かぶとむし・責任・卵酒
「しっかり休みなさいよ」
母方の実家に帰った時、必ずと言っていいほど風邪を引く。祖父は小学生の時亡くなったので、自然祖母が介抱するようになる。
まるで「祖母に介抱される孫」という構図に引き寄せられているようだ。そういう構図を知らず知らずのうちに受け入れてしまって、祖母の「供物」を受け取ることが責任になってしまっている。
「供物」というのは祖母の好意だ。孫可愛さに、飴とかきなこねじりとか、無駄に甘くて粘り気のあるなにかを手に余るほどくれるあれの一種だ。「供物」と呼び始めたのは割と最近のこと。
初めは卵酒だった。いいチョイスだったと思う。今では懐かしい。干からびたヤモリが出てきたところから雲行きが怪しくなり始めた。熱に浮かされているからだと思って怪しくなるラインをもう少し早くに設定してもよかったのかもしれないが、とりあえずヤモリが出てきた時からおかしくなり始めている。
お盆に乗せられた、光沢のある、焦げ茶色の甲殻。すらりとした鹿のような角。
トリポクシュルス・ディコトムス(Trypoxylus dichotomus)。
二又に分かれた(dichotomus)かぶとむし(Trypoxylus)。
ネット検索なので、もっと自然な訳がありそうだが、特徴的な部分だけ取り上げてデティールはばっさり捨てるネーミングセンスがいかにも学名っぽい。要は普通のかぶとむしで、北海道にはいないと札幌から来た友達から聞き驚いたことを思い出した。
インテリアというのなら頷けるが、塩がつけ合わされている。食器に乗せられている。
……供物だ。
祖母は戦前生まれだという。終戦直後、物資が不足し、今のような豊かさがまだなかった頃、人々は色々な工夫を考えて日々を乗り越えてきた。ものの流通やインフラがまだ整備されていなかった時期だから、世帯ごとに無数のバリエーションの生活の知恵が生まれていったことだろう。
それにしても、だ。
こと祖母において、生活の知恵は特殊化し過ぎている。
大体の場合、「へえ、そうなんだ」と感心を演じることで事なきを得る。大抵何もいわれず、いわれても「年寄りの言うことは聞いておくもんだよ」で終わる。祖母の中では得体の知れない知恵が渦巻いており、それが押し寄せてくるのを、「孫を諭す祖母、それを流す孫」という構図にかろうじて守られているのがなんだか怖い。
「いらない」
このまま呑まれてしまえば、エスカレートするばかりだ。祖母はきょとんとしてこちらを見る。
「いらないったら!」
振られた手が祖母の持っていたお盆に当たる。陶器の割れる音。呆然とする祖母。
部屋から去っていく祖母の背中は小さく見えた。なぜか二度と会えないような気がした。
床の上で揺れる昆虫を手に取る。角の先端をつまむ。さすがに料理として差し出される時は柔らかく加工されていて、といわれればそんなことはなく、クチクラの滑らかで硬質な感触だけが伝わってくるだけ。模型に触る時の興奮はあっても食欲は湧いてこない。思った以上に少ない可食部。
腐葉土の味がした。
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