荒天
婆ちゃん……もとい師匠。
初めてラケットを握り、初めて球を打ってから早数ヶ月。束は卓斗の目指した世界への第一歩となる場、予選会場にて頭角を現し始めていた。
2020年の夏、彗星の如く現れた男に常連選手たちが舌を巻いている。そのプレイは基本に忠実、まるで初心者~中級者といったレベルなのだが安定度が尋常では無く、持久戦へと持ち込まれることで次々と耐えられなくなった選手たちが崩れていくのだ。
「凄いじゃないか、次は決勝戦だ。黒川の婆さんがこんな逸材を隠していたとはね、いったいいつから教え込んだんだ?」
「アイツがラケットを握ったのは3ヶ月前だよ」
「ええ! 悪い冗談はよしてくれ、そんな経験が浅い奴が決勝まで残れるわけがないだろう」
「馬鹿言うんじゃないよ、アイツぁ付け焼刃はそうだが……端正込めて打った刃さね。そこいらの雑魚と一緒にするんじゃないよ」
迎える決勝戦。
夏と観客の熱気が立ち込める中、束の前には他とは比べ物にならないオーラを放つ男が立っていた。
合図と共に互いにラケットを交換し、名前を名乗る。
「赤原束です」
「
見るからに真面目そうな雰囲気、体育会系というよりは理数系といった感じだ。
しかし準備を終えて台を挟んだ互いのポジションへと着いた時、その考えは払拭された。
視線だけで伝わる殺気、確実に一点を取ろうという気迫がビリビリと痛いほどに響いてくるのだ。
律は球を上げ、サーブを放った。
球は直線の軌道を描き、束のコートへと着弾。ストレートに対する構えを取っていたので、いつも通り返そうとする。
がしかし、束のラケットに球が触れることは無かった。
律の放った一撃は相手コートへと触れるなり、真横へとスライドしたのだ。これには流石に反応など出来るハズも無く、一点を先取されてしまう。
出鼻を挫かれたことで波を奪われる束、その後も着々と点数を奪われること早9点。対する束は1点、完全に敗色濃厚であった。
「あと2ポイントで1セット、話にならなかったな」
「どうかな」
束は何とか得られたサーブ権を最大限活かすべく、ある賭けに出る。
それはこの数か月間、必死に練習した秘技であり誰も使おうとしなかった技。それを見たとき誰もが偶然、はたまた馬鹿だと嘲笑うだろう。
しかし、これは束が極めた特権ともいうべき武器なのだ。
束が放ったサーブはいとも簡単に相手コートを射抜き、地面へと落下した。
相手が高確率で取れない球……つまり、エッジボールだ。
束はこの数か月間、ひたすらに狙った球をどんな速度で返されようともエッジへと持っていく練習をしていた。それがビンゴ、見事に実を結び律の意表を突いた。
焦ることで次々と点を取られ、気が付けば束が1セット獲得しているではないか。
これには観客も湧き、他の選手もガッツポーズを取っていた。
満面の笑みでコートチェンジする束へ、律が一言呟く。
「お前の弱点、確かに見抜いたぞ」
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