せる。
給仕服に身を包んだクールな雰囲気の彼女の名前は一宮エリカ。
当喫茶店における、オーナーである宇都宮を除くたった一人の従業員。
調理から接客まで全てを高水準でこなすハイスペックな彼女は、オレに戦闘訓練を施してくれた師でもある。
「どうせこいつや、お前のとこの嬢ちゃんしかこねえよ。後はブツ目当てのロクデナシどもだけだ」
親指で、こちらをさしながら、やれやれと目をつむる宇都宮。この喫茶店の現状には納得がいっていないようで、日々頭を抱えている。
「それをオーナーである貴方が言いますか」
「人に言われんのは気に食わねえが、自分で言う分には事実だから仕方ねえ。……我ながらコーヒーの味は悪くねえと思うんだがねえ」
宇都宮はカップを口元に運んで、自ら淹れたコーヒーの味に酔いしれるように一言零した。
その一言を受けてエリカも頷く。
「ええ、それには私も同意です」
二人の視線がこちらを向く。
正確には、オレとオレの目の前に置かれた頼んでもいないコーヒーに。
こちらにも感想を求めているようだ。
黒い泥のような液体に目を向ける。身構えるように息をのみ、匂いを嗅ぐ。独特の好い香りが鼻孔をくすぐる。
店全体にもほのかに漂うこの香りは、落ち着くし俺も気に入っている。
――――だが一つ問題がある。
目の前の小さなカップとしばし睨み合い、口元へ運び、口に含む。
にがい。
――――俺はコーヒーが苦手だ。
「苦いな、やっぱりコーヒーはあまり好きじゃない。ホットココアを頼む」
俺がコーヒーを飲む様子を見守っていた二人に視線を戻してそうオーダーを伝える。片や普段のクールな姿からはかけ離れた様子で静かに震え、もう片方は今日一番の怒りに震えていた。
「このガキァいつかウチのコーヒーで美味いと言わせてやるからな!」
宇都宮丈の渾身の叫びが、従業員二人、客一人の店内に虚しく響く。
「……ったく。ホットココアねえ、淹れてくるから待ってろよ。見かけに似合わず舌がガキなんだよなあテメエはよお。その陰気な面構えは格好つけてコーヒー飲んだりしてる系の面だろ」
右手で後頭部を掻きながらとんだ暴言を吐いて宇都宮がカウンター内のオレの席の前から動く。
「では、私も何か作ってきましょう」
思い立ったように、エリカも厨房へと向かう。喫茶店ジョーズはクローズトキッチンのために調理中の姿などは見ることが出来ない。
「おい、オレは他にはなにも頼んでないぞ」
なんとなく気になってその背中に声をかけると、彼女は振り返ってこちらに答える。
「サービスです。どうせ惣菜やジャンクフードばかりでロクな物を食べないでしょう。たまにはマシなもの食べさせないと倒れられそうなので」
淡々と答える彼女は、それだけ言ってカウンター席にオレを残して消える。
彼女の指摘通り、オレの食生活はまともではないから、そういう気遣いは助かるが。
それにしても。
当喫茶店、ジョーズ。その店内を見渡す。
立地もそう悪くなく、明るすぎず暗すぎない照明具合や、木材を中心として揃えられたインテリアと木目風の内装が出す雰囲気は落ち着いていて、これもまた悪くないというのが素人目での所感だ。
個人でやっている割にそれなりに広く、カウンター席であっても客一人一人が十分寛げるだけの空間が守られている。
他をあまり知らないが、充分にいい店だと思う。
にも拘らず致命的に客が来ていない。それなりの広さを持つだけに客のいない店内は一層寂しさを感じさせる。
オレの座る席を除いて全席空席だった。
「呪われてるのかここは。休日なのに人来なさすぎだろ」
「オイ! 聞こえてんぞ!」
ここに偶に来る客はそのほとんどが彼の”売り物”が目当てで、この閑散な店内が平常運転なのは、いつものことながら、少し気の毒だった。
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