曇天
結果、卓斗が息を吹き返すことは無かった。
遺族は涙をとめどなく流し、束はただただ「助けられなかった」と謝罪することしか出来なかった。
勿論、誰も彼を攻めたりはしない。あくまでこれは事故、上手く運転操作の出来なくなった老人が抗う術無く卓斗へと突っ込んでしまったのだという。
束はその理不尽さに、自らの無力さに嗚咽を漏らしながら床へと崩れ落ちた。
……一ヶ月。
卓斗がこの世を去ってからというもの、罪悪感が邪魔をして何も手をつけられないでいた。
誰よりも夢に向かって邁進していた彼が失われ、何も目的を持っていないロボットのような自分が残っている。そう考えただけで自己嫌悪の念に襲われ、押し潰されそうになっていた。
束は気を紛らわせようとテレビをつける。すると丁度卓斗の好きだった卓球の試合、その決勝戦が生中継されているではないか。
それまでもその時も束にはスポーツに対しての興味など一切なかった、がしかし何故かその試合を食い入るように見てしまう。
卓斗の見ていた世界、彼が求めてやまなかった輝きがそこにあるのだと。そう思うだけで画面に映し出される直径40ミリの白球を、目で追わずにはいられなかった。
……そして、束の脳裏にある一つの目的が浮かぶ。
『俺が卓斗を連れて行ってやろう』
思い立ったが吉日。
早速束は準備をして卓斗の祖母が運営する倶楽部へと急いだ。
息を切らしながら必死に駆け回り、ようやく目的地へと到着した頃には声も出せない程に息が上がってしまっていた。
深呼吸をして肺を整え、倶楽部の入口へと手を掛ける。
扉を開いた先で待っていたのは束の知らない世界、未知の領域だった。
目にもとまらぬ速さで青い卓上を駆けまわる白い球、それを手の平よりも一回り程大きいラケットで打ち返し合っている。
テレビで見たときとは比べ物にならない迫力に思わず息を飲んだ。
入り口で言葉を失っていると、見覚えのある老婆が歩み寄る。
「おや? 誰かと思えば束ちゃんかい、珍しいじゃないかここへ来るなんて」
「卓斗の婆ちゃん! すみません、勝手に入ってきてしまって……俺どうしてもここに用があって」
老婆というには強面な婆さん。
いつも眉間に皺を寄せているのだが、束の言葉を聞くなり柄にもなくニヤリと笑って見せた。
そのまま何も言わずに束へ向かって手招きだけして、奥へと歩いて行く。束も置いて行かれまいとすぐに後を追う。
玄関からホール、皆が打ち合う練習場を通りすぎて連れて来られたのは私生活感漂う個室だった。
卓球選手と思しきポスターに卓球に関する本、まさに卓球好きが住んでいると直感で分かるようなこの部屋。その片隅には忘れたくても忘れられない、あるモノが鎮座していた。
「これは卓斗が持っていたバッグ、それとラケットさね」
「するとここは……卓斗の部屋か?」
「ああ、アイツは家に住むよりもここに住みたいと言ってきかなくてね、いつでもすぐに打てるように、そうほざいていたよ」
束は婆ちゃんに許可を貰い、卓斗のバッグからラケットケースを取り出す。
チャックを走らせ、ゆっくりと彼が愛用していたであろうラケットを取り出した。
ラケットは持ち手部分がへし折れ、見るも無残な姿となっていた。それはまるで卓斗を投影しているようで、もう彼は二度と球を打つことが出来ないぞと再確認させているように感じた。
「婆ちゃん、俺に……俺に卓球を教えてくれ! 月謝だって払う、全力で練習だってする。だから俺に卓球の全てを叩き込んでくれ!」
「そうくると思ったよ、ラケットを貸しだしてやる。早速、教えるから着いてきな」
「いいや、ラケットはこいつを使う。テープを貸してくれ、巻けばまだ使える」
婆ちゃんは一瞬驚いた表情を見せ、すぐに束の真意を理解したのかフッと笑って見せた。
「いいさ、ソレで行けるとこまで行ってみな」
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