野良ウィリアム・テルのリンゴ

巨神兵

野良ウィリアム・テルのリンゴ

初回なだけあって人数多めな大教室は、春という季節の雰囲気に後押しされてざわめきに満ちていた。

新たな出会いを求める新入生は袖すり合うも多生の縁と、隣になった人間に声をかけ、別に新たな出会いが必要でもない上級生は友人グループと駄弁っている。

何ら代わり映えのない、どこにも違和感を抱かせる要素のない春の一コマ。

しかし、急速にさざめきが収まり妙な緊張感が漂う。まだ授業の始まる時間ではないはずだが、先生が早めに来たのだろうか。

そう思い、顔を上げて教卓の方を見るとこの奇妙な空気を生み出した原因が目に飛び込んできた。

姿勢良く歩く彼の頭の上には真っ赤なリンゴが鎮座している。彼は頭上のリンゴに気を払うそぶりを見せず、自然に歩き、自然に階段を上り、自然に着席して見せた。その所作のすべてはむしろ美しいといえるほどであった。

目線で示しながら隣の奥入瀬に話しかける。

「おい、やべー奴いるぞ」

「確かにいるけど、サークルの宣伝とかじゃね。演劇系か映画系か」

「まあ、あり得なかないけど」

この時期はどの団体も新歓に力を入れるのでそういうのが有ってもおかしくないのだ。

他の人たちもそう思ったのだろうか、チラチラと彼の方を見たり、写真を撮ったりしている人はいるものの、教室の空気は彼が入ってくる以前の少し浮ついたものに戻っていた。

少しして先生が到着し、ガイダンスが始まると彼のことを気にとめる者もいなくなった。



「昼どうする?」

「この時期、学食混むし、新歓めんどいからラーメンでも行かね?」

「有りだな」

そういえば彼はと思い、座っていた席の方を見ると、すでに教室を出た後だった。特に宣伝らしいこともしていなかったし、正体が気になるところではあるが、だからといってわざわざ探すほどでもない、昼食の方が大事である。

「じゃ、決まりだな」

お目当ての店は大学から歩いて五分ぐらいで着く位置にある。店に着くまでの間もたわいの無い会話が続いた訳だが、頭の片隅ではリンゴを頭に載せた彼の姿がときおり、波打ち際に生じる泡のようにふっと現れては消えるのだった。

「さっきの、ツイッターでめっちゃ拡散されてるわ」

ラーメンを待っている時、奥入瀬がスマホの画面をこちらに向けてきた。画面には肖像権に配慮されていたりされていなかったりする写真がずらりと並んでいた。

「野良ウィリアム・テルって呼ばれてるらしいぜ」

「野良ウィリアム」

「そう、野良テル」

「まあ、厳密に言えば野良ウィリアム・テルの息子だけど」

「結局なんだったんだろうなあれ」

「宣伝って感じでもなかったしな。大学デビューで血迷ったんかね」

「確かに致命的に人間のコミュニケ-ションを知らない男の大学デビューはあんな感じかもな」

「はい、ラーメン大盛りおまちどおさま」

飢えた学生達を相手取る店とあってここのラーメンは量が多い。そして何より美味いので必然的に食べている間は無言になる。

脂肪と糖のもたらす満足感に上書きされて、二人の頭から野良ウィリアム・テルのことは抜け落ちていった



大教室に入ると奥入瀬の姿を探す。大体左の真ん中よりちょい後ろぐらいにいるんだが、と、そちらへ目線を向ける途中、視野の端に何やら赤い物を捉えた。

きちんと視線を合わせて見るとそれは真っ赤なリンゴだった。

またか。別に野良ウィリアムテルの顔を覚えていた訳ではないが、頭にリンゴを載せている様な奴が複数人いるとも考えずらい。

ばれないように横目で野良ウィリアム・テルを観察しながら奥入瀬のところへ向う。

「おはよう梓、今週もいるな」

「おはよう、いろんなところで目撃証言が出てるみたいだし、ずっと頭の上にリンゴ載せたまま大学生活送ってるみたいだな。」

「とんでもねー罰ゲームとかかもな?」

何も考えてない調子で奥入瀬は言う。

「リンゴを頭に載せっぱなしで生活することが相応しい罪ってなんだよ」

「リンゴ神の機嫌を損ねたとかじゃん?」

「神罰があれなのか」

「リンゴ神に捧ぐべきリンゴジュースを切らしてしまったんだろう。リンゴ神はリンゴジュースを祭壇に飾っている間は我々に加護を与え給うが、もし供物を捧げなかったならば大いなるリンゴをこの大地に降らせ給うだろう。ああ、くわばらくわばら」

こうなった奥入瀬はどうしようもない。飽きるまでひたすらボケ続ける。面白ければ乗っかるしそうでもなければスルーする、これが一番賢い。

奥入瀬には生返事をしながら、野良ウィリアム・テルの方へ視線を向ける。まだ二週目ということもあってそこそこの人間が出席していたが、野良ウィリアム・テルの周りには誰も座らず、ぽっかりと穴が開いたようで、それがさらに彼の存在感を増していた。

あれが本当に大学デビューなのだとしたら失敗なのだな。つかみは良さそうなのに。

なんてことを考えていたら、先生が来て授業が始まった。それまでの間、奥入瀬はずっと架空の神、リンゴ神について語っていた。


授業が終わって、自分の下宿に帰ってくる。

背負っていたリュックを適当に床に転がしベッドに腰掛け、ツイッターを開く。

検索窓に無意識に「野良ウィリアム・テル」と打ち込んでいた。

たくさんの遠くから撮られた野良ウィリアム・テルの写真が表示される。被写体は決まって一人だった。

みんなこぞって野良ウィリアム・テルの写真をアップロードし、彼についての推測を口にするが、本人によるものと思わしき投稿は見当たらなかった。

軽くため息をつき、スマホをベッドの上にひょいと放った。

承認欲求......深夜のラーメン欲、月曜日の二度寝欲と並んで現代人にとっての新三大欲求に数えてもよいほどのものだが、彼が頭にリンゴを載せる理由ではないらしい。

それでは一体何が彼にリンゴを頭に載せしむるのだろうか。

どんな力が働いた結果なのだろうか。

さっぱり、見当もつかない。

何かリンゴに近い物がないかと部屋を探して見ると、冷蔵庫にタマネギを見つけた。とりあえず頭に載っけてみる。

手で持てば軽いタマネギも頭に載せるとずっしりと重さを感じる。頭上のタマネギを落とさないようにすると、なるべく頭を動かさないようにせざるをえず出来損ないのダンスみたいな動きになる。

検証するまでもない自明なことだが頭に何かを載せていると不便である。自発的かつ無意味に果物を頭に載せるような人間がいるだろうか、帽子でもかぶっていればいい。

なにより、彼の動きは非常に洗練されていた。リンゴまで含めて身体であるかのように振る舞ってみせるのだ。

わざわざ特訓したのだろうか、それともそういう身体なのだろうか。

接着剤を使った、ホログラムで表示されているだけ、マジックキット、集団幻覚、リンゴ神の怒り。

考えれば考えるほどに謎は深まるばかりだった。



梅雨時期となり、傘の手放せない季節となったが依然として野良ウィリアム・テルの頭の上には真っ赤なリンゴが乗っていた。

もはや野良ウィリアムテルと言って通じない者はいない、大学内で誰もが知っている存在となっているのだ。

とは言っても、はじめこそ彼の姿を後ろから撮った写真やら、頭にリンゴを載せている理由の考察やらで賑わったが、今では慣れてしまったのかそれも下火になってきている。

その証拠に彼が教室に入ってきても特別な反応を示す者は誰一人としていなかった、俺を除いて。

彼はこの二ヶ月欠かさず授業に出席していたし、頭にリンゴを載せてない日もなかった、そして彼の周りに他の人がいることもなかった。

「なあ、やっぱりおかしいよな」

隣でレポートを書いている奥入瀬に話しかける。

「ん~、何が?」

「野良テル」

「ああ、もう慣れちったな、俺は。それに」

奥入瀬がラップトップの画面から目を離し、真面目な顔でこちらを向く。

「おかしいとかおかしくないとかってのはそんなに簡単に俺たちが決めていいもんでもないんじゃね」

奥入瀬からそんな真面目な顔と話が飛び出すとは思っておらず面食らうが持論を話す。

「そりゃそうなんだけど、誰かと一緒にいる様子もないし、自発的に頭にリンゴを載せ続けることがあるとは正直思えない。あれはきっと、ウィリアム・テル伝説で成敗された悪代官ゲスラーの呪いな

んだと思う。だから、俺、こいつであのリンゴを打ち抜こうと思う。」

そう言ってバッグから、百均でかったおもちゃの弓を取り出した。

「んだよ、真面目な話しちまったじゃねえか」

奥入瀬は笑いながらそう言うが、俺は真面目な顔を崩さない。至って本気なのだから。

「......マジで言ってんのか?止めとけ止めとけ、俺たちはなんであいつが頭の上にリンゴを載せてるか知らないし、あいつにとって梓は知らん奴だぞ。それにそもそも、あいつは助けを求めたわけでもない。ただの自己満足じゃねえのか?」

「それは誰も野良テルに話しかけないからだろ。それに、自己満足なだけで終わるかも知れないなんて足踏みしていたら何も出来ない。」

「......まあ、誰かのツッコミ待ちで引くに引けなくなったって線も捨てきれない、か」

諦めたのか納得したのかは分からないが同意と見なし、弓矢を持って立ち上がると奥入瀬が口を開く。

「矢は一本でいいのか?」

「打ち抜くべき悪代官がいないだろ」

「いや、外したときに自決する用に」

「いらんわ」

大教室中からの視線を感じながらも臆することなく野良テルの前まで歩く。

彼は俺が近づいていることに気づき顔を上げる。俺が手に弓矢を持っているのを見て、何をしようとしているかは察したようだが、拒む様子もない。

やはり間違っていなかったのだ、と自信をもって弓に矢をつがえ、弦を引く。

予想よりも手前で弦を引き切る。

狙いが上にそれそうになるのを押さえつけ、しっかりと彼の頭上のリンゴめがけて矢を放つ。

見事リンゴの芯を捉えた矢はやじりについた吸盤でリンゴにひっつき、一体となって落ちていく。

その光景がスローモーションの様に認識される。

リンゴが床にぽてりと落ちた瞬間、世界の速度は普段と変わらぬものに戻りいつの間にか耳に届かなくなっていた音が再び認識できるようになる。

「こういうことだろ」

なんと切り出せば良いか分からずその場しのぎで口を開く。

「いや、そういうわけでも......」

血の気が引いていくのが分かる。

「ゲスラーの呪いで頭に乗せたリンゴが取れなくなったんじゃ」

焦って黙っていればよかった事を口走る。完全にとどめをさしてしまった。

「ふふっ、そんな訳無いんだけど。まあ、面白いし、嫌いじゃないよ」

緊張が一気に抜ける。少なくとも悪いことをしてしまった訳ではなさそうだ。

「じゃあ、なんで頭にリンゴを?」

「なに、知りたいの?」

「ここにいる全員がそう思ってるだろうけど」

「なんだぁ、じゃあ聞いてくれればいいのに。僕が頭にリンゴを載せてるのはねえ......」

その教室にいる誰もが、その時ばかりは手を止め、スマホやパソコンの画面から目を離し、会話を中断して彼の話を聞き漏らさんとしていた。

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